011 石田散薬

 言葉通り稽古はみっちり行われ、終わる頃には空も赤くなっていた。

 また一緒にやりましょう、と笑顔で去っていった沖田さんとは違い、どうしようもないほど疲れた私は、稽古場の開け放った窓際で大の字に寝転がった。


 運動神経にはかなり自信があるけれど、それでも沖田さんの稽古はきつかったし、何よりあの豹変ぶり。ド素人でもわかるくらいに要求するレベルが高すぎて、隊士たちのあの反応にも納得がいく。

 けれど、ああいう稽古も嫌いじゃなくて、無謀と言われようが、いつか負かしてやりたいなんて思ってしまう。

 それでも今は、途中で倒れなかった自分を誉めてあげたい……と空を眺め全身で風を感じている時だった。


「新見さんの剣を避けたんだって?」


 夕焼けを映していた視界に、三つの顔が入り込む。そのうちの一つ、少し癖のある短髪をオールバックにした人が口を開いた。

 

「俺も見たかったよ」

「えっ、あ、えっと……」

「あぁ、すまんすまん。俺は永倉新八ながくら しんぱちだ。よろしくな」


 突然の自己紹介に慌てて立ち上がると、私も自己紹介をした。

 じゃあ次は俺な! と元気な声をあげたのは、一番背が高くて目鼻立ちのはっきりした、いわゆるイケメン? な人だった。耳にかかるくらいの髪は、毛量が多いのか逆毛を立てたように少し横に広がっている。


「俺は原田左之助はらだ さのすけだ。新八、あれは本当に凄かったぞ? 見逃すなんて残念だったな。ま、巡察じゃ仕方ねーか」

「確かに凄かったけど……小さくて細っこいし、何か女みたいだね、アンタって。あー、オレは藤堂平助とうどう へいすけね。よろしく」

「平助、お前大して春と変わんねーぞ?」


 最後に名乗った藤堂さんの頭を原田さんが笑いながら叩けば、藤堂さんはすぐさまそれを手で払い、私の二の腕を掴んでぐいっと自分のもとへ引き寄せた。

 至近距離で向き合う形になると、今度は反対の手がお互いの頭頂を交互に行き来する。

 けれど、身長差があまりないのか、すぐ目の前に藤堂さんの顔がある。幼い顔立ちをしているけれど、綺麗という言葉がよく似合う……って、近すぎるっ!


「ほら、左之さん! オレの方が高いって!」

「そうかそうか、ヨカッタナー」

「ちょ、心こもってない! だいたいオレはまだこれから伸びるから! 新八さんくらいならすぐ抜くよ?」

「って、俺かよ!」


 とばっちりを受けた永倉さんが大げさにずっこける素振りをみせるも、男の価値は背丈じゃないぞ、と藤堂さんの頭を優しく叩く。

 藤堂さんは、色素の薄い少し茶色がかった髪を高い位置で一つに結っていて、やや短めの毛先はポニーテールというより子犬の尻尾に似ている。そんな毛先を揺らしながら反論する姿は、まさに子犬みたいで可愛らしい。


 けれど、今から三人で飲みに行くという話しになった途端、さっきまでからかわれていたはずの藤堂さんが、二人に容赦のない鋭い突っ込みをする、という構図になり形勢が逆転した。

 それでも、笑いが絶えないのできっと、三人は凄く仲がよさそうだった。






 今日一日の終わり、二組の布団を敷き終えると同時に両手両足を伸して突っ伏せば、これだけは今日中に仕上げたい、という書状に筆を走らせる土方さんが感心したように言う。


「早々に音を上げて戻って来るかと思ったんだがな」

「沖田さんに稽古をつけてもらうって言った時の、みんなの態度がおかしい理由がわかりました……」


 小さく吹き出した土方さんが、筆を置いて振り返るなり私を見て目を見開いた。


「おいっ。お前、痣だらけじゃねぇか」

「まぁ、仕方ないですね……」


 むしろ、この程度で済んでよかったと言うべきだろう……。

 座って痣を確認していれば、土方さんが木箱を手に側へやって来て、中から軟膏が入っているという貝殻を取り出し私に手渡した。

 ありがたく頂戴して患部に塗っていけば、小さな薬包も渡された。石田散薬といって、打ち身や捻挫に骨折、筋肉痛から切り傷など……要は怪我に効く薬らしい。


「熱燗で飲めよ」

「熱燗? 私まだ二十歳じゃないので飲めません」

「はぁ? 酒飲むのに年は関係ねぇだろ」

「いやいや……お酒と煙草は二十歳からって常識じゃないですか!」

「ああ? んなの聞いたことねぇよ!」


 どうやらこの時代、飲酒に関してはっきりした年齢制限はないらしい。

 ジェネレーションギャップにもほどがある!

 そうはいっても決まりは決まり。二十歳までお酒を口にするつもりはないので、白湯をもらってきて一気に飲み干した。


「う……苦っ……」

「良薬口に苦しって言うだろ?」


 この石田散薬という薬、土方さんの実家で作っていて、色んな道場に顔を出しながら自ら売り歩いていたというけれど、お酒で飲む薬なんて聞いたことがない。

 大丈夫なのか? と思わず視線を向ければすかさず睨み返された。

 役者顔負けの綺麗なお顔が台無しですよ? というか、整った顔だけに睨むと鋭さが増して怖いんでやめて下さい。


「そういやお前、年はいくつだ?」

「十八です」

「…………は?」


 背の低さと童顔のせいで、そういう反応には慣れているけれど。


「十四、五かと思ってた……。十八ってお前、嫁に行っててもおかしくねぇ年じゃねぇか」

「……はい?」


 さすがにその反応は初めてなのですが!?


「さっきも言いましたがまだ十八なんで、そういうのはまだまだ先の話です! そもそもそういう相手、が……」


 勢いよく反論してみたはいいものの、語尾にかけてしりすぼむ……。何かを察したらしい土方さんが鼻で笑った。


「お前、痣なんか作ってねぇで男でも作った方がいいんじゃねぇか? 行き遅れても知らねぇぞ?」


 上手いこと言ったって顔が無性に腹立たしい!

 恋人いない歴=年齢ですが何か?

 好きな人ができたことすらありませんが何か?

 ぶっちゃけ恋ってどんな感じ? 状態ですが何か!!


 だいたい、こんな男の格好をしていたら見つかるものも見つかるわけがない。

 いや、こんなところで一生を終える気はさらさらないので、そんな心配は無意味……でも、このまま帰れなかったら?


「一人で百面相して忙しい奴だな」

「なっ、土方さんがおかしなこと言うからです!」


 俺のせいにすんな、といつまでもおかしそうに笑うので、むしろ土方さんの年齢も訊いてみた。


「お前に教える義理はねぇな」

「人の年齢は訊いたくせに自分は教えないって……あっ、わかった! 若そうに見えるけど実はおじさんなんですね……じゃあいいです。訊かないであげます」


 それまでからかうように笑っていたのに、あからさまにむっとなった。

 もしかして、おじさんという言葉に反応した?


 結果、すんなりと教えてくれたけれど、だったら最初から言えばいいのに、と心の中だけで笑ったはずが睨まれた。

 怖いからっ!


 どうやら土方さんは二十九才らしい。

 とはいえ、昔の人は生まれた時点ですでに一才という数え年だったと思うから、正確には二十八才かもしれない。

 どちらにせよ、私より十才も年上であることに変わりはないし、四捨五入しなくても……。


「三十路目前ですね?」


 ささやかな仕返しをしてみれば、案の定睨まれる。

 ちなみに、近藤さんは一つ上の三十才で、土方さんとは一つしか違わないらしい。

 けれどもすでに妻帯者で、まだ小さな子供までいるんだとか。

 まぁ、この時代、結婚とか早そうだしね。

 だからなおのこと……。


「私の心配より、自分の心配した方がいいんじゃないですか?」

「生憎、お前と違って言い寄ってくる女はいっぱいいるんでな」

「うわー、自分で言っちゃいますか、そういうこと。さすが、長く生きてる人は違いますね?」


 おじさんとは言わないであげたのに、突然、表情を失くした土方さんが目の前へやって来てしゃがみ込む。

 怒らせてしまったのかと不安に駆られるなか、おもむろに伸びてきた手が私の顎を捕まえた。


「怒ってねぇよ? お前より大人だからな」


 金縛りにでもあったように動けない私の耳に、土方さんの少し掠れた低い声が届く。


「大人の遊びでも教えてやろうか?」

「……え?」


 何これ……どういうこと? どうなっているの!?


 状況を理解しようと目を限界まで見開いてみるけれど、視界の端からはもう一方の手まで伸びてくる。

 その手が私のおでこに触れたかと思うと、パチンという音とともに痛みが走った。


「イタッ! ……って、え、あ、あれっ!?」


 目の前では、土方さんがお腹を抱えて笑い転げている。

 もしかして……デコピンされた?


「期待させちまったところ悪ぃが、俺は餓鬼に興味はねぇんでな。餓鬼に手を出すほど困ってもいねぇから安心しろ」


 そこまで言われて気がついた。完全にからかわれたのだと!

 仕返しのつもりか!? こんなの、全然大人じゃない!

 そんなことより……。


「これっぽっちも期待なんてしてませんけど!」


 事実を訴えながら睨んでみるけれど、勝ち誇った笑みを浮かべる土方さんには全く効果がなかった。


「餓鬼はとっとと寝てろ」


 ニヤリと言い放つ土方さんが、墨の乾いた書状を片手に部屋を出て行こうとした。すかさず隣の布団から枕を取り、その背中目がけて思い切り投げつけてやった。


「枕投げって子供の遊び教えましょうか!?」


 うめき声が聞こえた気がするけれど、おやすみなさい! と布団を被って眠りにつくのだった。

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