010 沖田さんの稽古

 翌日。

 広間にて朝食を済ませると、部屋へ戻るなり仕事はないか、と土方さんに訊いてみた。一応は小姓の体でここにいるのに、何もせずただ飯ぐらいはさすがの私でも気が引ける。

 けれど、用があればこっちから声をかける、とすげなく言われてしまい、何となく壁際で待機している。


 不意に、部屋に吹き込んだ風が文机に向かう土方さんの長いポニーテールを揺らしていけば、どこからともなく鐘の音が聞こえた。


「そういえば、ずっと気になってたんですけど、この鐘の音って何ですか?」


 ここに飛ばされてから何度となく耳にした鐘の音。訊こう訊こうと思いつつ、何となくタイミングを逃したままだった。


 そんなことも知らねぇのか? と言いたげに振り向く顔に、知らないから訊いているんです、という顔で見つめ返す。

 僅かな沈黙が流れたあと、チッという舌打ちが聞こえた。


 土方さん曰く、時の鐘といって、時刻を知らせるものらしい。

 まず始めに、捨て鐘という注意喚起のための鐘を三度つき、その後、時刻の数だけ鐘をつくのだと。


 とはいえ、現代の時間とは違いすぎて、最初は話が噛み合わず理解するのに苦労した。

 “昔はおよそ二時間を一刻として、干支に当てはめて表した”という知識が朧気にあったおかげで、何とか理解はできたけれど。


 およそ午前零時である子の刻を暁九つといい、そこから午の刻である正午までを六分割して、それぞれ暁八つ、暁七つ、明六つ、朝五つ、朝四つとなり、その数字の数だけ鐘をつく。

 そして、午の刻である正午は昼九つといい、そこから子の刻までをまた六分割、それぞれ昼八つ、昼七つ、暮六つ、夜五つ、夜四つというのだそう。


 時が進むにつれて、カウントアップではなくカウントダウン。ならば三つ、二つ、一つはどこへいったのか?

 目の前の人に問おうとしたら睨まれた……まだ、言葉にはしていないのに。怖いので、そういうものなのだと気にしないことにした。


 だが、しかし!

 一日をきっちり等分しているわけではなく、日の出を明六つ、日暮れを暮六つとなるように区切るので、昼と夜では一刻の長さが変わるらしい。

 日照時間の長い夏は、夜より昼の一刻の方が長く、逆に冬は、昼より夜の方が長い……。

 夏は寝不足になったりしないの!?


 ちなみに、今は五回鳴ったので朝五つ。おそらく午前八時くらい。


「な、何となく理解は出来ましたけど……」


 わかりづらいったらありゃしない!


「時刻も知らねぇとか、お前どんな生活してたんだ?」

「もっと、ずーっとわかりやすい生活です!」


 そう反論したところで、突然、襖がスパーンと音を立てて開いた。


「土方さん、入ってますよ~?」


 見れば、昨日の宣言通りに登場した沖田さんだった。面白いけれど、突然過ぎてびっくりする。


「おい、総司! ちったぁ普通に入って来れねぇのかよ」

「え~。ちゃんと昨日言った通りにしたのに、いちいち細かいですね~土方さんは」

「俺が許可を出してから入れって言ってんだよ!」

「春くん、今日は僕非番なんでみっちり稽古出来ますよ。そこの怖い顔の人はほっといて行きましょう」


 そう言って、沖田さんは私の腕を取り立たせると、半ば引きずる勢いで部屋の外へと連れ出した。


「おい、総司!」


 呆れる土方さんの声を遮るように、沖田さんはわざとらしく襖をピシャリと閉めた。襖越しに聞こえる大きなため息に、行ってきます、と告げてから稽古場へと向かう。


「沖田さん、私、竹刀の握り方すら知らないんですが、迷惑じゃありませんか?」

「誰だって最初は初心者ですよ~。そんなに緊張しなくて大丈夫です。気楽にやりましょう」

「はい!」


 卒業してから明らかに減ってしまった運動量に、正直物足りなさを感じていた今日この頃。もともと身体を動かすのは大好きなので、ここは遠慮せず、沖田さんの好意に甘えさせてもらおう!




 稽古場につくと、今日も隊士たちが熱心に稽古に励んでいた。

 ところが、沖田さんの姿を見つけるなり次々と動きを止めてしまい、みんなの表情は一様に絶望や恐怖の色に染まっていく。

 そんな隊士たちに向かって、沖田さんがわざとらしく泣き真似をしてみせた。


「そんなに嫌がらないで下さいよ~、僕だって泣いちゃいますよ? でも今日は非番なんで、あなた方の稽古を見に来たわけじゃないんです。春くんの稽古につき合うだけですから~」


 隊士たちが一斉に安堵のため息をつくと、すぐさま隣に立つ私に視線が注がれた。それらはなぜか、同情とも哀れみともとれるようなものばかりで、急に私の不安を掻き立てる。


「春くん、これ使ってください」

「あ、はい!」


 そう言って手渡された木刀は、昨日の竹刀に比べて明らかに重く、思わず落としそうになる。


「これ、重くないですか?」

「刀と同じくらいですよ。春くんは力もつけた方がよさそうなので、これでやりましょう」

「はい!」

「じゃあまず、基本から」


 さっそく指導が始まるも、入り口の方から大きな声がした。


「すまんすまん、遅くなってしまった」


 頭の後ろを掻きながら入って来たのは、近藤さんだった。

 どうやら今日の指南役なのか、しばらくそのまま続けるように、と隊士たちに声をかけながらこちらへやって来る。


「総司、あまり新人を泣かせるんじゃないぞ?」

「春くんなら大丈夫ですよ~」


 それは……どういう意味?

 よくわからないまま、基本中の基本から教わらなければいけないことを伝えると、近藤さんの目が大きく見開かれた。


「初心者に総司の……ああ、いや。よし、俺がみてあげよう」


 近藤さんが大きな笑窪を作ったことで、急遽、沖田さんと交代となった。どちらにしても、豪華すぎるけれど。


 “近藤さんは世話好き”と土方さんが言っていた通り、教え方にもそんな人柄が表れていた。郷里でも、試衛館という道場で天然理心流剣術というものを教えていたらしく、持ち方から姿勢、構え、本当に基本中の基本を一つ一つ丁寧に教えてくれた。

 そして、その人柄も手伝ってか、近藤さんとの距離もぐっと縮まった気がした。


「初心者だからと引け目を感じることはないぞ。変な癖がない分、すんなりと受け入れられるからな」


 すると、暇そうに壁に持たれて座っていた沖田さんが、会話に割って入った。


「どこかの土方さんみたいに、色んな癖が抜けない人もいますからね~」

「確かに歳は色々な道場に顔を出していたせいか、天然理心流では目録止まりだ。だが、実践で必要なのは段位じゃない。歳が実践で滅法強いのは、総司も知っているだろう?」

「さながら、天然土方流ってとこですかね~」


 話し半分に答える沖田さんに、上手いこと言うな、と笑みをこぼした近藤さんが改めて私に向き直る。


「春は飲み込みが早いから、真面目に稽古に励めばすぐに上達するぞ」

「ありがとうございます! 頑張ります!」


 お世辞かもしれないけれど、やっぱり誉められるのは嬉しい。

 このままもっと教えてもらいたいと思うものの、私ばかりにつきっきりというわけにはいかないから、続きは沖田さんと交代となった。


「じゃあ春くん、まずは復習といきましょうか。さっきやったことを僕がいいって言うまで続けてください」

「はい!」


 教わったばかりの動きをなぞるように素振りを開始すれば、沖田さんの表情から一切の笑みが消えた。目つきだけでなく雰囲気までがらりと変わり、殺気を放ってみせた時のような緊張が走る。

 そして、何度目かに振り下ろした木刀を、突然、沖田さんの竹刀が弾き飛ばした。


「握りが甘い!」

「す、すみま――」

「すぐ拾う! 止まらない! 止まったら死ぬと思ってください! 敵は待ってくれませんよ!」


 突如豹変した沖田さんの気迫に押されながら、弾き飛ばされた木刀を拾った。すぐさま素振りへと戻るも、また数度目には弾かれてしまう。弾かれては拾い、弾かれては拾い……と、しばらく繰り返した。


 この人は、本当にさっきまでと同じ人?

 思わず疑いたくなるほど別人と化した沖田さんを見て、やっぱり……と隊士たちの呟きが聞こえ、稽古場に入った時の恐れるような反応にも納得がいった。

 どうやら沖田さんは、刀を持つと豹変するタイプらしい。


 次こそは弾かれまいと強く握るもやっぱり弾かれて、それならばとさらに強く握れば、今度は力み過ぎて身体が硬いと怒られる。腕だけで振ろうものなら足が動いていないと竹刀が飛んできて、腕が上がらなくなってくれば容赦なく腕にも飛んできた。

 しまいには竹刀を手渡され、ひたすら沖田さんに向かっていく、という状態になっていた。


 木刀が重かった分、軽い竹刀は自分でも驚くほど早く振ることができるのに、当然といえば当然だけれどことごとく避けられた。それも軽々と……。

 さすがの沖田さんも、こんな初心者相手に反撃してくることはないけれど、僅かでも気を抜いたその時は、容赦なく当てられた。


 正直、こんな荒っぽい指導はどうかと思うし、痛くないといえば嘘になる。

 それでも今は、思い描いた通りに動けないことが悔しくて仕方ない。

 だから、何度も何度も向かっていった。


「刀で斬るな! 身体で斬れ!」


 沖田さんは汗一つ流さず、何度もそう言っていたのだった。

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