息子の七五三(陰)

初音

息子の七五三(陰)



 万太郎の前には、三歳の子供にはとても食べきれないほどのごちそうが並べられていた。


「万太郎様、好きなだけ召し上がってくださいね」


 女中頭のキクがにっこりと微笑む。


「立派になりましたね。たくさん食べて大きくなるのですよ」


 万太郎の母、コウが目を細めて息子を見つめる。


 その様子を、万太郎の父・興作こうさくはじっと見つめていた。


 息子が三歳になったのは喜ばしいことだ。

 今日は七五三の祝い。明るい気持ちで、これからも息子がすくすくと育ってくれることを願うべき日である。


 だが、興作の中に巣食っていた疑念はこのところ大きくなる一方で、心から息子の成長を喜ぶことができずにいた。


 その疑念というのは、万太郎が本当に自分の息子なのか?というものだった。

 何しろ、母親譲りの目鼻立ちをしてはいたが、自分に似ているところがまるでないのだ。


 

 前妻との間には子ができなかった。

 それを理由に、興作の母・たえは、離縁を迫った。


「跡取り息子を産めない女子おなごなど、うちには要りませぬ」


 姑にそんなことを言われる嫁の気持ちは計り知れないが、興作も妙に逆らうことができず、結局そのまま離縁となった。


 今の妻、コウとの間にもなかなか子供ができなかった。妙は「また石女うまずめか」と憚ることなく口にした。

 そうしていよいよ妙は、妾を囲えと言い出した。確かに岡場所に何人か馴染みの女はいたものだから、またしても興作は母に言われるがままに女を囲った。金はあった。何せ興作が切り盛りするのは代々続く呉服商なのだから。


 その中には、興作の子を宿した女もいた。

 だが、はらの中で死んでしまった。また宿したかと思えば、生まれて間もなく命を落としてしまった。


 興作は薄々感じていた。

 赤子ができなかったり発育が悪いのは自分のせいなのではないかと。


 それ故に、コウが万太郎を産み、めでたく三歳を迎えたのが信じられなかった。


 興作にとって疑念を裏付けることがもう一つある。


 興作が妾のところに出かけると、必ずといっていい程コウは外へ出かけていたという。

 それも、女中頭のキクにも詳しい行き先を告げずに。


 幸い、隠居していた両親の耳に入ることにはなかったようだが、店の中では「奥様に間男がいるのではないか」と噂になっていた。



 いつしか興作は、万太郎は間男の子に違いない、と思うようになっていた。



「ちちうえ、どうされたのですか?」


 ハッとして、興作は息子を見た。


「おこっているのですか?」


 悲しそうな息子の顔を見て、興作は反省する。そんなに暗い表情をしていたのか、と。


「なんでもないぞ。たんと食え。お前はうちの跡取り息子なんだから」


 この子には、長生きしてほしい。そう思って万の字を付けたのではないか。それで良いではないか。興作は、自分に言い聞かせた。




 その後、親子三人だけで、神社にお参りをした。


 境内に入ると、同じくお参りをしていた四十がらみの男がコウを見るなり笑顔になって、「あれま、お久しぶり!」と声をかけてきた。


「あら、お久しぶりです」コウも笑顔で答える。


 なんだ、この男は?まさかこいつが間男か?と興作は気が気でなかったが、どうやらそうではなさそうだった。


「ああ、そちらが旦那様かい。やあやあ、こんなかわいい坊ちゃんまで…!そうか、あんた子宝祈願だったんだな」


 ますます何者だかよくわからない男を興作は訝しげに見る。


 すると、男がそれに気づいたのか

「すいやせん、名乗るが遅れましたな。辰吉っていいます。近所に住んでるんですが、何年か前、奥様がよくお参りされてたもんで」

 と自己紹介した。


 興作はわけがわからず、コウを見た。

 コウは少し恥ずかしそうに俯くと、くすりと笑みを漏らした。


「なんでいおコウさん、旦那様にも隠してたのかい?」


 ここでついに、興作がしびれを切らした。


「おい、いったいなんなんだよ!お前、何を隠してたってんだ!」

「ちちうえ、ははうえを怒らないでください!」


 万太郎に言われ、興作はぐっと押し黙る。


「旦那様、そんなに大したことではないのですよ。ただ、私は万太郎が生まれる前、ここで子宝祈願をしていたのです」

「そうだよ旦那、奥さんはなあ、本当に足しげくここに通ってたんだ。理由を聞いても、『願掛けは人に言ってしまうと叶わなくなるから』っつって教えてくれなかったけどよ」


 間に入ってきた辰吉を無視し、興作はコウをじっと見つめた。


「お前、なかなか子ができなかったのを、そんなに思い詰めていたのか……」


 コウは、憂いを帯びた表情で、本当に少しだけ、首を縦に振った。


 場の空気を察した辰吉は、「それじゃ、おいらはここで」と去っていった。

 三人きりになった境内は静かで、木々の葉が擦れる音がやけに大きく聞こえた。


 コウは少し悲しそうな笑みを浮かべると、ぽつぽつと話し始めた。


「私、あなた様がお妾さんをもうけた時に、お義母かあさまに言われていたのですよ。一年以内に赤子ややができなければ離縁する、と」


 興作は驚きに言葉を失った。そこまではっきりと、自分の母がコウにそんなことを言っていたとは知らなかった。


「それで、子宝祈願にご利益があると聞いて、この神社にお参りをしに来ていたのです。何をしに行くか告げずに出かけていたから、私が間夫の元に通っているのでは、と噂になっていたことは知っていました。でも、私は放っておきました。そうすれば、少しはあなたもお妾さんたちのところに行く時間も減るのではないかと、安易なことを考えておりました」

「コウ……」

「万太郎は正真正銘、あなたのお子です。知っていますか?この子、大根の漬物が苦手。何かを考える時、右耳の後ろを掻く癖がある。他にも、あなたにそっくりなところ、たくさんありますわ」


 興作は、コウと万太郎を交互に見た。

 コウの、吹っ切れたような、美しい笑みを見て、コウも自分と同じく少なからず辛い思いをしていたのではと思い当たった。


「そうか、うん、そうだよな。コウ、今まで悪かった」


 それから地面に膝をつき、万太郎と同じ目線になると、息子の顔をまじまじと見た。


「万太郎は、俺の子だ」


 きょとんとした表情を見せる三歳の男の子は、なるほど初めて自分の血を分けた子供のように思えた。


 今なら、心から言える。


「万太郎、七五三、おめでとう。これから、大きくなるんだぞ」


 興作は、満足そうに微笑むと、よしよし、と万太郎の頭を撫でた。





 興作、コウ、万太郎がお参りを終え、帰路につこうとすると、コウが「旦那様」と呼び掛けた。


「私、ここの神主さんにお礼を言いたいのです。万太郎を連れて、先に戻っていてくれませんか」

「なんだよ、そういうことなら俺も一緒に行くぞ」

「この後、お得意様の篠田屋さまがいらっしゃる予定でしょう。あなた様だけでも早く戻られた方がいいわ。万太郎も眠そうですから、背負おぶって帰っていただけたら助かりますわ」

「わかったよ。気をつけて帰れよ。ほら、万太郎。父さんの背中に乗れ」


 興作は、万太郎をおぶさると、鳥居をくぐって境内を出ていった。



 コウはそれを見届けると、お社の裏手に回った。


「ああ、辰吉。ありがとうね」


 そこでは、先ほどの男、辰吉が待っていた。


「いいえおコウ様、なんのこれしき」

「薄々感づかれていたみたいだけど、これでやっと疑われなくなったわ。万太郎が私に似ていたのも幸いしたわね」

「おコウ様、本当にこれでよかったのですか?幼馴染の啓太郎様と、せっかくお子をもうけられたというのに。むしろ離縁になって、啓太郎様と一緒になられた方がお幸せだったのでは……」

「そんなの、父様と母様が絶対に許さないわ。大店おおだなの嫁に行って、跡継ぎを生むことが、私の仕事なの。そういうふうに、育てられてきたのよ。啓太郎みたいな貧乏人と一緒になったって、苦労が増えるだけだわ」

「おコウ様……」


 心配そうな顔をする辰吉を見て、コウは笑顔を見せた。その頬には、一筋の涙が浮かんでいた。


「あまり遅くなると、心配されてしまうわ。辰吉、実家いえに戻ったら、くれぐれも、啓太郎によろしく、よろしく伝えておいてね。証拠が残ってしまうから文を出すことはできないけれど『あなたと私の子・万太郎を大切に育てますから』と」

「はい、おコウ様、この辰吉、必ずやお伝えいたします」


 コウは辰吉に別れを告げ、神社を後にした。 






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