第29話 お帰りなさい

「っあ」

 黒薔薇館の屋根が見え始めた頃、うとうとしていたメイアンがぺたぺたと前髪を触っている。どうやらピンがなくなっていた事に気付いたらしい。

「ご、ごめんなさい、その...、ピンが」

「ん?あぁ、気にするな」

 新しいものを作ってやらないとな、とニアが考えている側で、メイアンは曇った顔をしている。

「...気にするなって」

「だって、ここに来て初めてもらったもの、だったから...」

 少し残念ですね、とメイアンは寂しそうに笑った。

 ニアはどすりと心臓を突かれたような感覚と顔がにやけそうになるのを堪えて、小さく肩を震わせた。メイアンはそれを不思議そうに首を傾げて見ていた。

「...そうだな、同じものを用意してやってもいいんだが...。今度は何が良い?身に付けられるものなら何でもいいぞ」

「.........皆と同じのが、いい、です...」

 少し悩んでから、メイアンは耳を赤くしてポツリと口にした。

 皆と同じ、という言葉を聞いてから、ニアは他の面々の付けている黒薔薇の飾りを思い出す。

 アズリナはブローチとして身に付け、リーフェイとノルチェは戦いの邪魔にならないようにネックレスにして服の下に下げている。ベンジャミンとスノーブルーは、時折姿を入れ替えるという事で同じブレスレットをしている。かくいうニア自身はやや長めの髪の毛に隠して、片耳にローズベリと分け合った小さめのイヤリングをしている。

「じゃあ、ブローチにネックレスにブレスレットと、イヤリングだな」

「そ、そんなに...!?」

 メイアンは目を丸くして、それは流石に...と声を漏らした。

「ま、お前だけしか付けないようなものがいいだろうな。...チョーカーのチャームにでも使うか?」

 チョーカーという代物を頭の中で全く思い浮かべられないメイアンは、よく分からないままそれでもいいかという意味を込めてコクコクと頷いた。

「じゃあ、後でベンジーかスノーに取り寄せるよう頼んでおこう」

「あ、ありがとうございます」

 へにゃ、とメイアンが口元を緩めたのを見て、ニアは静かにあぁと言った。

 そして、黒い門をくぐる。


「おかえりなさい、ニア、メイアン」

 入ってすぐ、スノーブルーが立っていた。その腕には黒い薔薇が十輪ほど抱えられており、にこりと彼は微笑んでいる。

「本日もお疲れさまでした。リーフェイとアズリナが御飯の準備をしていますよ。いつもよりは少し早めで時間はずれていますが、身体を動かしたでしょうからね」

 彼は小さく微笑んで、屋敷の扉をグッと押し開ける。そしてすっと紳士的に手で中へ入るように促した。

「お先にどうぞ。私は薔薇を花瓶に生けてから食堂へ参りますので」

「ありがとうな」

「ありがとうございます」

 ニアはメイアンを優しく屋敷の中へ下ろし、それからスノーブルーが中へ入って玄関近くの花瓶に花を生ける。

 その彼を尻目に、二人は真ん中の食堂への扉を開いた。


「おー、お帰りー」

「...お帰りなさい」

 食堂には椅子に行儀悪く座ってひらひらと手を振るベンジャミンと、彼の片腕に抱かれたまま不服そうな顔をしているノルチェがいた。

 恐らくいつもの服が血で汚れたせいなのだろう、ノルチェはいつもの恰好ではなく白いシャツに濃い赤紫色のチェック柄のスカートを着ていた。

「ただいま、ベンジーさん、ノルチェ」

「...ん、元気そうで何より。無事でよかった」

 ノルチェがベンジャミンの腕から逃れてメイアンに近寄ろうとしたが、それをベンジャミンが軽くあっさりと制する。

「こーら、スノーに言われただろ?本当は動いててもいい身体じゃねぇんだから、静かにしてろ」

「っぐ」

 優しい手付きで傷口のあった場所を押され、微かに感じる痛みにノルチェが僅かに顔を顰める。ノルチェはベンジャミンをぎろりと睨んだ。兄妹のような戯れをしている二人に、メイアンはくすくすと口元に手を当てて笑う。

 そこでベンジャミンは空いた手でメイアンの顔をすっと撫でた。

「お前、聖眼の紫の宝石なくなったんだな。あと、ピン」

「本当だ」

 ノルチェも気付いたようで、まじまじとメイアンの黒曜石のような目をじろじろと見る。

 二人の射るような視線に、メイアンはだんだんと顔が熱くなっていくのが分かる。

「メイアン、魔法が使えるようになったらしいから、ノルチェでもベンジーでもリーフェイでもいいから教えてやってくれ」

 ニアは自分の椅子に腰を下ろしながら、何でもないようにさらりとそう言った。

 ノルチェは目を見開いてメイアンを見て、ベンジャミンはニアへどういう事なのか訊こうとしたが何も言わずに頷いておいた。

「記憶が、戻ったの?」

 その問いにメイアンは首を振るう。

 本当を言えば、自分の本当の名前や自分の置かれていた状況を聞いたので、少しは思い出したという事になるのかもしれないが、何となくそれは伏せておきたかった。


 出会った黒い魔女の事を、あまり口に出してはいけないと直感が語っているからだ。


「そう。でも、魔法が使えるようになったんだ」

 ノルチェは少し嬉し気に、メイアンの頭を撫でた。

 そこへ、がちゃと調理室の扉が開き、アズリナとリーフェイが香ばしい匂いを撒き散らす料理を両手に持って出て来た。

「おー、お帰りなさい。...ん、そこまで怪我は酷くなさそですね」

「...お帰りなさいませ、旦那様、メイアン様」

 アズリナの手にはコーンポタージュと食器類が、リーフェイの手にはたれの掛けられた焼かれた太い鳥の足がのせられた器を運んできた。

 それらを全て決められた位置へ並べていく。

「メイアンも座れよ。ご飯だぞ」

 ベンジャミンはメイアンの頬に添えていた手をパッと離し、メイアンは静かに頷いて自分の席へ歩いて行った。


「...メイアン様」


 それをアズリナがメイアンの服の袖を引いて、止めた。

「...アズリナさん?」

「.........メイアン様、あの時、私は貴方に大変失礼な言動を取ってしまいました、申し訳ありませんでした」

 アズリナは一息にそう言うと、すっと頭を下げた。

「...あの時に口走ったものに嘘偽りはございません。ですが、私が大人げなかった事や、貴方を見誤っていた事も事実です。これが主の大切なものに対して、してはいけない行動であると私は考えました。ですので、出来る事ならば思い切りぶってください」

「え?」

 アズリナが顔だけを上げてメイアンの顔を睨むように見る。間の抜けた顔をしているメイアンを見ていながら、アズリナはぱしりと強張っている彼の手を握った。「さぁ、どうぞ」

 さぁどうぞ、と言われても、とメイアンはおろおろと他の面々を見る。

 ベンジャミンは面白そうに眺め、ノルチェは無表情でアズリナを見ている。ニアは頬杖を付いたままで動く気配はないらしい。

 メイアンは少し迷って後に、ゆっくりとアズリナが掴んでいる手の方を持ち上げてから、

「えいっ」

 ぺちんと軽くアズリナの頬を叩いた。全く痛みの伴わないそれに、アズリナはきょとんと目を丸くして、メイアンの顔をぽかんと眺めた。

「お、俺はあれを気にしてないですし...、それに屋敷の人達に凄く迷惑かけたのは事実だから...。アズリナさんがそう思って、当然だったと思うし...」

 メイアンは少し頬を掻いて、アズリナの手をぎゅっと握り直した。

「それに嫌いって言われても、俺は、アズリナさんの事は好きですから」

 ぴしり、とアズリナは身体を固める。脳内のどこかで脳回路がショートでもしたかのように身体を動かす事を拒否していた。どすり、と心臓を射抜かれたような感覚に、身を震わせた。

「...メイアン様、ありがとうございます」

 アズリナは静かに頭を下げて、それから調理室の方へとぎこちない動きで歩いて行った。

 くつくつとベンジャミンは、アズリナの後ろ姿を見る。ノルチェはほっと胸を撫で下ろした。

 くっ、とニアも笑う。


「メイアン」


 そして、アズリナの機嫌が悪くなってしまっていないだろうか、と彼女のあの様子がさっぱり分かっていないメイアンへニアが声を掛けた。

 メイアンはくるっと顔だけを振り向かせる。ニアは口角を上げて、メイアンを見ている。さながら、王のように。

 だが、その目は慈愛に満ちていた。


「お帰り」


 たった一言だった。

 しかしじわり、と胸が熱くなっていく感覚がメイアンの身体を襲う。目頭がじわじわとその熱を伝えていく。

 だが、それを隠すようにメイアンはにっと口角を上げて、軽く首を傾ける。


「ただいま、です」

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聖眼の守り人 本田玲臨 @Leiri0514

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