第28話 聖眼
ニアを殴っていた
己の顔を守っていた手を退けると、いつの間にネイルの腕から逃げ出したのか、部屋の中央にメイアンが俯いて立っていた。
ネイルの予想外のようで、彼は慌ててメイアンを取り戻そうとしている。恐らく、主人の意思がこの
「メイアン!」
後ろからネイルが迫っているという意味を込めて叫ぶが、彼は全く顔を上げようとしない。
その時だった。彼の全身から金色の光が噴き出した。全身を包み込んでいくその光が、魔力によるものだとニアはすぐに気付く。ネイルも分かったようで、その目を見開いた。
「ッ何故!?メイアンはただの人間っ」
ネイルの言葉を遮るように、メイアンが小さく口を動かしたかと思うと、その足元から大量の水が噴水のように沸いた。それは激しい勢いで、収まるところを知らない。メイアンの身体全体を水が覆っている。
気付けば、膝近くまで水が浸食し始めていた。
「メイアン!」
ニアの声は届いていないようで、水はどんどん溜まっていく。ネイルは階段に上ってそれを逃れ、
これ以上放っておくと、ニアの身が危ない。というよりもメイアンの身の方が危ない。
「メイアンに手ぇ出すな!」
殺気を孕んだ眼光と共に
それを見て、ざぶざぶと水音を立てながらメイアンの方へ一歩ずつ近付いて行く。殴られ蹴られとかなり痛みのある身体だが、メイアンの身の方が大切だ。ずるずると引きずりながら、何とか近くにまで来た。
「メイアンっ」
呼びかけても聞こえていないのか、反応がない。
ぐっと手を伸ばして、胸辺りでぎゅうっと握り締めている彼の手を掴もうとする。
水に阻まれながら、何度も何度も手を動かしてやっと手首を掴んで水の塊の中から彼を引っ張り出す。
全身ずぶ濡れで、勢いよく水が噴き上がったせいか前髪を留めていた黒薔薇のピン留めが無くなっていた。
ニアが軽く揺すると、ゆっくりとメイアンの瞼が持ち上がる。その目を見て、ニアは目を丸くした。
「お前........」
聖眼を示すあの宝石の輝きが、瞳からなくなっていた。
「...っん、...あ、あれ?」
メイアンはネイルではなくニアが近くにいる事に驚き、それから不思議そうに濡れている身体や床に視線を落とした。しかしすぐに、身体を襲っていた熱が出ていったのに気付き、ほっと安堵の息を吐いた。
「...メイアン」
「ニア!」
メイアンはぱっと表情を輝かせると、ぎゅっとニアの首に手を回して抱きついてきた。嬉しい事は嬉しいが、今はそういう場合ではない。
ニアはメイアンを離さないようにしっかりと手を握り、それから背後の
「.........あ、ああ、ああああ、そ、そんな...っ」
ネイルはメイアンの瞳の変化に気付いたようで、真っ青に顔色を染めてぶるぶると身体を震わせていた。
「聖眼、聖眼の力が...!」
その言葉にメイアンがようやく自分の目の縁に触れた。変化には本人は気付いていなかったらしい。
ネイルはぎろりとニアとメイアンを睨み、大きく手を振り上げるとパチンと指を鳴らした。
「もう、いい。お前らを殺す。
ネイルの指令を受け、
ニアはぐっと空いている拳を握った時、バンッと大きな音が中に響いたかと思うと、二体の
代わりに、二人の少女がそこに立っていた。
「イヴ!レイ!」
メイアンが声を掛けると、無表情のイヴと好戦的な笑みを見せるレイが顔を向ける。
「あんたらはボスの事をよろしく頼む!」
「ボク達が倒れるまでに、そいつを」
翻った時、ボロボロになっているレイの襟元から黒い首輪が覗いているのが見えた。ニアは僅かに迷い、しかし決意を決めた。
「メイアン、あいつに捕まるな。少し離れる」
ニアの言葉にメイアンはしっかりと頷いた。それを見て、ニアはイヴとレイの元へ駆けた。
案の定、ニアの思惑通りネイルは面食らった顔をしながらもメイアンを人質に取ろうと、彼の元へ駆けてきた。
メイアンは一瞬顔を強張らせたが、ぎゅっと両手を握り締めて目を閉じる。すると、再びその手の間から金色の光が零れていく。
それにその場の誰もが―ニア以外の三人が、僅かに動きを止めた。
「守って」
メイアンの懇願するような言葉に応じるように、白銀の天使の羽根がメイアンの背に生えたかと思うとその身体を包み込んだ。
ネイルはその羽根に手を掛けてこじ開けようとしたが、それをひたすらに拒む。
ニアはその間に
「ちょっと!あれ、どうなってんの?!メイアンは魔導士でも何でもない、ただの人間なんでしょ?」
「俺も分かんね」
ニアもよく分からないのが本音だ。
一瞬、黒い影が揺らめいたかと思った次の時には、メイアンの身体を金色の光が覆っていた。魔法も呪文を用いずに、その代わりなのか尋常ではない光を使っている。
恐らく、聖眼の力を使っているのだろう。だから、聖眼の輝きが瞳から消えているとすればおかしい事はない。
何がきっかけになったのかは、分からないが。
「とにかく、そこは頼んだ」
ニアは二人の首に手を持っていき、首輪を掴む。カッと目に力を入れると、手元でバキリと音を鳴らした。その音にイヴもレイも目を丸くした。
「......は」
小さく息を呑む音を二人は溢し、それから顔を見合わせてニアを見上げる。
「...この恩は、今から返す」
「ははっ!やったー!自由の身だ!」
レイはぴょんぴょんと飛び跳ね、そして
「早く行って」
イヴはニアに念を押すように言うと、レイと同じく目にも止まらぬ速さで
ニアはその後ろ姿を目で追ってから、メイアンの元へと駆ける。
「メイアンに...!手ェ出すなッ!」
ニアはひゅっと空気を裂いて、蹴りをネイルの腹部へ当てる。
ネイルは小さく呻き、階段近くにその身体が飛ばされる。ニアはネイルがすぐに起き上がって来ない事を確認して、白い羽根を優しく撫でる。
すると、蕾が開いていくようにゆっくりと羽根が消えていき、メイアンの姿が現れる。彼が目を開けると金色の光は消え去り、僅かにふらつきながらも姿勢を立て直した。
魔法を使う事に慣れていない身体は、上手く魔力を制御出来ていないようだ。
「大丈夫か?」
「うん」
ニアはメイアンに小さく笑いかけ、それからネイルを厳しい視線で見る。
「ネイル、お前があの時代から生きている魔導士であるならば、その見た目はおかしいんだ」
ぴくり、とネイルの眉が動いた。ニアは言葉を続ける。
「魔導士も吸血鬼も見た目の年齢は大して取らない。だがな、数百年も前となると話は別だ。老人になっていておかしくない。むしろお前の今の姿は、若すぎるんだよ」
その言葉を聞き、ネイルは階段を駆け上がり始めた。それを見てニアはメイアンの方へ振り返る。
「メイアン、何度も使うようで悪いが飛べるか?」
「へ?」
メイアンは首を傾げてその場で跳んでみせた。ニアは小さく苦笑いして、彼の白い手を合わせる。
「空、だよ」
「っ!.........やってみる」
メイアンはぎゅっとまた両手を握って、目を閉じる。金色の光が零れだし、それから床から風が吹き始める。
「飛べっ」
メイアンが短く言葉を発すると、ぶわりと身体が浮いた。ニアは僅かに驚くがすぐに天井に頭がぶつからないように、メイアンの手首を握っている手とは逆方向の拳で天井を砕いた。
その破片がメイアンの頭へ降り注がないよう、庇いながらネイルより早く二階へ辿り着く。
床に降り立ってすぐ目の前の扉を開けると、そこには酷く埃っぽい湿った空気が二人の鼻孔を撫でた。
「っ止めろ!」
ネイルの声が背後から聞こえてくる。だが、ニアは足を止めずにメイアンは彼へ引きずられるようにその後ろを追う。
暗い部屋は、あまりものが置かれていなかった。装飾品の多い黒薔薇屋敷とは打って変わった印象の強い場所だ。その中央には天蓋付きのベットが置かれており、ニアは躊躇う事なくその中へと入る。
メイアンはそれを見て身体を固くしてしまった。
そこには老人が寝ていた。
目がくぼみ、見えている肌は皺まみれで、生きているのだろうかと疑うほどだ。
「これが...」
「私に触れるなッ!」
ネイルが叫ぶ。
ニアはメイアンの目を隠すように片手で覆い、老人の首にそっと手を置いた。
「...お前には死すら生温いのかもしれないな」
「止めろ!」
「あんなに殺したいと思っていた相手が、まさかこんな老人とは...」
「やめろやめろ!」
ニアはゆっくりと首に圧をかけていく。ネイルの姿がゆらゆらと蜃気楼のように揺らぎ始めた。
「苦しませて殺してやりたかったが、終わりだ」
ぐっと一気に首へ力をかけると、ごきりと音が鳴る。揺らめいていたネイルの姿は完全に消えてしまい、後には服だけがパサリと落ちた。
「そのまま、俺についてこい」
メイアンの目を隠したまま、ニアは彼を連れて部屋から出て行った。
下の階へ降りると、肉片となった
「あー、お帰り。って事は勝ったんだね?」
「あぁ、殺した」
「ふーん、なんだか呆気ない感じー。あんだけボクらをボコボコにして、コキ使ってたのにさ」
「でも、もう自由」
「そうだね」
イヴが小さく微笑むと、ほうとレイは息を吐いてからイヴに抱きついた。
「ま!ボクとしてはイヴがいるならどこに行ってもいいけど!」
「...ん、ボクもそう」
レイはひとしきりイヴに頬擦りをすると、今度はメイアンの目を覗き込むようにぐっと上から目線にした。その獲物を狩るような視線に、メイアンが静かに息を呑む。
「悪かった、ってノルチェに伝えといてよ」
にひ、とレイは笑う。そしてイヴの手を引いて、外へと歩いて行ってしまった。
「っちょ、ここは迷いの森って」
「...大丈夫だ。あいつらは速い。この森がいくら広くてもあいつらの足でなら一日もあれば端の方にまで着く。自由の身になったんだ、好きに動きたいんだろう」
ニアはそう言って、メイアンの身体をひょいっと姫抱きにした。唐突な事に、メイアンは目を白黒させてニアの横顔を見る。
「な、ななな、お、俺、普通に歩け」
「慣れない魔力で疲れてるだろ?ここからまだまだ歩くんだ、俺に任せとけ」
ぐ、と思わず言葉に詰まってしまう。
確かに足はかなり重くなっているが、歩けない程ではない。だが、ニアは簡単には下ろしてくれないだろう。
「...お願い、します」
素直に礼を言うと、ニアはにんまりと口角を上げた。
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