第30話
ホームには人が増えてきて、もうすぐ電車が来るというアナウンスが聞こえてくる。
ああ、いつの間にかあんな時間――。
「瑞穂がいなくなってから、ほとんど眠れない日々が続いていた俺は、ついに限界が来たみたいであの日気が付いたら眠っていた。それで目が覚めたら――この世界にいた。最初、夢を見てるんだと思ったよ。だって、カレンダーに11月なんて書いてあるんだもん」
思い出したかのように和臣君は笑う。でも、その笑い方がどこか痛々しくて、辛かった。
「でもさ、気付いたんだ。夢の中だろうがなんだろうが、もしも本当に11月なら、まだ瑞穂が生きているんじゃないかって。そう思ったらいてもたってもいられなくなって、急いで学校に行った。誰もいない教室に、いつもそうしていたように一人でいたら……そうしたら当たり前のような顔をして、瑞穂、君が現れたんだ」
「っ……」
「嬉しかった、もう一度瑞穂に会えて、泣きたいぐらい叫びだしたいぐらい嬉しかった。夢でもなんでもよかった。だって、もう二度と会えないと思っていた瑞穂に会えたんだから」
「和臣君……」
「瑞穂と二人でたい焼きを食べて、美味しいねって言って、嬉しそうに笑う瑞穂の隣にいられるだけで幸せだった。もうそれだけで幸せだったんだ」
ああ、それで……。
あの日のことはよく覚えている。あの日の和臣君は自然で、そして不自然だった。その理由がやっとわかった気がした。
そんな私の隣で、和臣君は「でも……」というと繋いだ手に力を込めた。
「ここが夢ではなくて、どういうわけかわからないけれど、あの事故の三ヶ月前の世界にタイムスリップしてきたんだって気付いたときに、このままだとまたあの事故が起きてしまうんじゃないかって不安になった。怖くて怖くてたまらなかった。それで考えたんだ。どうすればあの事故を防げるのかって」
その結果、和臣君がどういう選択をしたのか、その答えを私は知っていた。
「考えて考えて、そして気が付いたんだ。瑞穂が俺のことを嫌いになってしまえばいいって。俺と付き合わずに、俺のそばにいなければあの事故は起きない。起きたとしても――今度こそ死ぬのは俺だって、そう気付いたんだ。なのに……!」
和臣君は顔を上げると、涙をこらえて真っ赤になった目で私を見つめた。
「なのに、瑞穂はいつだって俺のそばに来て、俺の隣で笑うんだ。そんな瑞穂の隣にいられるのが嬉しかった。でも、苦しかった。抱きしめて、俺も好きだって伝えたかった。でも、でも……!」
和臣君の頬を涙が伝う。
その涙を指先でそっと拭うと、和臣君が私を見た。
「でも、あの時間が過ぎれば、そうすればやっと瑞穂に想いを伝えることができる。俺がどんなに瑞穂のことを好きで、大切に思っていて、一緒にいたいと思っているのかを」
「和臣君……」
「正直、まだ事故が起こらないか不安で怖くて、早く時間が過ぎればいいのにってずっと思ってる。……カッコ悪いでしょ」
「え……?」
「あんなふうに、瑞穂は自分の命を懸けて俺を守ってくれたのに、俺は……」
「そんなこと、ないよ」
和臣君の言葉を遮ると、私は言った。声が、震える。そんな私を和臣君は、心配そうに見つめてくる。
「和臣君は、強いね」
「え……?」
「私は……私は、和臣君みたいに強い人間じゃないの……」
「何言って……」
「だって! 私は私が傷付きたくないだけで……結局、私は全部私のためだったの! 和臣君を死なせたくなかったのだって、私が……私が……残されるのが嫌だったから! だから!」
泣くのは卑怯だと思う。
でも、溢れ出した涙は
必死に涙を拭うと、私は心配そうに私を見つめる和臣君を見上げた。
「瑞穂……?」
「私のお母さんが……階段から落ちて死んじゃったって話をしたの、覚えてる?」
「え……うん」
唐突にお母さんの話をし始めた私を、和臣君は
「お母さんね、私が10歳の頃……私と一緒にいるときに死んじゃったんだ」
「え……?」
驚いた様子で、和臣君が私を見た。
この話を他人にするのは、初めてだ。私は、声が震えないように気を付けながら、話を続けた。
「雨の日に二人で買い物に行った帰り道、歩道橋の階段の上ですれ違った人の肩が私に当たって。そのまま私を助けようとしたお母さんと二人して階段の一番上から落ちたの。お母さんに抱きしめられるように落ちた私は奇跡的に無傷だったけど、お母さんは打ち所が悪かったのか、そのまま……」
「そう、だったんだ」
「うん……。雨も降っていたし、頭から流れる血は止まらないし、どうしたらいいかわからないままお母さんって呼び続けてずっと泣いていた。通りすがりの人が救急車を呼んでくれて運ばれるまで、ずっと」
あの日のことは、今でも思い出すと頭の中が冷たくなってくる。だんだんと私の腕の中で動かなくなっていくお母さんの身体を泣き叫びながら抱きしめ続けた。
全身がずぶ濡れになっていることにも気付かないまま、ずっと。
「お母さんが死んでから私はずっと私を責め続けた。どうして私じゃなくてお母さんが死ななきゃいけなかったのかって。誰も私を責めない中で、私だけが責め続けた」
そう、あの時――誰一人として私を責めなかった。
夜な夜な、誰もいないリビングで泣き続けたお父さんも、私の顔を見ると優しく微笑んでギュッと抱きしめてくれた。
その愛情が、温かくて、辛かった。
一緒責めてくれたらいいのにと思った。お前のせいでお母さんは死んだんだって怒鳴りつけてくれた方が楽だった。
「だから、この世界でもう一度あの事故が起きるかもしれないと思ったときに、もう一度和臣君を助けなきゃって思った。だって、私だけが助かったら、今度は和臣君がいない世界で一人生きていかなきゃいけない。また大切な人を失って、一人きりで……そんなの嫌! だから私は……私は……」
和臣君の顔を見ることが、できない。
私は、俯いたまま和臣君が何かを言う前に、口を開いた。
「私はね、和臣君のことなんて考えてないんだよ。私のことしか考えてない。私が、辛いから、私が背負いたくないから、全部和臣君に押し付けて生きることから逃げただけなの!」
時計の針が、動くのが見えた。
「ごめんね」
「瑞穂……?」
瞬間、私の隣で和臣君の身体がよろめいたのが見えた。
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