第18話

 和臣君は私の元へとやってくると、私の腕を掴んだ。


「ねえ、瑞穂。今、なんて言ったの……?」


 どうやって誤魔化そうかと、考えた。でも、和臣君は私の腕を掴んだまま、もう一度問いかけた。


「今、俺が死ぬって、そう言った?」

「ちが……」

「本当に?」


 その真剣な表情に私は……嘘をつけなかった。

 小さく頷くと、震える声で和臣君に告げた。


「このままだと、和臣君が死んじゃうの」

「…………」

「ホントなの! 私はそれを知ってて、だから……!」

「……そっか」


 その声がやけに冷静で、私は顔を上げた。

 そこには、冷たい顔で私を見下ろす和臣君の姿があった。


「かず……」

「瑞穂も、知ってたんだな」

「え……?」


 その表情が、辛そうで、苦しそうで、私はあの日の和臣君を思い出した。

 そうだ、あの時も、こんな顔をしていた――。


「俺も知ってるよ。俺を庇って……瑞穂が死ぬことを」

「っ……どうし、て? どうして、知ってる、の……」


 この世界を、やり直しているのは私だけだと思っていた。そう思い込んでいた。

 でも、もしも、もしも……。


「当たり前だろ。……俺の目の前で、瑞穂は、車にはねられて死んだんだから」、


 言われた言葉の意味が、一瞬理解できなかった。

 私が庇って死んだのを知っている……?

 どうして……。

 まさか。


「和臣君も……なの?」

「瑞穂も、だったんだな」


「こんなの、俺だけだと思ってた」和臣君はそう言うと、自嘲気味に笑った。

 まさかそんなことがあるなんて……。

 私たち二人とも、過去に来てしまっているなんて……。そんなの思いもよらなかった。

 和臣君は、私の目を見て、真剣な表情で言った。


「俺は、この世界で未来を変える。やり直すんだ」

「過去を、やり直す……?」

「そう。誰にも邪魔はさせない。……もちろん、瑞穂にも」


 和臣君は私の手を払うと、目を逸らした。そして、吐き捨てるように言った。


「俺は瑞穂と付き合わない。好きにならない。だから、瑞穂。君も俺を好きにならないで」

「そんなこと……!」

「もう、嫌なんだ! 瑞穂を失うのは、もう嫌なんだ!!」


 和臣君の目から、涙が零れ落ちるのが、見えた。

 私の視線に気付いた和臣君は、袖口で涙を拭うと、私を見下ろした。


「俺は、瑞穂に生きていてほしいんだ。だから……」

「そんなの私だって! 私だって、和臣君に生きていてほしい!」

「……っ! 瑞穂は勝手なんだよ! あのあと、瑞穂に助けられて俺だけ生き残って、それで俺がどんな気持ちだったか、考えたことがあるか!?」


 今まで聞いたことのないような強い口調で、和臣君は言う。

 私が死んだあと――。そんなこと、想像したこともなかった。

 私は、ただ和臣君が生きていてくれればそれでよかった。でも……。


「辛かった。苦しかった。どうして瑞穂が死ななきゃいけなかったんだって、ずっと自分自身を責めてた。本当なら俺が死ぬはずだったのにって、俺が死ねばよかったのにって」

「そんな……」


 あのときの私と同じだと思った。

 お母さんが私を庇って死んだあとの、私と。

 ずっと自分自身を責め続けた。私のせいでお母さんが死んだんだと。

 私さえいなければ、お母さんは死ななかったのに。

 私が、私が死ねばよかったのに、と。


「考えたこともなかったって顔してるね」

「ちが……」

「俺は、瑞穂。君が憎い」

「え……」

「俺に重責を負わせて、いなくなった君が憎くて憎くて仕方がない」

「かず……」


 伸ばした手は、和臣君によって振り払われる。

 そして……。


「ここにいる俺は、瑞穂のことが嫌いだ。大嫌いだ。付き合いたいとなんてこれっぽっちも思わない。今も、これからも、ずっと。……だから、瑞穂。君も、俺のことを嫌いになって」

「む、り……無理だよ、そんなの……」

「瑞穂の気持ちがどうであれ、俺は瑞穂のことが好きじゃない。だから、もし瑞穂から告白されたとしても、断る。それだけは覚えておいて」

「和臣君!」

「それじゃあ、今度こそ俺は帰るよ」


 背を向けた和臣君は、もう振り返ることはなかった。


「……お大事に」


 ドアが閉まる寸前、和臣君の声が聞こえた。

 けれど、私が何か言う前に、ドアは完全に閉まりきってしまう。


「あ、ああっ……!!」


 どうして、どうして、どうして。

 ただ、和臣君に生きていてほしかっただけなのに、それなのに。

 あんなに傷付いた顔をさせていたなんて。あんなに、憎まれていたなんて。

 いくつもの涙が頬を伝って私の手を、パジャマを、布団を濡らしていく。

 このまま、私は何もできないのだろうか。

 和臣君から憎まれたまま、和臣君が死んでしまうかもしれないあの日が来るのを、ただ待っていることしか出来ないのだろうか。

 私だけが生きて、和臣君が死んでしまうだなんて、そんなこと……。


『瑞穂に助けられて俺だけ生き残って、それで俺がどんな気持ちだったか、考えたことがあるか!?』


 ふいに、和臣君の言葉が蘇る。

 私がいなくなった後、和臣君もあの頃の私と同じように、自分だけが生き残ったことに対する悔しさや憤り、負い目を感じていたのかもしれない。

 そう思うと、私がしたことは、結局自己満足に過ぎないのかもしれないと思い知らされる。

 でも……。

 それでも、私は和臣君に生きていてほしいのだ。

 和臣君と出会うことがなければ、遅かれ早かれ捨てていたかもしれない命。それなら、その命を、和臣君のために使いたいと思うのは、そんなにおかしいことなんだろうか。

 それに、私は一度死んでいる。今ここで生きているのは、神様の気まぐれでボーナスステージをもらっただけに過ぎない。

 あの日、和臣君を助けて、私は死んだんだ。


「ごめんね、和臣君」


 もう一度、和臣君に苦しい思いをさせるかもしれない。

 自分のことしか考えてないってののしられるかもしれない。

 それでも、私はあなたに生きていてほしい。

 太陽のように笑うあなたの笑顔が、私への憎しみで染まったとしても、それでも生きていてほしいと思ってしまうから。

 ……でも、結局そんなの全て言い訳で。きっと私は、私自身が苦しみたくないだけなんだ。

 私を庇って階段から落ちたお母さんが、だんだんと動かなくなっていくのを見つめ続けたあの日以来、私はずっと自分自身を責め続けてきた。

 あのときと同じ思いを、もう一度味わいたくないだけなのかもしれない。

 私を残して大切な人が死ぬぐらいなら、私は私自身が死ぬ方が何倍も楽であることを、嫌というほど知っている。

 だから……。


「和臣君は知らないんだね」


 私は、こちら側で目を覚ましてからのことを思い出していた。

 過去に抗おうとした日々を。

 でも、あの頃と違う行動を取ったとしても、結果的に同じことが起こった。

 ――なら。それなら、和臣君と付き合わなくてもいい。

 和臣君のそばで、友達の顔をして笑っているだけでいい。

 そうして、あの事故が起きるときそばにいさえできれば、きっと……。

 決意を固めると、私はベッドの頭元に置いてあったスマホを手に取って、メッセージを打ち始めた。送り先はもちろん――。

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