第10話

 友人たちと他愛ない話をして、授業を受け、私の一日は終わった。

 家に帰ると、言っていた通り百合さんがカルボナーラを用意してくれていて、いつもより1時間以上も早く帰ってきたお父さんと三人で食べた。

 こんなふうに家族団らんのようなことをするのはお母さんが死んで以来だったから久しぶりで、なんだかくすぐったかった。

 ご飯の後は当たり前のようにお風呂に入り、歯磨きをしてベッドに入った。

 そして――朝を迎えた。

 次の日も、学校に行き、宿題を忘れたというコタ君にノートを貸してあげたり、授業で当たるところが分からなかった私に和臣君が教えてくれたりと、何の変哲もない一日を送った。

 次の日も、そのまた次の日も。

 そんな毎日を一週間も続けると、さすがの私も何かがおかしい事に気付いた。

 このよくわからない夢は、いったいいつまで続くのだろうか。

 と、いうかそもそもこれは夢なんだろうか。

 たとえばタンスの角に小指をぶつけたとき、ドアに手を挟んだときには、当たり前のように痛みを感じた。なんなら爪を切りすぎて深爪したりしたときには血さえ出てきた。

 たしか夢の中って、痛みを感じないんじゃなかったっけ……? という疑問が浮かび上がってきていたけど、それから目を背けて続けてきた。

 でも、そろそろ向き合わなければいけないのかもしれない。

 寝る準備をして、ベッドに寝転がると私は考えた。

 もしも、もしもこの世界が私の夢なんかじゃなくて、本当にあの事故の起きる三ヶ月前なのだとしたら。


「そんなこと、有り得ない。有り得るわけないよ……」


 でも、それ以外この状況に説明がつかない。

 何がきっかけかわからないけれど、もしも過去の世界にタイムスリップしたのだとしたら……。

 一瞬、考えた後――私は笑いそうになった。

 きっとまたあの時と同じように和臣君が事故にあいそうになったとしたら、私は何も考えずに彼を助けるだろう。

 それぐらい、彼の存在は私にとって大きかった。

 和臣君がいなければ、私は今もあの日のままひねくれて、拗ねて、反抗して――誰とも仲良くなることもなく、生きているのか死んでいるのか分からないような日々を送っていただろう。

 だから――。

 その時、脳裏に事故の瞬間の、和臣君の顔が思い浮かんだ。

 私が彼を庇う姿を見て、和臣君は悲しくて苦しくて辛そうな表情をしていた。


「っ……」


 あんな表情を、もう一度させてしまうのは、嫌だ。

 じゃあ、どうしたらいいんだろう。


「そっか」


 答えは単純だった。

 私が、和臣君と付き合わなければいいんだ。

 初めからあの日のあの状況を、作り出さなければいいんだ。

 私が水族館に行きたいなんて言わなかったら、和臣君はあの道を通ることなんてないんだから。

 私は、和臣君と付き合わない。

 それが、きっと彼を守って、悲しませることもない唯一の方法。

 少しだけ、胸が痛むけれど……でも、それしかないんだ。


「和臣君……」


 小さな声で呼んだ彼の名前は、頭まで被った布団に吸い込まれて、消えた。



 あの日から数日が経った。

 やっぱり夢から目覚めることはなくて、どうやら私は死ぬ三ヶ月前に、なんらかの要因があってタイムスリップした。多分、きっと、そうなんだろう。

 だから――。


「あ、瑞穂」

「ごめん。ちょっと今、手が離せなくて」


 昼休み、担任に頼まれた背面黒板の上の掲示物を取ろうとしていると、和臣君が声をかけてきた。

 けれど、私はそちらを振り返ることなく淡々と答える。

 あの日、この世界が現実なのかもしれないと気付いてから少しずつ距離を取るようにした。

 友達としての距離感。好きな気持ちをひた隠しにして、友達のふりをして笑っている。それが一番いいのだと信じて。


「これ、取ればいいの?」


 そう言ったかと思うと、和臣君は私の後ろから手を伸ばして掲示物に手をかけた。

 それは、まるで後ろから抱きしめられているかのようで……。私は、背中に和臣君の体温を感じて動けなくなってしまう。


「はい、どうぞ」


 ドキドキしているのがバレないようにそっけなく「ありがとう」というけれど、心臓は大きな音を立てて鳴り響くし、顔が熱くて、もしかしたら耳まで真っ赤になっているかもしれない。


「わ、私!」

「え?」


 渡された掲示物を持つと、私は和臣君の腕の中からするりと抜け出た。


「これ、先生に渡してくるね」


 そう言った私に「いってらっしゃい」と言って和臣君は手を振った。

 教室を飛び出した私は、早足で廊下を歩く。

 距離を取ろうと思っているはずなのに、以前よりもドキドキさせられている気がする。このままじゃダメだと思う、けれどこのドキドキが嬉しくて心地よくて……。前よりももっともっと好きになっていくのを感じる。


「まだ、大丈夫……」


 言い訳がましく、私は思う。

 あの事故が起きる一ヶ月前、私から和臣君に告白して付き合うようになった。

 つまり――私が告白さえしなければ、付き合うこともなく、あの事故も起きないはずだ。告白さえしなければ……。

 だから、もう少しだけ。和臣君のそばでドキドキしていたいと思ってしまう。

 それだけだから……。それだけだったら、許されるだろうか……。

 心の中で問いかけたその問いには、誰も答えをくれない。

 だから、この選択が間違っているかどうかなんて、この時の私にはわからなかった。

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