第9話

 夢とは思えないほど風の匂いも街並みも現実そのもので、でもやはり赤や黄色に色付いた木々が今の季節が秋であることを知らしめる度に、これが現実じゃないことを思い知らされる。

 まあそもそもこれが現実なら、私は万が一生きていたとしても病院で治療されているはずだから、こんなふうにピンピンした状態で歩いたり走ったりスキップしたりできる訳がない。

 だから、やっぱりこれは夢なのだ。そう思うから、普段よりも百合さんに優しく接することができた。そのおかげでどんな想いを今までさせてきたのか、改めて知ることができた気がする。

 生きている内に、もう少しだけ仲良くなれたらよかったな。なんて思えるのは、私が今死んでいて、そんな日々が来ないことを知っているから。

 でも、そう思えただけこの夢を見ることができてよかったのかもしれない。現実は別として、私の自己満足だけど。


「そっか、心残り」


 私はここでようやくこの夢がなんなのかに思い当たった。きっとこれは私の中の心残りを果たすための夢なんだ。

 百合さんに対する態度が心残りだったかと聞かれたら、ちょっと答えに悩むけれど。でも、心の奥底ではもしかしたらそう思っていたのかもしれない。たぶん、きっと。

 でも、それを果たした後もまだ夢が続いているということは、もしかしたら他にも何かあるということだろうか?


「……ま、いいや。考えたってわかんないもん。とりあえず学校に行こう」


 学校に行けば果菜ちゃんや雪乃、それに……和臣君にも会える。

 まだ付き合う前の、私が片思いしていた頃の和臣君に。

 この頃の私は、友達以上になりたいのに好きだって伝えられなくて、ずっと友達のふりをして和臣君の隣にいた。

 誰かが和臣君のことを好きだって噂が聞こえてくるたびに、私も好きだって言いたいのに、友達の殻を破るのが怖くて、もしダメだった時に友達ですらいられなくなるのが辛くて、何も言えないまま誰かが和臣君にフラれるのを待っていた。

 そんなちょっと嫌な子だったこの時期を思い出していると、あっという間に学校に着いた。

 いつもより早い時間の教室には、まだ誰もいなかった。

 もう現実ではこの教室にも通うことはないんだと思うと、それだけで鼻の奥がツンとなる。別に学校が好きだったわけでもないのに、不思議な話だ。

 しばらくすると、教室のドアが開いた。

 そのドアから覗く顔を私は知っている。だって、彼はいつだってみんなより少し早く来ていたのだから――。


「あれ? 瑞穂?」

「おはよう、和臣君」

「おはよう、今日は早いね」


 驚いた顔を見せた後、いつもみたいにニッコリと笑うと和臣君は自分の席へとカバンを置いた。

 ちなみに、この頃の和臣君の席は私の斜め後ろ。斜め前だったら授業中に見ていてもバレないのに、なんて思っていたことをよく覚えている。


「うん、なんか早くに目が覚めちゃって」

「そっか。……あ、俺ジュース買に行くけど一緒に行く?」

「行く!」


 カバンから財布を取り出すと、和臣君と並んで私は教室から出た。

 渡り廊下にある自動販売機で私はミルクティを、和臣君はコーヒー牛乳を買うと、近くのベンチに座った。またこうやって一緒にいられるなんて、不思議な感じだ。

 もう二度と和臣君に触れることは出来ないと思ったから。


「もうすぐ冬が来るね」

「そうだね」

「……瑞穂のところ、もうすぐだよね」


 言いにくそうに、和臣君は言う。一瞬、何のことか分からなかったけれど、その表情を見て気付いた。


「うん、1月の頭が予定日だって言ってた」

「そっか。……大丈夫?」


 心配そうに、和臣君は私を見つめる。

 そんな和臣君に、私は胸が痛んで思わず黙り込んでしまう。

 私の反応をどう誤解したのか、和臣君は「大丈夫なわけ、ないよね」と呟いた。


「何か俺に出来ることあったら言ってね。話聞くのと……あと、父さんの店のケーキを奢ることぐらいしかできないけど」

「ありがとう」


 この頃の私は、百合さんの大きなお腹を見るたびに気持ちが不安定になっていた。それを隠すためにバカみたいにはしゃいだり、そうかと思えば突然黙り込むこともあったりと、完全に情緒不安定だった。

 でも、今の私は咲良の――産まれてくる妹の可愛さを知っている。私の指をギュッと握って「あーうー」と言葉にならない声で話しかけてくる、愛おしい存在のことを知っている。


「でも、大丈夫。私も、ちょっとは大人にならなきゃって思ったの」

「瑞穂……」


 驚いたような表情をした後、私の頭をポンポンとすると「無理するなよ」と和臣君は微笑んだ。

 その表情に胸がキュッと締め付けられる。

 こういうところだ。こういうところに私は弱いんだ。

 何気なく相手のことを気遣える、優しい人。

 ジュースを買いに行くのだって、きっと私が普段よりも早い時間に登校していたから、何かあったんじゃないかと思って誘ってくれたんだと思う。


「和臣君って優しいよね」

「な、何だよ。急に」

「別に、思ったから言っただけー」

「……でも、誰にでも優しいわけじゃないよ」

「え……?」


 なんと言っていいのか分からず、一瞬言葉に詰まった私を――和臣君は笑った。


「なんて、ね」

「も、もお! からかったなー!」

「あはは。あ、それもらうね」


 飲み終わったジュースのパックを私の手から取ると、自分のパックと一緒にゴミ箱に入れて、それから私を振り返ると和臣君は言った。


「そろそろ教室に戻ろうか」


 私たちは、友達よりは近くて、恋人よりは遠い距離で並ぶと、二人で教室へ歩く。

 触れそうで触れない指先が、和臣君の気配を感じるたびにドキドキしていた。

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