第2章
第8話
目を固く閉じたまま衝撃を待っていたけれど、いくら待ってもその瞬間が訪れないことに気が付いた。
おかしい――。痛いとか苦しいとか、そういうのってこういう時は感じないものなんだろうか。もしくは即死で、そんなことを感じる暇もなく死んでしまったとか? でも、全く感じないなんてそんなことがあるんだろうか。
不思議に思った私は、閉じたままだった目を、恐る恐る開けてみることにした。
すると――目の前は真っ暗闇だった。
ああ、やっぱり私は死んでいて、ここが死後の世界なんだ。不思議な感じだ。まるでベッドの上に寝転んでいるかのような感触の地面に、どこか懐かしい匂いのするこの空間……。
まるで自分の部屋にいるみたい――。
「って、あれ!?」
目が慣れてきたのか、
自分の部屋にいるみたい、じゃない。ここは私の部屋だ。いつものようにお気に入りのパジャマを着て、いつものようにベッドの下に布団を蹴っ飛ばして、それで……当たり前のように、心臓が動いている。
「死後の世界に、私の部屋が用意されているの……? こんなに忠実に再現されているなんて、凄い……」
普段そうしている様に充電器に刺さったスマホを取るとディスプレイをオンにした。すると……おかしなことに気がついた。
「5時40分か。……あれ? 11月……?」
スマホには【11月3日 午前5時40分】と、確かにそう表示されていた。でも、おかしい。だって、私が事故にあったのは――。
カーテンを開けて窓の外を見る。
街灯に照らされた街路樹にはまだたくさんの葉がついていた。11月と表示されていたことを考えると、今が朝ならもしかすると紅葉しているのすら見えるのかもしれない。けれど、いくら今が明け方といえどまだ日が昇る前。街灯の光ではそこまでわからない。
そういえば、この部屋も暖房を入れていないのに涼しいぐらいの気温なのは、今が真冬ではなく……秋だから?
ううん、でもそんなのおかしいじゃない。確かにさっきまで私は2月の街中にいて、和臣君と一緒に歩いていたんだから。迫りくる車から彼を守るために、この手で突き飛ばした感触だって、今もはっきりと残っている。
なのに……。
「あ、わかった。私、死んでから夢を見ているんだ」
死人が夢を見るのか、なんてことは知らないけれど、神様のほんの気まぐれなのかもしれない。じゃないと、こんなまるでタイムスリップみたいなこと……。
「ないない。あるわけないって。……いたっ!」
笑いながらベッドに飛び込んだ私は、頭元に置いてある目覚ましで頭をぶつけた。ああ、そういえばこの目覚まし年末に寝ぼけてベッドから落として壊れちゃったんだよね。そっか、秋だからまだ動いているのか。なんか不思議な感じだなぁ。
とにかく、せっかく懐かしい夢を見ているのなら会いに行かなくちゃ。
まだ学校に行くには早いけれど、私はクローゼットから制服を取り出して着替えはじめた。
念入りにヘアーチェックもして、全ての準備が終わった頃には、7時を少し過ぎていた。そっと下に降りると、百合さんが鼻歌を歌いながら朝ごはんを作ってくれているのが見えた。
その姿に、違和感を覚える。……あ、そうか。
「まだ、産まれてないんだ」
久しぶりに見る百合さんの大きなお腹。今が秋ということは、年明けに生まれた妹の
夢の中だというのに、時系列まできちんとなっているだなんて感心する。
ブツブツと独り言を言っていた私に気付いたのか、百合さんが視線をこちらに向けた。
「瑞穂ちゃん、おはよう」
「おはようございます」
これは夢の中だ、そう思うと――思った以上にすんなりとそして優しい口調で返事ができた。
けれど百合さんは、そんな私の態度に一瞬驚いたような表情をした後、嬉しそうに言った。
「きょ。今日は早いのね! もう学校に行くの?」
「はい。……あ、お弁当ありがとうございます」
「ううん! ううん、そんなこと……」
声を詰まらせる百合さんに驚いていると、私の後ろからお父さんの声がした。
「おはよ……おい、どうした? 何を泣いてるんだ? 瑞穂、お前……」
「え? 何が?」
「違うの! 私が……勝手に……」
突然泣き出した百合さんの元へとお父さんは慌てて駆け寄ると「どうしたんだ? 泣いていちゃあ分からないだろ」と声をかけていた。
私も意味が分からない。なんなら、いつもよりも自然に挨拶ができたと思ったし、普段は行ったことがなかったお弁当へのお礼も言ったのに泣かれてしまうなんて。それとも、実は私が気付いていないだけで何か百合さんを傷付けるような言葉が含まれていたのだろうか。
そんなことを考えていると、目尻に光る涙を拭いながら百合さんは微笑みながら言った。
「うれ、しくて……」
「え……?」
「瑞穂ちゃんが「お弁当ありがとう」って言ってくれて……それで……」
ああ、そうか……。
百合さんの反応を見て、自分がどれほど彼女に対して酷い態度を取っていたのかを思い知り、胸が痛んだ。
あの日、和臣君のお父さんと和臣君に言われて百合さんへ少し歩み寄ることができたけれど、それはほんの少しで。以前よりはましになっていたと思うけれど、それでも無視をしないとかお父さんの帰りが遅い日に百合さんと二人一緒のテーブルでご飯を食べるとかその程度のことだった。
こんなに喜んでくれるのなら……もっと早く声をかければよかった。もっと早く、子どもじみた反抗なんてやめればよかった。百合さんがいい人なことに、気付かないふりなんてしないで。
「瑞穂、お前……」
お父さんは信じられないとでもいうかのような表情で、私と百合さんを交互に見ている。あれは、本当は私が何か言ったのを百合さんが庇っているんじゃないかとかいろいろ考えている顔だ……。
失礼な、とイラッとする気持ちがないわけではなかったけれど、今までの私の態度を思い出すと、お父さんの反応も仕方がないものなのかもしれない。
だから私は、お父さんを無視すると、受け取りそびれたお弁当をカウンターの上から取ってカバンに入れた。そして、百合さんの方を向いた。
「今日、早く学校行かなきゃなんでもう行きますね。……それと」
「え?」
「今日の夜、パスタが食べたいです」
「っ……! わかった、パスタね! 瑞穂ちゃんの好きなカルボナーラ作るわ」
「それお父さん嫌いですけど……」
「いいのよ! 瑞穂ちゃんが好きなんだから、今日はカルボナーラ。いいでしょう?
「お、おう……」
いまいち状況についていけていないお父さんは、まだポカーンとしたまま、それでも慌てて返事をすると私に「父さんも早く帰ってくるから一緒に食べよう」と言った。
「考えとくね。じゃあ、行ってきます」
まるで仲のいい親子のような会話をして、私はリビングのドアを後ろ手で閉めた。
――ドアの向こう側からは百合さんがすすり泣く声と、百合さんに何か声をかけるお父さんの声が聞こえた。
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