第6話

 話し終えたあと、和臣君は私の隣に並んでブランコに座った。

 何も言わない和臣君に、私は早口でまくし立てるように口を開く。


「子どもみたいだよね! こんなことで家を飛び出しちゃったりさ!」

「え?」

「わ、わかってるんだ。このままじゃいけないって。受け入れなきゃって。でも……」

「……別に、受け入れなくたっていいんじゃないかな」

「え……?」


 私の言葉を遮るように、和臣君は落ち着いた口調でそう言った。

 隣にいる和臣君を見上げると、和臣君は立ち上がってブランコを大きく漕いだ後、一際高くなったタイミングで飛び降りて、そして私の方を振り返った。


「いくら子どもだっていったって、俺たちだって一人の人間なんだから。受け入れられること受け入れられないことがあって当然だよ。嫌なこともあれば悲しいこともある。それを全部大人の都合でコントロールしようなんて無理な話だよ」

「和臣君……」

「それよりも!」


 和臣君は怒ったように言うと、私に近付いてくる。その声に、思わず身構えた私は、反射的にギュッと目を閉じた。

 けれど、そのあとに訪れたのは怒声ではなく、優しいぬくもりだった。


「なんでこんなこと一人で抱えちゃうんだよ! 何かあったら声かけてって言ったじゃん」


 その声がやけに近くで聞こえて――そして、ようやくぬくもりの正体に気付いた。それが和臣君に抱きしめられていることによるあたたかさだと。


「か、和臣く……」

「泣いていいんだよ」

「え……?」

「大丈夫なふりなんてしなくてもいいんだよ。辛い時は、泣いていいんだから」

「っ……」


 ギュッと抱きしめられると、和臣君の優しさが伝わってきて……気が付けば子どものように声を上げて泣いていた。



「落ち着いた?」


 どれぐらい時間が経ったのか――ふいに和臣君の声が聞こえて顔を上げた。涙でぐしゃぐしゃになった顔を拭うと、私を優しく見つめる和臣君の姿があった。


「ご、ごめんね!」

「なんで謝るのさ」

「だって……」

「瑞穂が謝らなきゃいけないことなんて何もないよ」

「和臣君……」


 和臣君の優しさにまた涙が溢れそうになるのを必死でこらえると、私は「ありがとう」と和臣君に伝えた。そんな私に和臣君は、もう一度優しく微笑んだ。

 その笑顔に……私は胸が熱くなるのを感じた。



 それからしばらく二人でブランコに座っていたけれど、太陽が完全に沈みきって、公園の街灯にも明かりがついた。和臣君に「これからどうする?」と尋ねられて、私は返事に困った。戻らなければいけないことは分かっている。でも、今帰ってあの人の顔を冷静に見ることができるだろうか……。

 黙ったままでいた私に、和臣君は言った。


「行くところないなら、うちに来る?」

「え……?」

「っていっても、さすがに俺の部屋はダメだけど……。父親のケーキ屋のカフェの方ならあと1時間ぐらいは開いているから」


 スマホで時間を確認して、和臣君は立ち上がった。そういえば、和臣君のお父さんはケーキ屋さんをしているって言っていたっけ……。

 いつも遊びに行くときはおうちの方ばかりだったから、ケーキ屋さんの方に行くのは初めてだ。


「お邪魔じゃないかな……」

「客として行けば何も言われないよ」


 そう言って笑うと、私の手を取って和臣君は歩き始めた。

 こうやって誰かと手を繋いで歩くのなんて、それもお父さん以外の人となんて小学生の遠足以来かも知れない。私のものとは違う、あの頃繋いだ男の子の手とも違う、少し筋張った男の人の、手……。

 きっと和臣君はそんなつもりはないのかもしれない。でも、私は繋いだ手から心臓のドキドキが伝わってしまいそうで、必死で何でもないふりをしていた。

 カフェについて注文した紅茶とケーキを待っている間に、和臣君は「遅くなるって、電話だけでもしておいた方がいいよ」と言うと、席を外してくれた。

 私は……アドレス帳からお父さんの名前を呼びだすと、電話をかけた。

「今どこにいる」と言った声が少し焦っている様子だったので、きっと私が帰っていないことをあの人から聞いていたんだと思う。友達の家にいるというと一瞬の間の後で「気をつけて帰ってきなさい」とお父さんは言った。

 怒られなかったことにホッとしながらも、ほんの少しだけ胸が痛んだ。


「大丈夫だった?」


 プレートにケーキと紅茶を乗せて戻ってきた和臣君は、心配そうにそう言うと私の前に美味しそうなケーキを置いた。私は栗が乗ったモンブラン、和臣君はほろ苦いザッハトルテ。どちらもとっても美味しそうでキラキラしている。


「うん、気をつけて帰ってきなさいって。それだけ」

「そっか……」

「もう、私なんてどうでもいいのかも」

「そんなこと……」

「だって、赤ちゃんが出来たら……。私だけ、あの家でよそものだもん」

「瑞穂……」


「しょうがないよね」とできるだけ明るく言ったつもりだったけれど、喉の奥が絞まって声が詰まる。泣かないようにと思えば思うほど鼻の奥がツンとなっていくのがわかった。

 そんな私を和臣君は心配そうに見つめていた。


「みず……」

「子どもを心配しない親なんて、いないよ」


 突然、頭の上から少し低い男の人の声が聞こえたかと思うと、和臣君が「父さん……」と呟いた。

 顔を上げるとそこには、切れ長の目元が和臣君とよく似た、お父さんと同じぐらいの年齢の優しげな男の人が立っていた。


「あ、あの……」

「こんばんは、和臣の父です」

「こ、こんばんは! 私……」

「瑞穂ちゃん、だよね。いつも和臣と仲良くしてくれてありがとう」

「と、父さん……!」


 その言葉に、和臣君は慌てた様子で立ち上がると何か言いたそうに……ううん、どちらかというと何も言うなとでもいうかのようにお父さんをジッと見つめていた。そんな和臣君の様子を不思議に思っていると、和臣君のお父さんは優しく微笑みながら私の方を見た。


「親はね、子どもが思っているより子どものことを心配しているものだよ」

「そう、でしょうか……」

「ん?」

「父や……父の再婚相手の人からしたら、私は邪魔なだけじゃないですか? だって、新しく家族が出来た時に、私の存在は――」


 不必要なんじゃあ、そう続けようとした私の言葉は、和臣君のお父さんの優しくて、でもハッキリとした声によって遮られた。


「本当にそうかな?」

「え……?」

「瑞穂ちゃんは、ちゃんと二人の話を聞いたことがあるかい?」

「それは……」

「……まあ、これ以上はねおじさんは口をつぐむよ。和臣にもあまり説教じみたことを言うなと怒られてしまいそうだしね」


 和臣君のお父さんは「あまり遅くならないようにね」と言うと、レジの方へと戻って行った。私は、言われたことが頭の中でぐるぐるして俯いたまま黙り込んでしまっていた。

 そんな私の顔を覗き込むようにして、和臣君は言った。


「ごめんね。父さんが急に、事情も知らないのにあんなこと言って……」

「ううん、そんなこと……」

「でも、俺も……一度二人に話を聞いてみてもいいんじゃないかと思う」

「和臣君……」


 和臣君は真剣な表情でそういうと、私の手に自分の手をそっと重ねた。その手のぬくもりが優しくて私は顔を上げた。


「今のままじゃあ、瑞穂がどんどん辛くなるだけだよ。そんなのダメだ。ちゃんと話をして、二人の気持ちを聞こう?」

「でも……。もし、お前なんかいらないって言われたら?」


 そうだ、私は怖いんだ。

 お父さんに、お前なんかいらない。あの人とあの人との間に産まれる子どもさえいればそれでいいって言われるのが……。

 そんな私の手を和臣君はギュッと握りしめた。


「その時は、俺が瑞穂のお父さんをブッ飛ばしてやるよ」

「っ……和臣君……」


 普段の和臣君からは考えられない物騒な言葉に思わず私が噴き出すと、和臣君はホッとしたように笑うと「やっと笑った」と言った。


「大丈夫、俺がいるよ。もしも不安なら俺も一緒に行ってあげる。怖かったら手を握っていてあげる。何かあったらすぐに駆けつける」

「どうして……」

「え?」

「どうして、そんなにも優しくしてくれるの?」


 私の問いかけに、和臣君は一瞬言葉に詰まった後、ニッコリと笑うと言った。


「だって、友達だろ」


 友達――。

 嬉しいはずの言葉が、どうしてか胸に突き刺さって痛い。

 どうして……。

 そんなの自分自身に問いかけるまでもなかった。

 私は、友達じゃあ嫌なんだ。

 いつの間にか、こんなに、こんなにも和臣君のことを好きになっていたんだ。


「瑞穂……?」

「……ううん、ありがとう」


 ショックを受けていることを気取られないように微笑むと、私は手元のケーキを口に運んだ。

 甘くて、優しい味のモンブラン。

 でも、それがこんなにもほろ苦く感じるなんて――。


「美味しいね」

「よかった」


 和臣君も自分のケーキをフォークですくうと、口に運んだ。ほろ苦そうなそれを和臣君は美味しそうに頬張っていた。

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