第5話

 公園を挟んで向こうの通りにある和臣君とは、家の近くの信号機まで一緒で、私たちは分岐点まで二人で歩いて帰った。


「じゃあ、また明日」

「うん、また明日」


 和臣君と別れるときは、いつも心がざわつく。

 寂しいとかもっと一緒にいたいとかそういうのもあるけれど、それだけじゃないことは私が一番よく知っている。

 一人になると、私はそれまで軽かったはずの足取りが一気に重くなるのを感じながら、一歩一歩引きずるようにして自宅へと帰った。


「あれ……?」


 玄関のドアを開けようとすると鍵がかかっていて、あの人が不在なことを知った。

 もう子どもじゃないんだしそんな必要はないと何度か言ったのだけれど、私が鍵っ子だったから可哀そうだと思っているのか、あの人は私が帰る時間になると家の鍵を開けて待っていた。別に今までだって自分で鍵を開けて入っていたし、それの何が可哀そうなのかわからない。むしろ、そうやってあからさまにアピールをされる方が、今までの私を否定されているようでイラつく。そして、そんな小さなことでイラついてしまう自分自身にもイラつく……。

 なので、あの人が不在なことにほんの少しだけ安堵あんどしながら、私はポケットの中から鍵を取り出して家へと入った。

 引っ越してきて二か月が経ったけれど、未だに自分の家だという感じがしない。お父さんもあの人も私に気を使っているのが見え見えで、それすら鬱陶しい。

 いっそのこと、そんな態度を取るなと怒られた方がまだマシかもしれない。そんな勝手な事を思いながらリビングのドアを開けると――ソファーの上に人影があった。


「っ……!!」


 いないと思っていたけれど、どうやらいたらしい。

 あの人――父の再婚相手は、私が帰ってきたのにも気付かずにソファーの上で眠っていた。

 キッチンの方からは甘い匂いが漂ってくる。食卓に置かれたカゴの中にドーナツが入っているところを見ると、作って待ってくれていたようだ。

 ……悪い人ではないことはわかっている。

 今回の引っ越しがこの人のせいではなくて、たまたまお父さんの転勤とこの人との再婚の時期が重なってしまっただけというのもわかっている。

 わかってはいても、感情が追い付かない。

 子どもじゃない、なんていったって……これでは子ども扱いされても仕方ないのかもしれない。


「……風邪、ひくよ」


 椅子に掛けてあったカーディガンを見つけると、私はそれをソファーの上で眠るあの人に向かってかけようとした。――その時だった。一冊の手帳のようなものが、目に入ったのは。


「っ……。な、に、これ……」


 思わず手に取ったそれはファンシーな色の手帳で、表紙には可愛い赤ちゃんのイラストとともに“母子手帳”と書かれているのが見えた。

 一瞬、理解ができなかった。母子手帳って……なんで……どういう……。


「っ……!!」


 気が付いた時には、私は家を飛び出していた。

 でも、こんな時間からどこに行くことも出来なくて……。結局近くの公園に私はいた。


「なに、あれ……」


 日の暮れた公園にはもう子どもの姿はなく、静まり返っていた。私が乗ったブランコがキーと鳴る音だけが響いていた。


「気持ち悪い……」


 なにあれ、なんて言ったところで、実際はあれがどういうものかなんてわかっている。二人はいい大人で、しかも再婚したならそういうことがあっても当然だし仕方ないって分かってはいる。でも……。

 手の中には、さっき見つけた母子手帳があった。慌てて飛び出してきたものだから、持ってきてしまっていた。

 今頃、目が覚めたあの人は、これがないことに気付いて探しているだろうか……。


「っ……」


 一瞬、捨ててしまおうかと思った。なかったことにしてしまおうかと。

 でも……どうしてもできなかった。

 生まれてくる赤ちゃんに罪はない。あの人とお父さんが悪いわけでもない。

 ただ、私だけが受け入れられずにいるだけで……。


「瑞穂……?」


 その時、どこからか私の名前を呼ぶ声が聞こえた。

 慌てて顔を上げると、公園の入り口に人影が見えた。あれは……。


「和臣、君……」

「やっぱり瑞穂だ。どうしたんだよ、こんなところで。家に帰ったはずじゃあ……」


 慌てたように駆けてくると、ブランコに乗る私の前にかがんで視線を合わせた。

 そして……手の中の手帳に気付いたのか、心配そうに私の名前を呼んだ。


「瑞穂……?」

「あ……」

「これって……母子手帳?」

「っ……」


 小さく頷いた私の手に、和臣君の手が重なった。


「何があったか、教えてくれる?」


 和臣君の手のぬくもりが温かくて……泣きそうになるのをこらえながら私は話しはじめた。

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