第1章
第1話
こうやって目を閉じていると、初めて
本人に言うと、大げさだななんて笑っていたけれど、あの頃の私はきっと和臣君に出会うことがなければ、何かの拍子に命を投げ出していただろうし、そうでなかったとしても誰とも仲良くなることなく、何も楽しいこともなく、ただひたすら時が経つのを待つかのごとく、一日一日を無駄に過ごしていたと思う。
和臣君と知り合ったのは高校二年の五月、今から九ヶ月前のことだった。
家庭の事情で中途半端な時期に転校することになった私は、新しいクラスになって一ヶ月の、もうグループも出来上がっている中に一人ポツンと放り込まれた。
「遠山瑞穂です。……よろしくお願いします」
自己紹介をした私に、クラスメイト達の好奇な視線が突き刺さるのをヒシヒシと感じた。それもそうだろう。こんな時期に転校だなんて、訳あり以外に何があるというのか。
それでも物珍しさからか初日は沢山話しかけられた。「どこから来たの?」「何でこんな時期に?」「どこに住んでるの?」と。
答えなければいけない、そう思えば思うほど言葉が出なくなる。そして、そうこうしているうちに、周りにいたクラスメイト達は興味を失ったのか、一人また一人と私の元を去って行った。
そして一週間が経つ頃には、私はクラスの中で浮いている異質な存在となっていた。
以前までの私だったら、こんな状況になる前に手を打ったと思うし、そもそも人の話の中に入っていくのは嫌いなタイプでもなかった。でも、今は――。
ガタンと音を立てて立ち上がる。休み時間、賑わう教室の中でそんな私に気をとめる人は誰もいなかった。
「失礼します」
「あら、どうしたの?」
「ちょっと具合が悪くて。次の時間休んでいてもいいですか?」
「仕方ないわね」と言って、保健室の先生はベッドを用意してくれた。靴を脱いでベッドの上に上がると、シーツのひんやりとした感触が気持ちよかった。
このままここで放課後まで眠っていられたらいいのに――。そんな私の考えが透けて見えたのか、保健室の先生は「次の時間は行くのよ」と言うと、何か用事があるらしく職員室へと行ってしまった。
「はーい」と気の抜けた返事をした時には、保健室には誰もいないのか返事はなかった。
シン……と、静かなこの部屋にいると、現実の色々が全てなかったことになるんじゃないかとさえ思わせてくれる。
そんなこと、あるわけないのに……。
ついこの間まで着ていたブレザーとは違うリボンの大きなセーラー服が、この数か月の出来事が現実であることを物語っていた。
転校も、父の再婚も、全部……。
「しつれーしまーす。……あれ? 先生、いないの?」
突然聞こえてきたその声に、私の意識は呼び戻された。
ごそごそと何かを漁る音が聞こえたかと思うと、ガッシャーンと何かをひっくり返したかのような大きな音がした。その音に驚いて、ベッドを隠すようにかかっていたカーテンの隙間から顔を出すと、一人の男の子と目があった。
「……あれ? 遠山さん、だっけ? 何してるの?」
「え?」
突然名前を呼ばれて驚いていると、彼は人懐っこい笑顔を見せてそう言った。
私のことを知っていると言うことは、同じクラスの人だろうか……。
クラスメイトの顔なんて全く覚えてなかった私は、何と言っていいか分からずに黙ったままでいると、彼が笑った。
「あ、その反応は俺のこと覚えてない? まあ、しょうがないよね。まだ転校してきて一週間なんだし。俺は安藤だよ。みんなにはあんちゃんとか下の名前で和臣って呼ばれてる」
「安藤、くん……」
名前を呼んだ私に、安藤君は「はぁい」と言って笑った。
その笑顔が妙に爽やかで優しそうで甘くて、何故か胸が締め付けられるように苦しくなって――そして吐き気がした。
何も苦労をしていなそうな笑顔。きっと幸せいっぱいで育ってきた人なんだろう。
安藤君の笑顔から目が離せない。でも、そんな気持ちとは裏腹に、その笑顔を見ていたくないとも思う。私とは真逆の人生を歩んでいるであろう、幸せそうな笑顔を。
そう思うと、安藤君の笑顔を真っ直ぐ見ることが出来なくて……私は顔を背けた。
私のそんな態度に気付いていないのか、安藤君は「あのさ」と私に声をかけた。
「遠山さん。包帯巻くのって得意?」
「え……?」
その言葉に導かれるように視線を下げると……安藤君の膝にはパックリと裂けたような傷跡があった。洗い流したのか血は滲む程度になっていたけれど、それでも痛々しいことに変わりはない。
思わず眉をしかめた私に、安藤君は「ドジっちゃった」とまた笑った。
「痛くないの……?」
「痛いよー」
安藤君の手から包帯を受け取ると、私はガーゼを当てた上に包帯を巻いた。そっと巻くように気を付けたけれど、何度か頭上から小さな呻き声が聞こえてきた。
端を切って小さく結ぶと、安藤君は感心したような声を出した。
「凄い器用だね。俺、こういうの下手でさ。よく転ぶんだけど、いっつも適当に絆創膏貼ってて。傷口の方が大きい時は剥がすのめっちゃ痛いんだよね」
「そ、それは痛いに決まってるよ……」
想像しただけで、痛い。
そう言った私に、安藤君は「だろ?」と言って笑う。
本当によく笑う人だ。保健室に来てまだ十数分しか経っていないのに、もう何度も安藤君が笑うところを見た気がする。
「それ……」
「ん?」
「なんでそんなことになったの?」
確か今の時間は現代文のはず。なのに、どうして脚を、しかもこんなに酷く怪我したというのだろう……。そんな私の疑問に、安藤君は笑いながら答えた。
「それがさ、休み時間にグラウンドに行ってたらチャイム鳴っちゃって。慌てて走って教室に戻る途中、階段でね」
「階段で……?」
「一番上から飛んだらバランス崩しちゃった」
恥ずかしそうに笑うけれど、それどころじゃない。想像しただけで背筋が冷たくなる。どうして……。
「遠山さん?」
「バッカじゃないの!?」
「え……?」
「そんなことして! 足だからよかったけど、頭打ってたら死んじゃうこともあるんだからね!」
「う、うん……」
私の剣幕に押されたのか、安藤君は驚いた顔で私を見つめていた。
ジッと見られると、居心地が悪い。……仕方なく私は口を開いた。
「……私のお母さん、私が小さい頃に階段から落ちて頭打って死んじゃったの」
「え……」
「だから……」
「ごめん!」
私が言い終わらないうちに、安藤君はそう言って頭を下げた。
突然のことにどうしていいか分からずにいると、もう一度「ごめん」と言った。
「嫌な話をさせてごめん!」
「あ……ううん。もう昔の話だから……」
「でも、こんな知り合って間もないようなやつにこんな話……。ホントごめん……」
まるで叱られた子どものようにシュンとした表情で謝るから……私はなんだか可笑しくなった。そんな私を安藤君は不思議そうに見る。
「遠山さん?」
「気にしなくて大丈夫だよ。私が話したことだしね」
私は安藤君の膝に包帯越しに手を当てた。そして小さな頃、お母さんがしてくれていたみたいにそっと撫でた。
こうやってされると痛みがスッと引いて、顔を上げるとお母さんが優しく微笑んでいて……。泣いていたはずなのに、笑顔になったのを思い出した。
「あ、あの……」
「え……?」
その声に顔を上げると、頬を赤くして困ったような表情で私を見ている安藤君の姿があった。
「ご、ごめん!」
「い、いや……その……」
慌てて手を離すと、安藤君につられるように私の頬も赤くなるのを感じた。いったい私は何をしているんだろう……。知り合ったばかりの、それも男の子とこんな……。
「ふっ……」
「え……?」
「いや、遠山さんって教室だと静かだし喋らないからさ、大人しい人なのかなって思ってたけど、なんか面白いね」
「そんなこと……」
安藤君はそう言って笑う。その笑顔が眩しくて、私は逃げるように窓の外へと視線を向けた。
「あ……」
「え?」
「虹……」
窓の外には虹が出ていた。雨なんかこれっぽっちも降っていなかったのに、まるで絵の具で塗ったかのようなくっきりとした虹が出ていた。
「凄い……」
「ホント凄い……」
しばらく二人揃って虹を見つめて、それから顔を合わせて笑った。
それから安藤君は使った包帯なんかを片付けながら私に言った。
「転校してきたばっかりでいろいろ大変だと思うけど、何かあったら声かけてよ。せっかく同じクラスなんだしさ」
「え……?」
「クラスのやつらもさ、うるさかったり賑やかだったり騒がしかったりするけど……」
「それ、全部一緒……」
「あ、そっか。まあ、そんなだけどさ、でも悪いやつらじゃないし。それに、ほら……俺もいるしさ」
照れくさそうに言う安藤君に、私は小さく笑った。そんな私を見て、安藤君も笑う。
「ありがとう」
「どういたしまして。……って、いってもまだ何にもしてないけどね」
そう言って笑う安藤君に、もう嫌な印象はなかった。
私が目を背けているだけで、きっとクラスのみんなとだって話してみれば打ち解けられるのかもしれない。
そんなふうに思わせてくれるほど、彼の笑顔はキラキラと輝いて見えた。
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