めぐり桜のファンファーレ

いち亀

蒼河菜桜の桜色ダイアリー

 ――霊核安定性クリア。転送先座標、クリア。視覚入力、聴覚入力、ともに良好。第一種疑似体験状態、確立。


 観測装置に入った私を、全身が溶けていくような感覚が包み。

 再び意識がはっきりすると、私は故郷の道の上を浮いていた――正確には、そう感じているだけだが。


菜桜なおちゃん、聞こえますか?」

 通信も問題なし。

「大丈夫です、座標操作も問題なく行えます」

「何よりです。それでは終了時間が近づいたら呼びに来るので、ごゆっくり」

「はい、お願いします!」


 通信を切ってから、私は久しぶりの故郷を歩き出す。

 見える、聞こえる。味とにおいと触感、その他諸々は感知できないが、様子を見守るには十分だ。

 しかし私の存在は、ここに生きる誰にも分からない。私から干渉することもできないから、存在しないのと同じだろう。これじゃ「幽霊の女の子」の都市伝説にはなれないが、まあ、幽霊を自称したっていいだろう。

 

「じゃあ、さて、行きますか」

 

 *


 十四年前。私は八歳のときに交通事故で亡くなった。

 それから私の魂は霊域あの世に流れ着き、めでたく霊人として第二の人生を送ることになり。

 現世に生きる人たちを霊魂の干渉から守る、そんな組織の一員として、あの世で働き続けていた。

 その傍らで、たまにこうやって元の世界を覗かせてもらっているのだ。


 生きている人に、私の姿は見えない。声も聞こえない。何の干渉もできない――と、されているが。それでも。

 こうやって幽霊が見守る視線を、感じているような人もたまにいるし。

 届かなくたっていい、言いたいことは言いたいのだ。


 *


 まず訪れたのは、蒼河あおかわ家。私が生まれ育った家で、今も家族が暮らしている場所だ。

 窓から覗いてみると、誰もいない――おかしいな、今日は休日のはずだけど。少し考えてから、近くの公園へ行ってみると、案の定。

 お母さんと、弟の耕咲こうさく。木の下にレジャーシートを敷いて、サンドイッチをつまみながら、三分咲きくらいの桜を見上げている。

 満開にはほど遠い、しかし確かに、今年も咲き始めた、桜の木。


「ただいま、お母さん」

 届かない挨拶を口にしながら、歩み寄ると。


「お母さんさ」

「うん?」

 いまだに聞きなれない、低い弟の声に。変わらない――明るさが少しずつ戻ってきたような、お母さんの声。

「最近、桜が咲いたときに、お姉ちゃんが来たよって言わなくなったよね」

「だって耕咲が言い返すから……」

「ごめんって。あの頃まだガキだったからさ、理屈こねて言い返すのが大人だって思い込んでたの」

「じゃあまた言ってもいいの?」

「……ノリよく返せるかどうかは微妙ですけどね」

 


 私が来たときに私を話題に出す、そのタイミングのよさに「やっぱり見えてない?」とツッコミながら、私もシートに腰を下ろす。


 菜桜という、名前の由来。

 枯れた草木が芽吹くように、厳しい寒さの先で、花がまた咲き誇るように。その色と香りが、誰かを元気にするように。

 困難を乗り越えて、人を幸せにできる人に、なりますように。

 お母さんから聞いたそんな話のおかげで、私は自分の名前が好きだったし、桜の花が好きだった。「桜」を嫌いにならないような温かい家庭であったことが、嬉しかった。


 私がいなくなったことで、その温かい記憶がどれだけ三人を苦しめたとしても。

 私はその温かさを、喜びだと信じたい。


「あ、お父さん戻ってきた」

 弟の視線の先を辿ると、コンビニの袋をぶら下げたお父さんだった――うわあ、またハゲが広がった。

「またビール?」

「いんや、ノンアルだって」

「どうせ本物が呑みたいって言う癖に……」

 呆れたように言いながらも立ち上がる弟の身長を、よく見てみると。どうやら、お父さんの背を追い越したらしい……そうか、もう十六歳だもんね。


 こうちゃん。

 大きくなったね、おめでとう。


 それから、三人の会話を聞いていく。


 お母さん。

 ママさんバレー大会の活躍、おめでとう。友達との東北ふたり旅、おめでとう。変わらず美味しそうな――美味しい料理、おめでとう。

 

 こうちゃん。

 部活のレギュラー入り、おめでとう。低くなった声、おめでとう。女の子が気になる年頃、おめでとう。


 お父さん。

 勤続二十周年イブ、おめでとう。贔屓の球団のリーグ優勝、おめでとう。改善してきたコレステロール値、おめでとう。


 みんな。

 今日も生きていること、おめでとう。ありがとう。


 私、まだ会いたい人がいるからさ。


「じゃあ、行ってきます」


 私がそう言うと。そよ風が枝を揺らして。お母さんが、私の方を向いた。

 今にも泣き出しそうなその目に、一瞬だけ笑いかけてから。涙が溢れてしまう前に、私は背を向ける。


 *


 それから私は、故郷を駆け巡る。

 

 小学校の先生。

 退職まで後一年、おめでとう。娘さんが連れてきたヤンキー系の彼氏、おめでとう。あまり理想の生徒像を押し付けるのも考え物ですよ。


 幼稚園の友達の男の子。

 バンドのライブ成功おめでとう。後輩の彼女おめでとう。留年は……楽しい大学生活が伸びるじゃん、おめでとう。ちゃんと勉強してね。


 近くの八百屋のおばあちゃん。

 まだまだ現役、おめでとう。カタカナが覚えられない新品種、おめでとう。けどそろそろ休んだ方がいいかもです。


 好きだった戦隊ヒーローの俳優さん。

 大河ドラマ主演、おめでとう。奔放な女性関係……ちょっと知りたくなかったかなあ……


 そして、さらに遠くへ。北へ北へ、三百キロほど離れた街へ。


 辿りついたのは、灯恵ともえという女の子の元だった。女の子といっても、もう二十二歳になるのだが。

 小学校に入ってから出会い、それから「親友」と呼んでいいような、私にとって大切な存在になった子だ。それは彼女にとっても同じだったようで、私の死が彼女の心に遺した傷というのは、私が思う以上に深く、重いものだった……ように、見えた。


 そして彼女は、男性よりも女性に恋愛感情を抱く人間であり。私のことも、友達というよりは「好きな人」として意識していた……ということは、最近知った訳で。

 同性の恋人という概念に馴染みがなかった分、ものすごく戸惑ったのだが。霊域で他の霊人に話を聞くと、自分たちもそうだった、という例は意外と多く。色々考えた末に、これだけ素敵な彼女の初恋相手になれるのは、とても嬉しいことだった――という結論に落ち着いた。

 ……灯恵、私には異様に甘えたがりだったからな。言われてみれば。


 そんな変遷はありつつも。彼女が私にとって、とても大切なのは間違いがなくて。

 私を失った彼女が、ずっと、心から笑えていなかったことも知っていたし。

 大学に入ってからやっと、私が埋まるような……私の生きられなかった未来を自分が生きている苦しさから解き放たれる、そんな出会いをしたことも、知っている。

 いま恋人として灯恵の隣にいる、花織かおりという女性が、灯恵を救ってくれたようだ。


 そんなふたりが、後少しで咲きそうな桜の木の下で寄り添っていた。灯恵が花織へ語り掛ける。


「例の女の子の……菜桜ちゃんの話、なんだけどさ。

 嬉しいのは、花が咲くこと自体じゃなくて。咲いた花を一緒に見て、綺麗だねって一緒に笑顔になれる人がいることなんだって、言ってたの」


 正確には、お母さんの言葉で。お母さん自身が、その言葉に苛まれていた時期もあったのだけれど。


「だから菜桜ちゃんがいなくなってから、桜はずっと、辛い景色だったんだけどさ」

「今は?」

「花織と一緒なら、嬉しいって思えます」

「……なら、私も嬉しい」


 そう語る灯恵の表情を見て。ああ、もう大丈夫だな――そう確信した。


 ともちゃん。

 桜が綺麗に咲くね、おめでとう。大事な人と巡り会えたね、おめでとう。色んな人がともちゃんに助けられてるんだよ、おめでとう。大きくなってすごい美人さんになったね、おめでとう。また昔のともちゃんみたいに笑えるようになったね、おめでとう。

 ずっと、ずっと。この魂がなくなっても、大好きだよ。


 そして、花織さん。

 ともちゃんを助けてくれたあなたはヒーローです、おめでとう。辛いことばかりだったというあなたが、ともちゃんに救われたこと、おめでとう。こんなに素敵な女の子と恋人になれたこと、おめでとう。


 互いに救い、救われる、かげがえのない出会いをしたふたりの奇跡に、おめでとう。


 ――そろそろ、時間だ。

 その笑顔を瞳に焼きつけながら、私は生きている人たちの世界に背を向ける。


 また、会いに来るね。

 お祝いに、来るね。


 *


 私の現世観測をコントロールしてくれていた係員に礼を言ってから、私は霊域機構の持ち場に戻り。ちょうど会いたかった小さな背中――外見年齢が私と同じくらいの少年を見つけ、後ろから飛びついた。

「ひーでくん!」

「っと……なんだ、菜桜か。離れてよ」

「いいじゃん、私がくっつくの嫌?」

「……そういう言い方は狡いと言ったはずだよ」


 赤木あかぎ英雄ひでお。享年こそ私と同じ八歳だが、霊人としての経験は私よりずっと長い。

「さっきね、おめでとうの魔法、実践してきた所なの」

「魔法とか言わないでよ、ただの気休めの方法」


 霊人になったばかりの頃。自分が生きられなかった世界が、大切な人が泣いている世界が、辛くて、辛くて――ときに憎くて、たまらない時期があった。

 そんな私に、先輩の英雄は向き合い方のアドバイスをしてくれたのだ。


「おめでとうと思えることを見つけてみよう」と。

 どんなに辛くたって。進歩は、温かい営みは、ささやかな奇跡は、確かにあるはずだから。

 それを見つけて、祝福していくことで、世界の色は違って見える、と。

 そしてその習慣は、見事に菜桜の世界を塗り替えた。


「まあ、気分が晴れたならいいけどさ」

「うん、明日からも頑張れそうです……そうだ、ひでくん」


 そんな風に私の心を救ってくれた戦友に、お礼を言いたくなった。


「ここで出会えた私たちに、おめでとう」

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