おめでとうが言えなくて
西藤有染
とある家族の1日
明日、兄が結婚する。非常にめでたい事だ。だけど、未だにおめでとうとは言えずにいた。
年が8つ離れた兄は、今年で26になった。この年で結婚できるというのは、かなり順風満帆な人生を送っている証拠なのではないだろうか。実際、身内贔屓を抜きにしても、兄は「できる人」だった。親に負担を掛けない様にと塾に通わず、高校大学共に学費の掛からない公立校へ進学し、卒業後は就活などと縁が無い私でも聞いたことがあるような大企業に就職した、と言えば兄がどれだけ優秀なのかが伝わると思う。それでいて社交性があり、優しいのだから非の打ち所が無い様に見える。だから、少し前までは私も兄の事が好きだった。
こう言うと勘違いする人もいるだろうが、別にブラコンとか恋愛とかそういった感情を抱いていた訳では決して無い。家族として、人として、好ましく思っていたという意味だ。というか、実の家族を恋愛対象として見れる訳が無い。法律云々以前の問題だ。話が逸れた。
今年の春、久し振りに兄が実家に帰って来た。入社して以来、兄は地方の支社の社員寮で一人暮らしをしている。最初は休暇の度にこちらに帰省していたが、徐々に実家に顔を出さなくなり、今回の帰省は前回から1年以上も間が空いていた。そこで、兄は彼女を連れて来て、「今度結婚する事になった」と報告して来たのだ。
一方、私はと言うと、今年の春の時点で、既に地元の大学に進学していたのだが、少々気を病んでいた。第一志望だった兄と同じ大学には受験で落とされ、次点の私立大学にしか受からなかった為、酷く落ち込み、入学後もそれを引きずったままでいたのだ。兄が合格した大学に受からなかったという事実が、そのまま兄に対する引け目となっており、出来る事なら大学の話題は出したくなかった。だから、兄の彼女と結婚の話題で持ち切りになっていた事に、内心安堵しつつも、第一志望不合格というレッテルが頭の片隅で燻ぶり、何となく素直に兄を祝う事が出来なかった。
そんな事を考えていたからだろうか。ふと話題が途切れた時に、兄がこんな事を言ってきたのだ。
「そう言えば、咲希はもう18だから今年受験だろ? 頑張れよ」
何気ないその一言が、受験期の失敗を引きずっていた私の心に酷く突き刺さった。「不出来な妹に興味など無い」「同じ大学に合格する為にもう一年やり直せ」。単なる被害妄想なのかもしれないが、そう言われている様に感じて辛かった。
それがきっかけで、兄の事が余り好きではなくなってしまった。それからずっと、兄と顔を合わせる事を避け続けて来た。幸いな事に、私も兄も、それぞれ大学や仕事やらで忙しく、今日に至るまで顔を合わせる機会は殆ど無かった。しかし、結婚式前日の今日に限って、実家で兄とばったり出くわしてしまった挙句、何故か呼び止められた。
「今更だけど」
という言葉と共に渡されたのは、一枚の封筒だった。中身を確認してみると、福沢諭吉とUSBメモリが入っていた。
「遅くなったけど、咲希の入学祝い。まだ渡してなかったなって思って」
「……何で?」
「何で、って、ああUSB? これ、レポート書く時とか、スライドでプレゼンする時とか、持ってるとかなり便利だぞ」
違う。いや、USBも疑問だったが、一番不思議なのは、
「入学、祝ってくれるの?」
「何言ってんだ? 妹が無事進学したんだ、祝うのは当たり前だろ」
そう怪訝そうな顔で言った後、あー、と呟き、頭を掻きながら、
「ごめんな」
と、謝ってきた。何に対する謝罪だろうか。
「この前、春に帰省した時の事、ごめんな。オレ、4月生まれだから18になった頃って丁度受験期だったんだよ。だから、8つ下の咲希も今年で18だから、これから受験だと思って喋ってた。2月生まれだって事、考えてなかったわ。だから、ごめん」
兄は、本当に申し訳なさそうにそう伝えて来た。
「本当はすぐにでも謝るべきだったんだろうけど、どうせなら入学祝いを用意しようと思って、何にするか迷ってる内に気付いたら今日になってた。だから、改めて、入学おめでとう」
ああ、そうか。自分が勝手に思い込んでただけで、兄は優しい兄のままだったのだ。兄に対して抱いていたここ数ヶ月のコンプレックスや負の感情が、簡単に氷解していった。
「お兄ちゃん」
「なんだ?」
「今更だけど、結婚おめでとう」
「なんだよ、それ。本当に今更だな」
「今更なのはお互い様でしょ?」
「間違いないな」
兄は明日、結婚する。それは非常にめでたい事だ。だから、素直に祝福しよう。
おめでとうが言えなくて 西藤有染 @Argentina_saito
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます