tap-tap、それはノック音。

天霧朱雀

tap-tap、

――それはノック音。



 トラック十三番を掛けてシーディの音色に首を傾けた。悩んでいるわけではない。答えはすでに決まっている。

「シンパシー、エンパシー。あなたのそれはどっちかな?」

 僕が深く腰掛けている椅子の後ろで仮面の女が呟いた。これから命のやり取りをするというのに随分なしぐさだ。

「この定義だけでは理解しづらい、強いて言うなら〝愛〟なんだけど」

 またくだらない事を囁いてしまった、僕としてはこういう事を言いたくはない。

「あら、死神のクセしてそういう情緒の話を持ちかける」

「僕はそういう話をするために魔女の元へきたんだけど?」

 と、これまた無粋な話をしてしまった。



 鬱蒼と生い茂る新緑の森。レンガ仕立ての、お菓子色。まるでヘンゼルとグレーテルがツラれてしまった建物みたい。

ビスケットみたいな簡素なつくりをした小屋に住むのは曰く付きの魔女。



 とうに寿命が過ぎた魔女の命を刈り取りに来たというのに。ご機嫌な顔をして、ご機嫌にお茶を淹れて、ご機嫌に第九を流して、魔女は僕に革張りの立派な椅子を差し出した。

それでいて、開口一番に「いらっしゃい、待ちくたびれたわよ」なんて、意味がわからなかった。

「まったく、僕は可愛がった野良猫がのたれ死なない様に餌をあげていたのに、」

「あら。じゃあその猫が猫又になった気分はいかが?」

 そう言ってクスクス笑った。この女の瞳は残念ながらステンドグラスをあしらった仮面でまったく見えない。ほうれい線の〝ほ〟の字も見えない顔で笑うから、俗世で語られる妖艶という人物像にピタッとハマった。

「悪くない、美貌は百万回死んだ猫が恋に落ちた相手の様さ」

「なんの話し?」と、とぼけてみせるが「まぁいいよ。さしずめ、また性欲じみたことでしょう?」とひとりごちている。僕のセリフへセルフで突っ込まれちゃ意味など無い。コントというのは二人で行うから漫才になるのだ。

「契約の時が過ぎた。可哀そうだけど、その命を返却願いたい」

 死神の鎌は玄関に立てかけている。こんな姿で取引とは、この場に同期がいたら指をさして文句を言うに違いない。

「いいわよ。もう生き飽きていたところ」

 魔女はその真っ黒い髪の毛を自分の手ですいた。黒いビロードのカーテンが風にはためいたような印象は、まるで黒アゲハがひらりと羽ばたいたのと似ている。

「いい人生だったろう?」

「まったくもって最悪だった。だってあれっきり、あなたと会えなかったんだもの」

「毎度、死神に会える環境は死期が近しい者だけだからねぇ」

 裏路地に転がる彼女へ〝魔法〟を与えたのは僕だった。それがきっかけに今日日こうして彼女が生きていくとは想像していない。僕が掛けた魔法はただ一つだったから。

「無病息災もいいところだったわ。おかげで毎日、タライいっぱいの血液を浴びる羽目になったもの」

「デュラハンが裸足で逃げ出した魔女がセルフで返り血をあびるって。いまどきにしては高度なギャグだと同期の死神も笑っていたよ」

「あら。あなたの耳へ入るぐらいの噂になっていたのなら報われているも同義ね」

「おっと、魔女の性的消費に貢献していたのか」

「別にそういう話はしていない」

 ぴしゃりという乙女のセリフはなかなか胸に刺さるものだ。冗談で言ったのに鞭で叩かれたような痛みが体の芯へ広がった。

「残念ながら僕はドМじゃないのでね、酷い事は言わないで欲しいんだけど」

「それは悪かったわね」

 と言う割には悪びれた様子もない。こ、この女、惚れたよしみとか無いんだな。

「死にたがりの魔女から刈り取るのは貴様の命だ」

 決まったセリフだったから間違える事もない。僕も同期も吐きなれたテンプレート、魔女の方もわかりきったセリフに待ってましたーとでもいいそうな表情を張り付けている。

「型にハマッたセリフを並べて。私は知っているのよ、あなたがそんな事だけのために来たんじゃないって」

「そうだよ、これは建前。本音は僕が掛けた魔法を解きにきた」

「私へ掛けたのは、私があなたに殺される事も厭わないという魔法でしょ?」

 憶測に「違うよ」と返答する。それは残酷な言葉になるだろうと思っていたが、彼女の表情を見る限り、案外平気そうだった。

「僕が掛けた魔法は、」

 ゴンゴンッと、扉を叩く音がけたたましく響いた。

「妖精の登場には少し早い。みな、情緒というものが欠けている」

 怒ってもいいだろうか、雰囲気というものを大事にしてほしかった。

「ドアの向こうに何がいるのか知っているの?」

 ここにきて初めて魔女の不安そうな声をきいた。まるで奈落の底から上げる悲鳴のような声色だったから、思わず僕も怯えてしまう。

僕は魔女に真実を伝える事を決心していた。悩んでいるわけではない。答えはすでに決まっている。


 死を想え、なんて。


 椅子から腰をあげ、魔女を見据えた。

「奈落の底にシャベルで穴を掘る勇気を探しへきたんだ」

「なにを悠長に、」喩え話をしているの? という疑問を噛んだように、魔女は下唇をグッとこらえた。

「僕の言葉の意味を理解するには到底容易い事象を見せよう、百聞は一見にしかずと言ったものだ」

「ストレートに喋って、」

 強く叩かれる扉を背にして魔女へ歩み寄る。特に抵抗せず、ただ扉の向こうへ怯えている彼女が不思議に想えた。先ほど、十分生きたと述べたくせに、その姿は死にたくないと言っているようなものだ。

「じゃあ同じく建前上の話をしよう、死神はその名前の通り死へ近しい神様だ。神殺しをする者には、神の怒りを買うだろうね」

 ほんの少しで触れあう距離で囁かれた、「つまり私に神殺しをさせる気なのね」と。半分正解で、半分不正解。

「同じく僕もたくさん生きた、君へ呪いをかけて楽しむレベルには気狂いがすぎている」

 なぜなら、その魔法を彼女へかけて、かけた本人が解きにきたのだから。

「ドアの向こうにいるのは仕事をしない僕へ来たデュラハンで、僕が扉をあけるとタライ一杯の血液を浴びせさせるに違いない」

 僕は彼女の眼下にはまっている仮面へ手をかけた。彼女はされるがままで、つい僕は微笑んでしまった。

「そこで、問題だ。僕は君へかけた魔法を解きに来た」

 ステンドグラス性仮面は蛍のように光をチラチラ照り返す。

「幾千晩秋と待ってくれたのなら、これから僕が言う言葉の意味がわかるよね?」

 バキッと折れる音、チャリンと金属製の落下音。とうとう扉の蝶番が外れて落ちた。

「あなたが神様に呪われることになるけど、死神さんは死神をやめる勇気、あるの?」

「だから言ったじゃん、それを探しに僕はここへ来たんだと」

 魔女の仮面はヒビが入り、水っぽいものがヒビの間から溢れていく。その水に触れたステンドグラスは淡い光を放ち、まるで燃焼していくかのように焦げ付いて溶けていった。いつのまにか仮面としては役にたたず、緋色の瞳を覗かせた。

「魔法は解いたよ、もう僕に執着する心は持ち合わせていないだろう」

 彼女の心をノックする、その意味を僕はあまり考えていなかった。

「それでも、一緒に駈け落ちしてくれる?」

 返事の代わりに熱いキスを貰った。僕は驚く間も無く、僕の眼下へ分厚いレンズが敷かれた。

「逃げ切るまで、今度は私が束縛するから」

 魔女は不敵に笑っていた。そうか、そういう展開になってしまうのかと、思うと絶対に生きねばならないという呪いを掛けられてしまった。

「イエス、マイレディ」

 これで死神の鎌はただの鋳物になってしまったが、物理攻撃になるほどの重さはある。半壊しかけた扉に向かって檻へ変形する魔法をかけた。しばらく時間稼ぎになるだろう。

「二人で百万回生きてみましょう?」

「まだ猫ネタを引っ張りますか」

 ふふふ、と笑う魔女の顔は麗しいほど端麗だった。

「それなら、猫になって欺こう」

 最も、僕に至っては彼女の魔法のせいでモノクルを下げた奇っ怪さが目立つだろうが。

 彼女が魔法をかける。二匹の黒猫のできあがり。

 とうとうドアが壊れた頃には、魔女も死神もソコにはいないだろう。僕たちは奈落の底のソコへ、旅立った。


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