『あなたと同じ気持ちです』

美澄 そら

『あなたと同じ気持ちです』



 陸上部は他の部に比べて、学年も男女の垣根もなかった。

 だから、平井くんが側に居るのもいつしか当たり前のことになっていた。

「それ、マジですか。先輩」

 初めに好きになったのは、品のある繊細な笑い声だった。

 次に左頬のほくろ。

 それから、触れたときに気付いた少し骨張った手。

 力強く大地を蹴って走っている姿。

 目が合ったときに、彼に灯る熱。

 告白すれば、きっと、上手くいくってわかっていた。

 三年生。最後のバレンタイン。

 わたしは彼を屋上に呼び出した。

 冬の冷たい風が、髪を弄ぶ。耳が冷たくて、感覚がない。

「あのね、平井くん」

「はい」

 きっと、なんて言われるか、彼もわかっていただろう。

 緊張した面持ち。

 寒いだけではなくて、赤くなる頬。

 わたしは息を全て吐き出して、肺に新しい空気を送った。

 そして――

「わたしと結婚しようよ」

 声がすこし震えた。

 平井くんは目を白黒させた。

「え」

「結婚、してほしいんだよね」

「あの、先輩……僕達、高校生ですよ」

「そうね」

 平井くんは、わたしがふざけていないのを察して、言葉を飲み込んだ。

「わたし、本気だよ。こんなに、誰かのこと好きになるってこの先ないんだと思う。それに平井くんにも、この先、わたし以上に誰かを好きになってほしくない」

「……先輩」

「重たいよね。でも、生半可な気持ちで、プロポーズしているわけじゃないから」

 陸上部のみんなへのチョコは用意したけれど、平井くんへの特別なチョコは用意していなかった。

 彼の苦しそうな表情から、これは振られるだろうな、と思っていた。

 屋上に彼を残して、ひとり三年の教室へと戻った。


  


 先輩の卒業が控えたホワイトデーの少し前。

 両思いなんだって、なんとなくそう思っていた。

 長い睫毛。

 健康そうな、小麦色の肌。

 風を切って走る背中。

 目があったとき、感情を映して潤む目。


 ――わたしと結婚しようよ。


 先輩が、本気だとわかった瞬間、なにも言葉が出てこなかった。

 僕達は、まだ高校生だ。

 先輩が卒業して大学生になったとしても、僕は法律で定められた、結婚していい年齢にはまだ届かない。

 結婚なんて、まだまだずっと遠い未来のことだと思っていた。

 大学を卒業して、会社に勤めて……。

 そう遠い未来を想像していて、ふと思った。

 今先輩のプロポーズを断れば、僕の隣には別の女性が居る未来が来る。先輩の隣には……。

 先輩の言っていたことがやっと理解できて、僕は苦しくなった胸を押さえた。


 

 最寄の小さな駅の前。

 可愛らしい花屋さんの前で、僕は立ち止まった。

 気障かもしれない。でも、プロポーズに応えるのだから、恥ずかしがっている場合ではない。

 意を決して、女性の店員さんに声を掛ける。

「ホワイトデーの贈り物を探していて、でも、その……予算が」

 たくさんの薔薇の花束にしたかったけれど、残念ながら小さな花束すら作れそうにない。

 店員さんは明るく笑うと、名案を思いついたと言わんばかりに手を叩いた。

「プリザーブドフラワーとかはどうですか? ハーバリウムもお取り扱いありますよ。どちらも枯れたり特別手入れをすることないうえに、飾っておけるのでプレゼントにおすすめです」

「見せてもらってもいいですか」

 僕は店の奥にある、お花を使ったインテリアの飾られたコーナーに案内してもらった。

 小さなお店なのに、品揃えが良くて、どれにしたらいいか困ってしまう。

 店員さんは、丸くて小ぶりな、花の入った瓶を手に取ると、僕に渡してくれた。真ん中が黄色い、小さな白い花が入っている。

「デイジーっていうお花が入っています。日本だと、ヒナギクってお名前が有名なんですが。花言葉は『無邪気』『純潔』『あなたと同じ気持ちです』です。いかがでしょうか」

 ――『あなたと同じ気持ちです』

 僕は迷わず、その花言葉が閉じ込められた瓶を先輩にあげることにした。




「卒業おめでとうございます、先輩」

「ありがとう」

 卒業式が無事終わって、それぞれ思い出に浸っているなか、僕は先輩を連れ出した。

 人影の無い中庭。桜はまだだけど、日当たりのいいところでタンポポが黄色い花を元気よく咲かせていた。

「今日は僕から伝えに来ました」

 ブルーのベルベット調の小箱には、指輪が入っている。

 残念ながら、ステンレス製の味気も何も無いシンプルなリングだ。

「二年後、僕が卒業したら、結婚してください」

「……はい」

 卒業式でも涙を見せなかった先輩が、今、目を潤ませているのが不思議で――可愛らしい。


「おめでとう」

 振り返ると、陸上部の面々が居て、たくさんの「おめでとう」の言葉が拍手と共に投げかけられる。

「二人ともバレてないとでも思った?」

「いやでも流石に平井が指輪出したときは、びっくりしたけどさ」

「ねー」

「結婚式呼んでよね」

 


 二年後、僕達はどうなっているだろう。

 さらにもっと遠い未来で、僕達は上手くやれているだろうか。

 先輩の嬉しそうな横顔を見て、僕は確信する。



 ずっとずっと、変わらずにあなたと同じ気持ちでいること。




おわり


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

『あなたと同じ気持ちです』 美澄 そら @sora_msm

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ