第11話:「なまくら」の果て

 付け焼き刃――古来、つわもの達に魂とも言える「刀」を提供し続けた職人、刀鍛冶の間で使われていた言葉である。


 折れず、曲がらず、よく斬れる。見るからに矛盾する三要素を土台に、粘るように輝く刃紋、柄や鞘の奥床しくも素晴らしき装飾が見事に合致し、ようやく真の「日本刀」へ成るのだった。


 しかしながら、付け焼き刃はその対極に位置する。真作と似通っているものの、実際の使用には全く耐えない。制作過程で必要な「鍛錬」を施されず、その場を凌げれば良いとして、形だけを整えて差し出されるは……豪奢な鎧だけが自慢の、愚かで貧弱な名ばかり武将に似ている。


 要するに――が無かった。習い憶えた知識や戦術を充分に活かす為の、芯や骨格が何処にも見当たらないのだ。




 これらはそのまま、トセの急遽変質した打ち筋にも言える事であろう。その選択は、卯月戦と皐月戦を経て――。


 間違ったのかもしれない……と、トセは文数差を縮めてくる目代を睨め付け、思った。


 卯月戦、トセは三手で《桜に幕》《柳に小野道風》《桐に鳳凰》の三枚を手中に収めた。しかも手札には《松に鶴》と《松のカス》まで入り込んでいるという僥倖である。


 まだ姿を現さない《松の短冊》《松のカス》を警戒してはいたものの、一気に七文以上倍付けを見込める《雨四光》が近かった。四手目、トセは《松のカス》を打って自給自足を試みようとしたが……。


 不気味な静寂を纏う目代が、そしてが、カス札打ちを躊躇させたのである。


 確実な勝利、確実な未来を私は欲しい!


 考え……トセは《菖蒲に八橋》を打った。加算役タネへの布石であった。続いて目代は《菖蒲に短冊》をカス札に合わせ打ち、《桐のカス》を引き起こす。


 五手目、トセは前手で惑った自分を激励するように《松のカス》を場に送った。




 いける、今なら私に流れが向いている――。




 影札(上位札と合わせる為のカス札)を送り出した際、打ち手は少なからず「幼い我が子を旅に出した親」の心境と重なる。百鬼の蠢く場に、一人迎えを待つ《松のカス》は……。


「……っ!」


 目代の《松のカス》が、無情にも暗中へと連れ去ってしまった。この重大な過失は、トセを酷く苛立たせた。


 前手で打っておけば! 既に仕留められたはずなのに!


 起き札は打ち手に左右されない。故に――今回のアクシデントは絶対的に「トセのミス」と決定された。彼女が後悔するように、四手目で《松のカス》を場に出しておけば、高得点は間違い無かった。


 トセの与り知らぬ事ではあるが、卯月戦にて……目代の手札にもう一枚の松札、《松に短冊》は入っていない。結果論ではあるが――トセが「爆発的な高得点を狙い続ける」という本来の打ち筋を守っていれば、目代との文数差を更に広げられただろう。


 卯月戦は八手目にまで縺れ込んだ。「捨てる月」と踏んだトセなど意に介さず、目代は最終手でカス札一一枚を集め、《カス》一文増しを完成、ゆっくりとトセへ近付く結果となった。


 悲劇は、時として連鎖するものである。


 続く皐月戦にて、またしてもトセはフラつくに惑い、手痛い授業料を目代に支払った。


 場札に《菊のカス》が二枚現れ、《桜に幕》がその横に居座るという「火薬」の臭い立ち込める局となり、トセは手札に《松に鶴》《菊に盃》が収まるという速攻に向いた様相を示した。


 本来なら――トセは即座に《菊に盃》を打ち出す。起き札で桜の札を引いてしまえば、すぐに五文は確定、同時に相手へプレッシャーを与える事が出来る。そこから「こいこい」と宣言し、後は火薬を溜め込んで着火の機会を待つ……それが常道だった。


 また、《花見酒》が出来なくとも良かった。盃の札さえ持っておけば相手が《花見酒》《月見酒》を完成する危険は霧散するし、カス札にも算入出来る《化け札》でもある。その為、大抵の相手は「闘技を早く終わらせたい」と慌て出すからだ。


 この心理操作を、トセはあえて行わずに《梅に鶯》を打ち出したのである。


 場札に二枚も《菊のカス》が露出しているという事は、いつでも「盃を迎えられる」という事。


 トセのこの思考は間違いでは無い。間違ってはいないが……でもある。


 座布団の向こう――黙して座る目代は徹底的な「ネガティブ思考」であった。


 場札に二枚も《菊のカス》がある、しかし《菊に盃》は見当たらない。ならば何処にあるか……と考える際、目代は決して「山札に眠っているだろう」とは考えない。「相手が持っている」と仮定し、最大限の抵抗を開始する。


 最初に盃札の絡む《桜に幕》《芒に月》を奪取するように動き、それが出来なければ起き札を踏み、相手の動きを制限する。それも出来なければなるべく速い出来役を選択し、一目散に駆けて行く。


 但し、これだけでは《鬼百合》と渾名される打ち手には成れない。上記の戦法は基本中の基本であるからだ。目代は座布団の上でのみ――悪辣なとなる。


 今回の場合、仮に《菊に短冊》が手札にあっても目代は決して第一手目に出さない。出してしまえば相手は「《青短》を狙っているんだ」と考え、牡丹や紅葉の札を集め始める。目代にとって好ましくない展開であった。


 大山鳴動して鼠一匹。これが目代の狙いである。


 手の内が見えない敵と対峙した場合、大抵の人間は立ち止まって「不必要な戦略」を練り始める。その場で座り込んで弁当を開き、腹拵えをして大きな紙に様々な戦術を書き連ねるだろう。そこに山から下りて来た小さな鼠が、コソコソと脇道を抜け、勝利の方へ走って行くのだ。


 その実――目代にとってトセの《煙硝札》戦法は鬼門であった。恐れも知らずに突っ込んで来るタイプは、一度勢いを与えてしまえば手に負えなくなる……目代は経験から「運気の土石流」を知っていた。


 故に……目代は手の内に光札が入っていても、それを使わずに《タネ》などで早上がりする事が多々あった。どんな札でも、取り札とするには「一手」必要となる。眼前に広がる大量の「一手」の中から、どれが一番勝利へ近いのか、選択する技術に彼女は長けている。


 勝つ為なら《菊に盃》を捨てる事もある。勝つ為なら《三光》を無視する事もある。そうして相手が「及び腰の打ち手だ」と高を括った時、音も無く忍び寄り……高得点の出来役で


 勝つ為なら……目代は相手を完全にのだ。


 打ち筋で欺し、表情で欺し、雰囲気で欺し、文数で欺し、必要とあれば自分の意志すらも欺く。


「勝負。《猪鹿蝶》は五文」


 七手目、目代は淡々とした声色で告げた。トセの顔は曇るばかりだが、仕方無しに「五文」とメモ用紙に書き記した。


 縮まる互いの文数を眺め、トセの眉がひそまる。段々と前髪が垂れ落ち、なだらかな肩が少しだけ震えていた。




 だから言ったのに。「戦い方を変えるな」って。


 変えていなければ、もしくは私も苦戦したかもしれない。まぁ……今の貴女が忠告を素直に聞き入れるとは思えないけど。


 一重さん。そこまで近江君を想うのなら、をしてみなさい。


 彼は立派に立ち上がった。一重さん、貴女はどう?


 これから私がけれど、貴女はどのように変わるの?


 一重さんの事、妹のように思っていたんだよ。これは嘘じゃないの。出来たら、本当は仲直りしたいけど……。


 何が違ったんだろうね。


 それとも、最初からこうなるって決まっていたのかな。


 なら、どうするかな。


 今後……私はどうするべきだろう。


 そんなの――答えは一つだけでしょう。


 寂しいけど、これしか無い。悲しいけど、唯一だ。


 後輩の幸せを摘んでしまう程、私は馬鹿じゃない。


 柊子ちゃん……。


 この部室――後は、よろしく頼みます。




 ふと、目代は顔を上げ……。


「ひ、一重さん……?」


 俄に目を見開いてトセを呼んだ。しかしトセは前髪を垂らしたまま、「早く撒いて下さい」と……震えた声で言った。


 目代の両手が伸び、トセの頭を掴んで前を向かせようとした。しかしトセはそっぽを向き、頑なに顔面を見せない。


「貴女……」


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