第7話:死神

「宇良川先輩とは違うんですよね、不思議と。目代先輩がリュウ君と話す時、打つ時、お菓子を食べている時……なんとなーく、『同じもの』を共有している気がするんです。それは私に無くて、しかも他の人とは共有したくない感じ?」


 何、何を私は彼としているって言うの? 分からない、彼女は一体どうしたって言うの?


 加速していく目代の焦りを、しかしトセは面白がるように語を継いだ。


 焦燥に駆られる上級生の姿を見る事で――トセは自身の傷を癒すようだった。


「現実くらい、楽しくしたかったのになぁ。あんなに好きだった人が、アッサリと盗られちゃうんですから。片想いじゃないんですよ? 明らかに両想いだった、!」


 コレなんですから――自身の首を掻き切るような仕草を見せるトセの目には、黒々とした怨嗟の炎が揺らめいている。


 暗く、禍々しい炎に包まれる光景を目代は思い、身震いせぬよう右腕を抓り……何とか堪えた。


「横から出て来た上級生に想い人を盗られたなんて、そこらの三文小説でも題材にしませんね――あ、違いますね……邪魔をして来た上級生は――」


 トセは二メートル程離れていた間合いを詰め、目代の双眼をジッと見つめて――。


 低い声で呟いた。


「もう一人いました」


「っ、好い加減にしなさい!」


 俄に目代の右手が跳ね上がり、そのままトセの頬を思い切り叩いた。


 後輩を叩いてしまった。何と可哀想な事をしてしまったのだ――自己嫌悪に陥る目代とは、全く対照的な少女がここにいる。


 少しヒリつき、薄らと赤く染まった頬を抑えるトセは、何故か微笑み……。


「目代先輩? これは私の推測なのですが……どうも、貴女と関係する人は、遅かれ早かれ――」


 


「…………そんな、事……無い」


 弱々しくかぶりを振った目代。


「去年の《代打ち》、夏でしたか。先輩を頼った依頼者がに涙し、転校したんですよね? その時戦った相手も、先輩を倒したって評判が一人歩きして……最後はパンクして《代打ち》を止めたとか」


 途端に目代の胸が痛んだ。封殺してはいけない、しかし思い出したく無い過去が――目を逸らし続けた罪悪感を揺り起こした。


「そして、ですね。リュウ君と深めるはずだった仲を邪魔するし、挙げ句の果てにはビンタするし。今は三人だけですけど、今後貴女と関係がある人は、事でしょう。恐ろしい、何て怖い人なんですか」


 まるで死神ですね。


 この一言が目代の耳に入った瞬間、彼女が辛うじて残していた「思い遣り」が――幻のように、フワリと消失したのである。


「…………


 目代は死人の如き無表情さで、淡々と言った。


「私を、を言いなさい」


 からかうような笑みが――トセの顔面から消え去った。


「決して怒らぬ」と評判の闘犬を馬鹿にし、石を投げたり棒で叩いていた子供が、を見つめる表情に似ていた。


「誰にだって赦せない事はある。それが如何に下らない事でも、無闇になじったり馬鹿にしちゃ駄目。それが分からないから――」


 彼に選ばれなかったのでしょう。違う?


 最大まで目を見開き、口元を歪めたトセに構わず……目代は続けた。


「ここまでにしましょう。近江君と柊子ちゃんが待っている。明日、部室に来なさい。どちらの意見が正しいか、に訊きます」


 さぁ、出ようか――目代はニッコリ笑い、喧噪で溢れる世界へ向かうべくドアを開いた。


「上手でしょ? 作り笑いを浮かべるの。私も得意だから」




 二時間後、《姫天狗友の会》メンバーは焼肉屋の前で手を振り合い、でそれぞれの帰路に就いた。


「…………」


 目代は三人の影が闇に消えた頃を見計らい、小路に入り、高い塀にもたれて俯いた。ロングスカートが土埃に汚れるのも厭わず、ゆっくりと……その場で蹲った。


 右手に残るトセの頬の感触が、彼女の繊細な精神を乱暴に揺さぶる。他人を叩いた経験の無い目代にとって、打たれた肌の抵抗や少なからず受ける衝撃が、妙に気色悪かった。


 私は間違っていない――目代は確信していたが、それでも「トセを叩いた」という過去は消えない。「目代の敗北により、転校を余儀無くされた依頼者」が存在するように。


「…………違う、違う違う」


 両膝に額を擦り付け、トセの述べたを否定する目代。


「偶然、偶然だから。偶然だもん、私……悪くないよね……」




 貴女に関わる人間は、遅かれ早かれ不幸になる――。




 胸奥深くに潜む柔らかな心が、次第にヒビ割れ……暗色の液体に浸っていく気がした。


 数時間に及ぶ「作り笑い」の疲労が一気に押し寄せたのか、目代の表情は今にも谷底へ飛び込みかねない陰惨さを呈している。


 しかしながら……目代の慟哭を誰も悟る事は無い。


 龍一郎、宇良川は彼女の完璧な作り笑いに欺されているし、因縁を持つトセは――。


 目代のを喜んでいる。故に彼女を助ける事など有り得なかった。


《姫天狗友の会》の結束が……緩やかに壊れ始めた、ある夏の夜の事である。




 もしもし、遅くにすいません。


 いえ、楽しかったですよ……はい、何も問題は無いです。


 違います違います、そんなんじゃなくて……その、声が聴きたいなぁと。


 えぇっ? 酷いですよそんなの……俺だって傷付きますよ?


 ……う、嘘でしたか。あぁ、あぁ……いやぁ、恥ずかしいなぁ……。

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