第8話:女達の闘争
「おはよう御座います。もう来ていたんですね」
部室の扉を開き、トセが明るい声で挨拶をした。その頬に昨晩受けた張り手の痣は無い。
「あぁ、喋らないんですね。ツキが落ちますからね」
トセの視線の先で――目代は黙したまま、一山の《八八花》を見下ろしている。一畳分の畳が床に置かれ(夏期休業前、龍一郎が設置したものである)、そこに正座する目代の表情は暗かった。
「さて、と」
鞄を下ろし、目代と座布団を挟んで座するトセは、「確認ですが」と楽しげに言った。
「いつもの一二ヶ月戦、というのは分かっていますけど……敗者はどうすれば?」
しばらくの間を置き――目代は懐から一枚の紙を取り出し、山札の横に叩き付けた。そこに書かれた文面を認めた瞬間、トセの細い眉がひそめられた。
勝者は、敗者が姫天狗友の会に残留して良いか否かを決定出来る。
「死神なんでしょう、私は」
ビクリとトセが顔を上げ、俯いたままの目代を見つめた。
「貴女も死神になろうよ。一緒に」
親決めである。トセは《紅葉のカス》を、目代は《桜に短冊》を起こした。目代が親手を受取り、生殺与奪を賭けた闘争は幕を切って落とした。
部室にはトセと目代の二人だけ、そこに観客や《目付役》は存在しない。彼女達が戦う事を知る者もいない。
二人だけの「殺し合い」という訳である。
睦月戦――場札は以下の通りである。
松に鶴 梅のカス(二枚) 萩に短冊
紅葉に鹿 紅葉のカス 桐のカス(二枚)
親手を取られたトセであったが、しかし彼女の表情はむしろ明るかった。手には《梅に短冊》や《芒に雁》、更には《菊に盃》《桐に鳳凰》と、攻防どちらも容易い役札が押し寄せていた。
目代の一手目。いきなり手札から《芒のカス》を打ち出した。場札に同月札は無い。手練れの目代には珍しい挙動だった。
どういう意味? 私が盃の札や光札を持っていないと……浅はかに踏んだ上での「暴挙」なの?
構わず目代は札を起こす。《桜に短冊》が姿を現した。場札はこれで一〇枚となり、睦月戦は早くも荒場となる事が決定された。
トセはしばらく思案に耽り、第一打は《桜のカス》とした。《菊に盃》を保有している為、目代が《花見酒》《月見酒》を完成する確率はかなり低い。
だったら……急いて鳳凰を手中に収めるよりも、《三光》の完成を邪魔する方が、しかも――《赤短》に手を伸ばせる《桜に短冊》奪取が優先だ!
起こした札は《柳に短冊》、現状は恐れる必要の無い札だった。
二手目である。
目代は迷う事無く《紅葉のカス》を打ち出し、鹿の札を狙い撃つ。
やっぱり、この人は罠を張っている……トセは内心歯噛みする。
一手目に打った芒のカス札、この意味を知りたい。考えられる事は三つだ。
一つは「起きて来る光札への布石」……まだ一手目だよ? リスクが高過ぎるし、これは考えにくい。
二つ目、「既に《芒に月》を持っている」……これも違う。私の攻撃を躱した二手目、すぐに合わせて確保するのが常道だし。
最後、「私が慌てて同月札を無駄打ちするのを待っていた」……推測に過ぎないよ、こんなの。第一、私が光札を持っていたら大失敗じゃん。打ち場の雰囲気に熟れる前の、しかも睦月戦。頭が冷えている状態に――。
意味無いよね、とトセは溜息を吐きたくなった。考えれば考える程、思い付く目代の作戦は下らない。更にこの後、目代が起こした札がトセの「杞憂」を加速させる。《菊のカス》が現れたのだ。
ニヤリとトセが笑った。即座に《菊に盃》を打ち出し、山札へ手を伸ばす。《柳に小野道風》が飛び出すと、短冊を抱えて自陣を尋ねて来たのである。《雨四光》が見えただけでは無く、加算役の《タン》も射程に捉える事が出来た。
場は進んで三手目、一方の目代はノンビリとした様子で《菖蒲に短冊》を場に捨て、起きて来た《菖蒲のカス》によって自給自足の形となった。
そんなんじゃ遅いですよ、先輩……トセは心で笑み、《梅に短冊》をカス札に合わせる。続いて山札に手を掛け――。
「良かったぁ」
場札の《芒のカス》へ起き札を叩き付けた。
「早くも《月見酒》の完成ですね。でも……これだけじゃ、私は満足出来ないのです」
「……」
目代は一言も発さず、手早く《藤のカス》を場札に加える。「困った時の藤打ち」か――トセの頬は緩んだままだった。起き札は《桐のカス》、全くどうでも良い札である。
「さて、四手目ですか」
再びトセは思考する。《桐に鳳凰》の取得は確定している為、ここは別の手を伸ばすべきだと考えた。打った札は《藤に短冊》、《タン》の完成まで残り一枚と相成った。起きた札は《桜に幕》、これで全ての光札がトセの視界に映る事となる。
五手目となった。目代は適当に出すかのような速度で《菊に短冊》を捨て、《柳のカス》を引き当てる。トセは殆ど目代の取り札に気を回さず、「如何に破壊的文数を叩き出すか」に熱中している。
しかし――相手は黙せど目代小百合。猛者集う花ヶ岡にて「五指」に入ると名高い女であった。トセは万が一も想定し、《桐に鳳凰》をカス札に合わせた。睦月戦の処理を開始したのである。引き当てた札は《藤のカス》であった。
六手目に目代は《牡丹に蝶》を打ち出す。《猪鹿蝶》でも狙っているのかと笑い出したくなりつつも、起きて来た《芒のカス》を見下ろすトセだった。
トセの手番である。わざわざ起こしてくれた《芒のカス》へ雁の札を打ち当て、山札の上澄み一枚を引き出す。
「ありがとうございます、先輩」
引き出した札は《牡丹に短冊》、まさに狙い通りであった。残る手札は《梅に鶯》《菖蒲に八橋》の二枚、しかしトセは再び――。
「こいこい」
更なる爆薬の追加を狙った。目代は眉一つ動かさず、コクリと頷くだけだった。その動作が癪に障った。
怖くないの? もう一文取ったら倍付けなんだよ?
臆さぬ目代は七手目に《桜のカス》を光札に合わせ、萩のカス札を起こして短冊も回収する。《花見酒》と《五光》は消えたが、トセの表情は明るいままだった。
さぁ、行きなさい――トセの手から飛び立つ鶯は、場札に咲く梅の花へストンと降り立つ。可愛らしい囀りは持ち主の勝利を願う応援歌か――。
トセは《紅葉に短冊》を引き当てたのである。
「勝負です」
《月見酒》が五文、《タン》が二文……計七文となり、《七文以上倍付け》の規定が適用される。
「まずは一四文。私の優勢ですね?」
さぁ、混ぜて下さいな――トセは札を集め、そのまま目代の方に追いやった。
「楽しい闘技ですね。目代先輩」
頷きもせず、否定もせず……目代はやはり沈黙を貫きつつ、札を手早く切り混ぜ始めた。
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