第6話:憎悪対象

「……あらぁ、焦げちゃったわ」


 網の隅に横たわる野菜クズを取り除く宇良川は、は何処にしようかと目線を動かす。呼応するように、龍一郎は小皿を差し出して「使って下さい」と笑った。


「気が利くじゃない? 欲しいものをスッと出すその姿勢……」


「そうですか? あっ、来た来た」


 そそくさと店員がやって来た。トレーにはウーロン茶が二つ載っていた。席を外しているトセ、目代の飲み物は充分な量がある。宇良川は「誰の分かしら」と小首を傾げた。


「近江君、二杯飲むの?」


 いえいえ……少年は人懐こい笑みで答えた。


「宇良川さんの分です。さっき、俺のウーロン茶を見て『それも良いわねぇ』って言っていたじゃないですか」


 小指一本分に口を開き、キョトンと宇良川は龍一郎を見つめた。しばらく押し黙り、「うぅん」と高級酒を味わうような唸り声を上げたのである。


「……の教育が功を奏したのかしらぁ」


「それは……どうでしょうかね?」


 新しいウーロン茶を一口飲み、口元を紙ナプキンで拭う龍一郎の表情は――。


 実に楽しげなものだった。




 笑い合う龍一郎達から、おおよそ一〇メートルも離れていない位置にて……トセ、目代の両名は「仲の良い先輩後輩」という関係には程遠く――。


「アハハハ、憎たらしいって酷いですよ先輩!」


 隠し通したはずの不信感、あるいは見せぬはずの敵対心がぶつかり合っていた。


「ちょっと、言葉遊びしただけじゃないですか。それに……」


 のは事実なんでしょう――じゃあ仕方無いよね、とでも言いたげなトセの顔は、目代の鋭くなる視線を真正面から受け止めていた。化粧室からすぐ近くの座席から、「今日は楽しく飲みましょう」と明るい声が聞こえた。続いて乾杯の音頭、グラスを打ち鳴らす音が響く。


「目代先輩、まるでその事をのように隠すから……つい気になっちゃったんです」


「悪い事って……別に疚しい気持ちがあった訳じゃ――」


 次の瞬間、トセが発した台詞は目代を硬直させた。


「ありましたよね?」


「…………え?」


 俄に目代がかぶりを振った。何て無礼な後輩だろうとも思った。


「……無い、! 二年生の左山さんと付き合っているんだって、本人から聞かされたんだよ? 好きとか嫌いとか、そういう考えじゃなくて……そう、姉弟のような感覚だったんだよ!?」


 ご、ごめんなさい――顔色を変えて謝罪するのだろうかと目代は待ったが、しかしながらトセは頭を下げるどころか、嬉しそうに微笑むばかりだった。


「ちょっと、何が可笑しいの!」


「いえ……そこまで必死にならなくても良いのに、と。……先輩、火の無い所に煙は立たぬとも言いますよね?」


 絵本を朗読するかのような声色で――トセは「火」の根拠を語り始めた。


「随分と、先輩とリュウ君は秘密の符牒があるみたいです。ほら、リュウ君がココアを入れる時、先輩……紙飛行機を飛ばすでしょ?」


 自身の手から離れ、空中を滑るように飛んで行く紙飛行機を思い出す目代。中に書かれた「いつものやつ」という短文は、「濃い目、牛乳は若干温め、砂糖少し」なる分量を指す。彼も毎度同じ分量で自身の分を拵える為、結局は「貴方と同じもの」が欲しい――というサインに変わり無い。


「口で伝えれば良いんですよ。毎回……紙飛行機を飛ばしていたら大変でしょう?」


「……別に、貴女に関係無い事だし――」


「大変なのは、リュウ君の方ですよ。紙飛行機を拾って、開いて、毎回同じ事を確認して……何となく、私は思ったなぁ。ココアよりももっと――」


 別な要求なんじゃないかなぁって……更にトセは続けた。


「ココアだけじゃないんです。二人で闘技している時も、スススッと場札を取りやすくしたり、山札を動かしますよね。その……何と言うかな、先輩の目付きが……伴侶的? って言うのかな?」


 次々と述べていく推論によって、それまで笑顔だったトセは表情を暗くし、まるで何かの毒を溜め込んでいくようだった。


「……《札問い》の場じゃないんだよ? それぐらいの配慮があっても良いでしょう? 近江君、毎回山札を相手がに動かすの、おトセちゃんも分かるでしょ?」


《金花会》や《札問い》の場を除き、龍一郎は二人打ちの闘技でのみ、相手が手を伸ばしやすい位置に山札を置く癖があった。そこに、例えば忌手イカサマが関係する訳でも無く、純粋な彼の思い遣りの現れである。


「でも、私が同じ事をしても……先輩は?」


 していた――気がした。


 トセと比べ、何となく龍一郎に「労ってあげたい」欲求が彼女にはあった。龍一郎が異性の為か、それとも邪な情が湧いたのか……目代には分からない。しかしながら、当然の如く――。


 トセから龍一郎を取り上げようとは露も考えていなかった。


 これを言語で理性的に、かつ分かりやすく伝える方法が思い浮かばず、目代はその場でトセを睨め付けるだけだった。この無抵抗さが一層トセを刺激したらしい。


「帆立だって、さっき焼き上がったのをリュウ君のお皿に入れたし。凄いなぁ。目代先輩って、本当に……!」


「い、苛つかせるつもりなんて――」


「無かった。なんて言わせませんよ」


 朗らかな笑みが、トセの顔面から霧散した。代わりに据え置かれたのは――仇を恨む復讐者の相貌である。


 目代の滑らかな背筋に、一筋の汗が滴り落ちる。酷く冷たかった。




 さっきの態度は「嘘」だったんだ。全部、全部全部……左山さんに近江君を奪われた怒りを隠して、なるべく私達に悟られないようにして……。あれ?


 それだけ? 彼女の話によると……どうにも違う、それだけじゃないみたい。


 …………ちょっと、本当に? 流石に嘘でしょう?


 この子――まさか。


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