第5話:不遜なる後輩

 おトセちゃん、それは自分が辛いんじゃないの……?


 メロンソーダをストローで混ぜる目代は、龍一郎の笑顔のトセに眉をひそめた。


 かくして開始と相成った食事会。座席は「以前のような」配置となっていた。目代の横に宇良川、対面して龍一郎、彼の横に――トセが座っているのだ。


 食べ放題という事もあり、大きなメニューを開いて「これ、食べてみない?」と提案するトセと、何処か落ち着きの無い龍一郎が……目代は瞼を閉じてしまいたくなる程、痛々しかった。


「目代先輩も、ほら! アンケート用紙に食べたいものを書いて下さいね」


 コクリと頷き、しかしながら――目代は好物の「豚トロ」と書けずにいた。「多分、とかは無いですよ」と先刻述べた龍一郎の表情が、感受性の高い彼女を刺激した。




 私の考えが……余りに都合が良過ぎたんだ。


 私と柊子ちゃんにすら嫉妬するが……ここまで「事情」を気にせず、むしろ知らないかのように振る舞うなんて!




「ほらほらぁ、おトセちゃんも……人の世話より肉を優先しなさいな? 肉食系女子になるって、この前決めたでしょう?」


 トセの接近を見かねたらしい宇良川が、トングをカチカチと動かして微笑んだ。「はぁーい」と明るいトセの声が妙に響くようだった。


「目代先輩、何か書けました?」


 ピョン、と寝癖が微動した。トセが覗き込むようにして、油断していた目代に問うた。邪気の無い、あくまでであった。


 ごめんごめん……と目代はコメントを付け加え、「豚トロ、帆立、野菜盛り合わせ」と記した紙をトセに手渡す。受け取る瞬間にトセはニッコリと笑った。


「……先輩?」


 何でも無いの。そうかぶりを振った目代は――すぐに「止めて、私」と……沸き起こる疑念を踏み潰そうと必死になった。


「おっ、この牛タン貰っても良いですか?」


「あらあら……調を施された牛タンを欲しがるなんて……破産したいのかしら?」


「リュウ君、こっちでも焼けているよ。ネギ殆ど落ちちゃったけど」


 雰囲気に熟れたのか、段々と盛り上がりを見せてきた三人とは対照的に――目代の口元はキュッと結ばれ、悲痛的様相を呈している。「虚偽の笑顔を浮かべる龍一郎」を思い出していた。




 違う、近江君や……私のような、じゃない。笑顔? 本当に笑顔なの? おトセちゃん、貴女は今――何を考えているの?




 隣り合って座り、笑いながら焼肉を楽しむ龍一郎とトセの姿は、一見「懇意の仲」に思われた。その実、龍一郎は梨子と恋仲になり、トセはとなった。


 何故、目代がここまで他人の「笑顔」に着目するのか?


 至極単純、明快な理由がある。彼女は「笑顔」に欺されて来たからだった。




 二年半以上……賀留多を以てして、「種々の揉め事」「様々の諍い」「諸々の欺瞞」と戦って来た。一つの事件が起きれば、名前も憶えていられない程に多くの人間が関わり、目代にを向けた。


 賀留多闘技の盛んな花ヶ岡独特の風土が由来しているかは不明だったが、花ヶ岡高生は「自らを偽る事」に長けている気がした。


 これに加えて、花ヶ岡が「女の園」である事も起因しているらしかった。一般的に嘘を吐く場合、男性よりも女性の方が上手であると言われている。上手同士がぶつかり合う校内にて、その練度が高まっていくのは必然といえよう。


 目代も女であり、《代打ち》である。時には辛い経験も積み……ある程度の「嘘」は看破出来る自信があった。そして彼女は経験則から――。


 嘘は、笑顔と事を知っていた。




「次は何食べようかなぁ」


 クリスマスプレゼントを選ぶ子供のような笑顔で、トセはメニューを興味深そうに眺めている。この日、トセはよく笑っていた。倣い、龍一郎も笑う。宇良川も微笑んだ。目代もまた……楽しんでいるをした。


「えっ。目代さん、帆立貰っても良いんですか?」


 顔を綻ばせる龍一郎の皿へ、食べ頃の帆立を置いてやる目代。いつの日か「帆立は焼くのが一番美味いです」と彼が言っていたのを思い出したのだ。


 一旦、トイレで落ち着こう――目代は「お手洗い!」と可愛らしくメモを書き、笑顔で店の奥へと向かった。どの客も大声で笑っている。笑顔で満ちた空間だった。


 扉を開ける。誰もいなかった。化粧直し用に設えたのか、手洗い場はかなり広く、鏡も大きく見やすいものだった。


 素直に楽しめない。自分が嫌になるな……。


 溜息を吐き、理由も無く手を洗いたくなった目代は、蛇口を捻り、勢い良く水を出した。差し出した両手に水流が当たる、ヒンヤリと心地良かった。


「早いですね?」


 ビクリと肩を震わせた目代。即座に顔を上げ、眼前の鏡を見やった。


「お、おトセ……ちゃん?」


 水流の音に紛れたトセは、「使います?」とメモ帳を差し出して来た。


が落ちますよ」


 トセは笑っていた。


「……い、要らない」


 少しだけ目を見開いた可愛い後輩は、「何だか……」と不満そうに頬を膨らませ、わざとらしく言った。


「今日の目代先輩、元気無いですね? お腹一杯なんですか?」


「ううん? 久しぶりの焼肉だし、まだお腹が緊張しているのかなーって。アハハ、そんな事無いか」


「緊張? 何でお肉に緊張するんですかっ」


 実に楽しげな声で笑うトセは、一頻り笑った後、「そう言えば」と明るい調子で目代に訊ねた。


?」


「え……あ、あぁ……お肉美味しいよ?」


 違いますよ――トセはかぶりを振った。


。行ったんでしょう。二人で? 密会していたんでしょー?」


 不気味な汗が滴り落ちた。慌てて目代は「密会だなんて」とかぶりを振った。


「私と近江君、早く着いちゃったんだよね。だから待つのもアレだし、ちょっと食べたいを出すお店が――」


「あぁ。、ケーキ。いけませんねぇ、リュウ君とデートじゃないですか!」


 分からなかった。トセが何の理由があって、自分を――皆目見当が付かない。


 一つだけハッキリとしている事。それは……。


「……おトセちゃん。何だか……変わったね」


 年下のトセが、年上の目代に対し――鎌を掛けた事である。言葉遊びにしては余りに不遜、余りに……に欠けていた。


「そうですか? 四月からこんな調子ですよ?」


 ううん、と目代が首を振る。


「変わったよ。もっと可愛かった」


「えー? じゃあ今はどうなんですか?」


 彼女の為だ。彼女が今後より良い人生を送る為に――私が言ってあげないといけない。


 生唾を飲み込み、目代は気まずそうに呟いた。


「今のおトセちゃんは――」


 憎たらしいだけだよ。

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