第3話:暴走者
「んぐぅっ」
アイスココアを吹き出しそうになった目代は、お絞りで口元を二度、三度拭いてから「本当に?」と筆談もせず、自身の口で問うた。
数秒前に聴いた事実――それは彼女が「ツキ」など無視してしまう程の衝撃があった。
「本当に……おトセちゃんじゃなくて、二年生の……左山さんと?」
彼女と対面して座る龍一郎は、同じく頼んだアイスココアを飲み干して頷いた。
「はい。左山梨子さんと……俺は付き合っています」
「…………そう……かぁ」
《姫天狗友の会》メンバーの中で、一番物事に臆しない性格の目代であったが――この時ばかりはソワソワと辺りを見渡し、落ち着かない小鳥のようにココアを飲んだ。ピョコリと跳ねた寝癖も、宿主の感情を悟っているのか、頼り無さげに倒れ込んでいた。
「いつから?」
「二週間くらい前です」
「柊子ちゃんは知っているの?」
「はい、成り行きというか……」
「…………おトセちゃんは?」
「これも成り行きで……電話で訊かれまして……」
成り行きが多いなぁ――深みの無い小説に飽いたような顔で、目代はストローの包み紙を弄んだ。
「……目代さんには早くお伝えしたかったんですが、やはり面と向かって言うべきだと思いまして……」
「その気持ちは嬉しいよ。でも……おトセちゃんに気兼ねしちゃうね、何だか……」
申し訳無いです……龍一郎は沈痛な面持ちで頭を垂れる。「謝らないでよ」と目代が彼の頭を突いた。
「別に近江君は悪い事していない……と、思う、よ」
壊れ掛けたロボットのような発声は、龍一郎がようやく押し込めたはずの罪悪感を叩き起こした。
「……やっぱり、俺は悪い事しちゃったんですよね……」
腕を組み、寝癖を左右に動かしながら……目代は酷く気まずそうに言った。
「……私なら、だよ? 私なら……『散々気を持たせた癖に』って、怒り出したくなるね。でもなぁ……お互いに好きだって言った訳じゃないし、恋愛は勿論自由だし…………いや、うぅん……」
これは言えないな――目代の顔に自制の語が書かれていたのを認めた龍一郎は、「何か?」と恐る恐る伺った。最初は目代も「何でも無いよ」とかぶりを振ったが……。
「教えて下さい、目代さん……今、一人でも意見が欲しいんです。俺、誰かと付き合うのも初めてだし、こういう複雑な関係は勿論初めてだし……」
懇願する後輩に弱かった目代は、「……おトセちゃんに言わないでよ」と声を潜めて言った。
「絶対に言わないでよ……」
「は、はい……」
スス、と身を乗り出した目代。香水――柑橘系であった――が微かに香った。
「……正直に言うと、おトセちゃんと近江君は――」
相性が悪い気がする……。
「……そ、そうですか? どちらかと言えば……気が合う方だと……」
古時計を見やる目代。食事会まで残り一時間となった。
「確かに気は合うと思うよ。でもそれは……例えば、男女の仲じゃなくて、友人関係において――じゃないかな。部室でも楽しそうにしているのを何度も見たし、私と柊子ちゃんも……二人のいないところで『いつ付き合うんだろうね』って話していたしね」
カラン……と氷が音を立てた。
「凄く良い子だよ、おトセちゃんは。分け隔て無く人と付き合えるし、抑えるべき礼儀はキチンと抑える……理想的な女の子。でも……近江君に対する、その……束縛? 或いは――私と柊子ちゃんに対する『嫉妬』……かな。段々とおトセちゃんが……別の人になる気がしたの」
途端に龍一郎の記憶が蘇る。目代や宇良川と雑談したり、賀留多闘技の中でちょっとしたボディタッチを行った時……大抵、視界の隅で「苦笑い」を浮かべるトセの顔がそこにあった。
あの時、この時、そういえばここでも……。
続々と彼の脳裏を、トセの苦笑いが過ぎって行った。この表情が「想い人を別の異性から遠ざけたい」という束縛欲の表れならば、
人懐こい後輩から、睥睨を向けて来る「女」に成ったのである。
「私達がおかしいのかもしれないって、最初は考えていたよ。好き合っている二人をソッとしておくとか、なるべく……こう言ったら変だけど、近江君に触らないようにしようって……。でも、私達は《姫天狗友の会》でしょう? 皆が《代打ち》として活動する、性別を超えた仲間だと思うの」
部内恋愛、職場恋愛……閉鎖的な空間で生まれた恋情が、部外者――所謂「他人」に利益をもたらす事は殆ど無い。大体の人間は愛を育む二人を腫れ物扱いするか、最大限に気を遣って「揉め事」を生まぬよう過ごすのが関の山である。
勿論、気にせず二人と付き合おうとする人間も存在するが、これには相当の技術が必要不可欠となる。
彼らが惹かれ合う事で生じた地雷を、あらゆる角度から発見、除去、または回避し、「これまでと変わらない関係」を保つという離れ業……。万人が可能ならば、もしくは閉鎖的恋愛も腫れ物のレッテルを貼られずに済んだが――。
多くの場合、「困った二人だ」と溜息を吐かれてしまう。愛の成就は尊く、拍手を以て喜ばれるものだが、他人の愛に密着し続けた者は、感情の満腹中枢を刺激され、「もう充分だ」とそっぽを向くだろう。
また……更に状況が進むと、部外者は平等に二人を困り者扱いするのではなく、「どちらか一人」を部外者側に引き入れ、以前のような関係を構築しようとするが、逆に……残った一人を「暴走者」の如き目で見るケースがある。
今回――「暴走者」は恋破れ、傷心に喘ぐトセであると目代は定めた。当然ながら目代はトセの事を恨んだり嫌ったりと、負の感情によって虐げようとしている訳では無い。
トセが暴走者たる所以、それは……。
「……ほら、前に喫茶店で、四人でお茶した時があったじゃない? 私が旅行雑誌を開いて、『この岬に行ってみたい』って……私が言ったよね。そしたら近江君が――」
「皆で行きましょうか、って俺が答えました……」
その後だよ――ストローで氷を突き回しながら目代が頷いた。
「おトセちゃん、笑っていたけど……あんなに嫌そうな笑い方もそうそう出来ないよ……。『そこまで嫌なの?』って……正直、思ったよね」
目代の声色が少し落ちた。
「私も多分、嫉妬はする方なんだよね。それでも……仕方の無い場面も出て来るじゃない。男女二人切りで何処かに行かれるのは怒るけど、仲良しのグループで、しかも自分だって参加するんだし……」
当事者じゃないから言えるのかな……そう呟く目代の目元が、薄ら黒くなるようだった。
「そういえば、左山さんは怒ったりしないの? 『食事会に一重さんも来るんでしょ!』とか」
「いいえ、『気にせず行きなさい』と言ってくれました」
「……大人だなぁ、左山さん」
感心するようにコクコク頷く目代は、「ともかく」とアイスココアを飲み干した。
「色々とビックリしたけど……それでもおめでたい事だし。まだ時間も少しあるから、お祝いに何か食べよっか」
「えっ? これから食事なのに……俺、全部食べ切れるかなぁ」
メニューを開く目代は、「大丈夫大丈夫」と可愛らしくウインクした。
「古代ローマの貴族は、食事会でお腹一杯になるとね? 孔雀の羽を使って――」
「その話は止めましょう。色々と怖いです」
「お姉さんの冗談です」と目代は微笑み、暇そうにトレイを拭いている店員を呼んだ。
「すいません、ココアケーキ二つ下さい」
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