第2話:彼氏彼女
「……それで、《柳に小野道風》、傘を差した人の札があるでしょ? 絵実は今これを持っているから、それを出せば……」
これと、この札が取れるって訳――指差された二枚の場札、《梅に鶯》《桜に幕》を見つめる絵実。
「えーっと、これが梅に目白だっけ? 六〇点で凄いって札だよね」
「似ているけど違うよ、それは鶯」
ちょい待って、メモるから……絵実は持参したノートを開き、梨子から教授される《六百間》の手順を記した。可愛らしいイラストは《八八花》に未だ慣れない彼女の工夫らしかったが、文章よりもイラストの方に注力されていた。
「見て、似てない? 傘の人」
「……そんなに長い髭は生えていないでしょ」
フゥ、と一息吐いてアイスティーを飲む梨子は、思い出深い《こんてい屋》の店内を見回した。
つい数日前……今では「彼氏」となった龍一郎と二人、フラリと訪れた賀留多カフェは、宣伝が軌道に乗ったのか、多くの客で賑わっていた。新しいサービスとして闘技に慣れた店員がテーブルに着き、札一枚一枚の名称から親身な指導を行っていた。
様々なお礼を兼ねたエストレーモパフェを食した絵実は、「折角教えてくれたんだから」と《六百間》の習得を望んだ。一方の梨子は意外な依頼に驚きつつも、些細な会話や約束を決して忘れない絵実の良さを改めて感じたのだった。
「…………よし、これで大体憶えたかな」
額を拭う所作と共に絵実が笑った。
「それにしてもさぁ、花ヶ岡の人って皆がルール憶えているの? 点数とか役とかさ、沢山あるじゃん」
「皆が皆、全部の手順を憶えている訳じゃないよ。ある程度やり方は一緒だし、本を読んだり人に訊いたりも出来るから」
専ら梨子は『花ヶ岡賀留多技法網羅集』を読み込み、一人で札を並べて学ぶ「蛍雪型」であった。《金花会》では初心者に向けた講習会も催されるが、どうにも梨子は賑やかな雰囲気が得意では無かった。
講習会にやって来る生徒は大抵が一年生、しかも「度胸のある明るい人種」ばかりで、一歩も二歩も他人の後を付いて行く彼女にとって、余りにルーメンの大きな場は眩し過ぎたのである。
「そろそろ座学も辛いし、実戦で教えてよ先生!」
恐らく、絵実は講習会でも何処でも行けるタイプなんだろう……梨子は《八八花》を不器用に切る絵実を見つめ(数枚がテーブルの下に落下した)、羨みつつ頷いた。
彼にも、こんな時期があったのだろうか?
ポイポイと置かれた場札を並べながら、年下の恋人を想う梨子であった。
同日同時刻――年上の恋人について根掘り葉掘り聞き出される少年、近江龍一郎は呆れた表情で興奮した様子の楢舘を見やった。
「もう少し粘れよな、お前。ゆっくり見学も出来やしない」
「いやいや、古文書よりも恋バナだろう。本当にお前……凄いわ、マジで。ドンデン返しだもんな、なぁ羽関」
見つめられれば財布を渡したくなる相貌の羽関は、微笑を湛えて「確かにな」と楢舘に同意した。
本日、龍一郎は男三人で蝉時雨の中を息を切らしながら歩き、郊外の博物館へとやって来た。「福引きでチケットが当たったし、エアコン効いて涼しそう」と、教養から程遠い楢舘が提案したのが悪かったのか、太陽はアスファルトを溶かす勢いで気温を上昇させていた。
結局――起案者の楢舘は早々に展示物に飽き、綺麗な店員がいるからとコーヒーの飲める休憩所へ、嫌がる龍一郎達を無理矢理に連れて来たのである。
「だってよ……龍一郎は今、《姫天狗友の会》に所属しているだろ? そこで一重さんと懇ろになったのに、いきなり――」
コレだろう。楢舘は自身の首を掻き切るような動作をした。
「仕方無いだろう、近江だって男だ。一重さんより更に魅力的な女性が現れただけだ、それに……第一彼女とは付き合っていなかっただろうが」
「だとしてもよぉ……ちょっと可哀想だよな。誰が見ても秒読みだったのに、いきなり横から盗られたって事だろう」
おい楢舘――羽関は眼光鋭く隣の男を睨み、低い声で言った。
「その言い方は左山さんを侮辱する事になる。改めろ」
「…………紆余曲折の末、お付き合いしたって事だろう? とにかくさ、お前、一重さんに言ったのか?」
龍一郎の心臓が、微かに跳ねた。
「言って……いないのか? お前、それはヤバいんじゃないのか?」
心配そうに見つめて来る楢舘、気まずそうな顔でコーヒーを飲む羽関の両名は、黙したままの龍一郎の返答を待った。
数秒置き、龍一郎は「やはり」と目を閉じた。
「言わないのは……不味いよな」
珍しく楢舘と羽関は声を揃えて「不味い」と同意した。
「自由恋愛の世の中だ。近江には左山さんと年齢に関係無く、真っ直ぐな恋愛をして貰いたいし応援もする。だが……」
「龍一郎を明らかに好きだった一重さんに黙っているのは……後々とんでもない事になると思う」
俯き、両手で頭を掴んだ少年は……「だよなぁ」と力なさげに応答した。
「……いつ、おトセに言えば良いかな」
賀留多闘技における駆け引きに長けた龍一郎は、しかしながら――恋情に関しては無菌状態、所謂「ド素人」であった。
悪いな。君とはとても良い関係だったけど、別の人と付き合う事になったから、スッパリ俺の事は忘れてくれ。
無機質な棘を纏った言葉に、「分かったよ。二人の事、応援するね!」と華麗に引き下がる女性は何処にいるだろうか。殆どの場合は「えっ……あぁ、そうなんだ……」と硬直するだろうし、「弄んだって事? 最低だね」と後ろ指を指されても致し方無いであろう。
龍一郎は幼く、青い。青々とした若葉であった。故に「恋情」の持つ影響力を学んでおらず、「自分がそうだから」と誰しもがスンナリ話を飲み込んでくれると考えていた。
如何にして深手を負わずあるいは負わさず、気の利いた
「……まぁ、そんなに気負わずに、次遊ぶ時に言えば良いだろう? 『彼女出来たんだ』って。世間話の流れでさ」
「世間って厳しいんだな……」
「楢舘の提案は乱暴だが、しかしそれしかないように思える。だが……謝るというのは余りに驕っているようだし、難しい問題だな。唯のクラスメイトならまだしも……二人は《代打ち》で、賀留多文化を護った戦友でもある訳だ」
ここを乗り切れるかどうか、それで男が決まるぞ近江――羽関は眉をひそめ、「それはそうと」と龍一郎に問うた。
「何だ?」
「左山さんは、胸は大きいのか?」
「えっ、質問のタイミングヤバいだろ羽関」
「クッションになりそう、とは言っておくよ」
「あっ、答えるんだお前も。見てみてぇー」
ふむ……と唸りながら羽関は顎を撫で、「もし」と続けた。
「『どうしてあの人が良いのよ』と言われたら、胸の大きさで決めたと答えるのはどうだ?」
そんなの無理に決まっている――龍一郎は吹き出し、釣られて二人も笑い出した。
「まぁ冗談だが、余り暗い顔しているのも勿体無い。どう伝えるかは近江の宿題として……折角の夏休みなんだ、馬鹿っ話でもして笑おう」
なぁ近江……岩のような手が伸びて龍一郎の肩を叩いた。
ズシリとした衝撃に、何処か力強さを覚えた龍一郎は、窓の外で煌めく太陽を見上げた。
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