左山梨子、侵略せり

第1話:マリナーラはいつか貴方にも

「とりあえずー……おめでとうございます!」


「……ありがとね、本当」


 カチャン、とコップを打ち鳴らす梨子と絵実は、ほぼ同時に笑い合い、絞り立てと謳われたオレンジジュースを味わった。


「ついこの前に来たのに、もうリピートしちゃったね。しかも梨子の奢りで!」


 人の金なら何でも美味い! 絵実はニッコリと笑い、店員を呼び付けて「エストレーモパフェ、食後で二つ!」と注文した。


「それよりさぁ……そろそろ聴かせてよ」


 ニヤニヤと梨子の頬を突いた絵実は、親友の幸福が自分の事のように感じられるのか、「幸せだなぁ」と芝居掛かった声色で頷いた。


「どうやって告白したのさ?」


「どうやってって……付き合って下さいって――」


「分かっていないねぇ左山君! 今日のご飯は何? って訊かれて『え? 肉』って答えるぐらい分かっていない!」


 小首を傾げる梨子に構わず、限界まで彼女に詰め寄り……絵実は声を潜めて問うた。


「恋愛初心者の梨子が、どうやって彼を口説いたのかなぁって訊きたいの!」




 浮気なんて器用な事、出来ません。


 梨子の「穢れた提案」を耳にした龍一郎が、最初に発した言葉である。一〇秒程の間を置いて、彼は強い緊張のせいか……荒い息で続けた。


 龍一郎が口を開く度に、梨子は淡々と返していった。


「ちゃんとした恋愛が分からないんです、俺」


「私もです」


「きっと、色々と迷惑を掛けてしまいます……本当は、俺、凄いクヨクヨする性格なんです。よく男らしいとか言われますけど、そんなの違うんです。本当は……」


「弱虫、って事?」


「……はい」


「じゃあ丁度良いね。私も弱虫だし。弱虫同士、仲良く出来るね」


「……でも、それじゃ余りにも情け無いです」


「良いじゃない。情け無い近江君で。皆の前では男らしくした方が良いのかもしれないけど、私の前では、唯のでいたら良いよ」


「左山さん……」


「浮気が出来ない不器用さんなら――正式に、私を……一人だけのにしてくれる?」


「……本当に、俺なんかが良いんですか」


「そう。が良いの。好きで好きで堪らないから、付き合って下さいって言っているの」


「…………こちらこそ、よろしくお願い致します」




 呆気に取られたような表情の絵実は、一気にオレンジジュースを飲み干してから「ねぇねぇ」と手招きした。


「あのー……好きって言われていないの? それで我慢出来るの? いや、何と言うか……余りにもサッパリしている感じ?」


「えっ、付き合うって言ったから『好きになってくれたんだなぁ』って分かるじゃない? 帰る時もおでこに手を当てて、『熱があるかも』って真剣な顔で言っていたし……」


 絵実はポカンと口を開け……「うぅーん」と腕を組んで唸った。


「梨子、ヤバいくらい大人じゃね?」


「それは……どうなんだろう?」


「いやいや、大人だって。あれでしょ、『言葉は要らない。態度でお互いの気持ちが分かるから』ってのでしょ? 私駄目だもん、毎日好きかどうか訊いちゃうもんね。毎日毎日確認だからね」


「おぉ……情熱的だね」


 何人もの男子と長続きしない理由が見え隠れするようで、梨子は苦笑いしつつ……運ばれて来た赤いピザに顔を明るくした。


「お待たせ致しました。マリナーラで御座います。お熱い内にどうぞ」


 背の高い男性店員は二人に会釈し、慣れた手付きでピザカッターを操り、特製ソースの大地を八等分していく。刃の表面は湯気で白く曇り、回転する毎に芳醇な香りが飛び出すようだった。


「えぇ、ちょっと待ってよ……すっごい美味しそうな匂いするね、これ……ニンニクかな?」


 スンスンと鼻を利かせる梨子。真っ赤なトマトの後ろで、控え目に手を挙げるニンニクが思い浮かんだ。


「本当だ。早く食べたいね」


「でも……良いの、食べちゃって?」


 絵実が心配そうに問うた。


「今日、この後に会ったりしないの? 龍一郎君と」


 会わないよ? 梨子はかぶりを振って、店員の取り分けてくれたピザを刮目していた。


「付き合ったばっかりなら、会う頻度も高くなるかなって……」


「気にしないでよ、今日の事も言ってあるし。『一日、絵実と遊ぶね』って」


「……それで、何と?」


「えっ? 『茂原さんによろしくお伝え下さい』って。今度一緒に賀留多で遊んで下さいとも言っていたかな?」


 ふぇー……空気の抜けたような音を立てて、湯気の立つピザを手に取る絵実。


「私はどんとこいだけどさぁ……何だか、年上っぽいね……よく分かんないけどさ……とにかく、梨子は良い男を捕まえたと思うよ、本当」


 ありがとね――梨子はにこやかに返し、熱々のピザを一口齧った。口内を駆け巡るトマトの酸味、後を追うニンニクの旨味、バジルなどの爽やかな香りに、梨子は思わず「んんー!」と目を見開いて絵実と頷き合った。絵実も彼女と同じ感想を抱いたらしい。


 ピザを飲み込み、一呼吸置いて――二人は声を揃えて言った。


 すっごく美味しい!

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