第9話:金青山の悔恨

「いらっしゃいませ、何かお困り事が御座いましたらお申し付け下さい」


「あ、ありがとうございます……」


 店内は大勢の客で賑わっていたが、花ヶ岡高生のような「玄人」らしき人種は殆ど見当たらなかった。大抵の客は《八八花》や《キャラクター花札》のコーナーにたむろするか、書籍売り場で「こんな遊び方知らないんだけどー」と笑い合っていた。


「どうやら、この店はよりかは、完全に新規の人達に向けてありますね」


「みたいですね……あ、でも賀留多は多いですよ」


 陳列の仕方、内装、客層は梨子にとって慣れないものだったが、しかし棚に並ぶ賀留多を見やると、まるで故郷の写真を見るような気分になった。


「へぇ、一階が《八八花》と本、二階が地方札なんですね」


 龍一郎の言う通り、階段を上がると靖江天狗堂に比肩する程の品揃えで、各種の地方札が二人を待ち受けていた。その内の一つを手に取り、梨子は花ヶ岡に入学した当初を思い出した。


「《金青山きんせいざん》かぁ……懐かしいなぁ」


「それ、何処と無く《株札》に似ていますね。……靖江天狗堂でも見た事が無い、去年までは売っていたんですか?」


 昔に親しんだ友人の事を語るように、梨子は木箱を軽く撫でながら答えた。


「限定生産品ですね。ほら、時々購買部に『今月の限定品』ってポップが貼られているじゃない? 入学した当初は、とにかく賀留多に詳しくなろうと思いまして、とりあえず『限定』って書かれていた金青山を買おうとしましたが……」


 梨子は力無く笑った。


「それはでの限定販売で……買えなかったんですよねぇ。一年生なんて、殆どの人が花石の貯蓄が無いでしょ? 当然、貯まった頃には誰かが買っちゃってて……」


 じゃあ――梨子の持っていた木箱を取り、龍一郎がニッコリと笑った。


「これも俺が買ってあげます、いえ……買わせて下さい」


 裏に貼られた値札を指差す梨子。ちょっとした贈答品の値段である。


「これは私が買います。残り一個……それに思い出深い賀留多だから。自分のお金で手に入れますよ」


 何と無く……消沈した顔の龍一郎は、「そうですか……」と口を尖らせた。


《金青山》の置かれていた棚に小さな立て札があった。「遊び方の説明書プレゼント中」と、可愛らしい丸文字で書かれている。


 それから二人は一階に降りて行き、ようやく空き始めた《八八花》コーナーを目指す。特に売れていたのは昔ながらの絵柄ではなく、ネズミのキャラクターが描かれている代物であった。




「《ボーピン》って技法なんですね、それで打てるのは」


 店外へ出た梨子と龍一郎は、すぐ近くの広場でベンチに腰を下ろし、レジで貰い受けた「ボーピンの遊び方」という説明書に目を落としていた。


 最初は三階のコーヒーショップで休憩しようか……などと話していたものの、余りの混雑具合に二人は眉をひそめ、木陰の多い広場へ足を運んだ、という顛末である。


「《おいちょかぶ》に似ているけど、『ボー絵』っていうのがあるみたい。ボー絵とピンの札……それを親が引いたら総取り、ですって」


 うぅん、と龍一郎は頭を照れ臭そうに掻いて唸った。


「俺、どうにも株系の技法は苦手なんですよね……歯車が合わないっていうか……『そりゃ無いよ』って出来役が怖いというか」


「近江君でも、賀留多を打っていて怖いな、って思うんですか?」


 そりゃあ勿論……説明書を丁寧に折り畳み、梨子に返した龍一郎。


「俺は《代打ち》をやっていますからね、依頼を受けて、打ち場に向かって、相手と差し向かいで打って……自分が勝った、って決定するまでずっと怖いです」


 喧しい蝉の声、自動車のエンジン音が折り重なって梨子達に降り注ぐ。梨子は初めて龍一郎に出会った時を思い出していた。


「多分、この『怖い』って感情が無くなったら、二度と勝てなくなると思うんですよね。何と無くですけど」


 少しだけ間を詰め、梨子が言った。


「……強いのね、近江君」


「何も強くなんかありません。何とかやって来られたんです、これからも歯を食い縛って突き進むだけですよ。それが近江龍一郎ってもんです」


 そろそろ探しましょうか、打てる店――龍一郎は立ち上がると、両腕を天に向けてウンと伸ばした。


「どうしましたか、左山さん?」


「ううん、何でもありませんよ。さぁ、行きましょか」


 彼の後を追い……梨子は広い背中を見つめ、思った。




 ねぇ、近江君。貴方は……本当は、疲れているんじゃないの?

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