第7話:宣戦布告

「梨子、やっぱりあんたは何か持っているね。正直言って……ドラマじゃん、その出会い。結局近江君は一人だったの?」


「ううん、多分……来ていたんだと思う、誰かと」


「……女の子?」


「……そうだよ、きっと」


「なるほどねぇ……でもさ、……後は攻めるしか無いよね」


「……」


「梨子はさ、他人を立てたりするのがとても上手だけど……今回は、そういうの止めなよ。恋愛だけは、遠慮していたら絶対に損をするよ?」


「分かっているよ、絵実……」


「そう、梨子はもう――『彼女候補』の子にをしちゃったからね。それに……近江君も連絡先を教えてくれたって事は、少なくとも梨子を嫌ってはいない、って事だね」


「……異性として見られていない、のかな」


「梨子。マイナス思考とはお別れだよ。言ったでしょ、青春は自信を持たせてくれるものだ、って! 見られていないなら、見られるように努力しなきゃ」


「……うん、分かった。私、今日から変わるよ」


「良い心掛けだね。……それで、いつ連絡するの?」


「今日、家に帰ったらする」


「電話?」


「ううん、メッセージで。その方が……」


「その方が?」


「記録として残るでしょ。メッセージを開く度に、私の名前が表示されるから……」


「…………梨子、かなり本気だね」


「私だって、女だから。……それぐらい、考えるよ」


「やっぱり、あれでしょ、花ヶ岡にいるとそういう駆け引きが上手くなるの?」


「いや、賀留多とはあんまり関係…………あぁ、絵実……ありがとう」


「え、どしたん? いきなりお礼言って――」


「ううん。唯……次回へのを思い付いたの」


「えっ、もうそんなに恋愛上級者みたいな事を?」


「そうじゃないよ……ちょっと使える口実があるなぁって」


「…………教えてよぉ!」


……それを切っ掛けにしようかなぁって思ったんだよ――」




 花ヶ岡高等学校一年生、近江龍一郎はかつて……梨子を特異な文化――《札問い》によって助けた事がある。


 年齢、性差、信条全てに左右される事無く、平等に持ち寄った「揉め事」を、賀留多闘技にて解決する手法、札問い。もし……花ヶ岡に不可思議な文化が無ければ、あるいは梨子と龍一郎が出会う事も無かっただろう。


 違う階で生活する二人の男女を引き合わせたもの、それが《賀留多》であった。


 賀留多があったから、梨子は詐欺的無尽講に頭を悩ませた。


 賀留多があったから、花ヶ岡には独自の紛争解決手段が生まれた。


 賀留多があったから、龍一郎は《札問い》という文化に触れる事が出来た。


 賀留多があったから、龍一郎は果たして《代打ち》の活動を始めた。


 賀留多があったから、二人の間に「縁」が生まれた。


 小さな長方形の紙束が無ければ……二人の男女が顔を合わせる確率など、余りに低く……。


 また、梨子が龍一郎の魅力に気付く事は恐らく無かった。


 年下であるにも関わらず、逆境を跳ね返さんとした様子の龍一郎……梨子は彼を、どんな芸能人よりも「格好良い」と思った。


 彼ともし、懇意になれなたら――時が経つにつれ、梨子はふとした拍子に夢想するようになる。例えば百貨店で服を選ぶ時、「彼の好みはどうだろう」と無意識に考えた。例えばケーキ屋でバースデーケーキの広告を認めると、「彼の誕生日はいつだろう」と首を傾げた。


 生活のあらゆる場面で……龍一郎は都度、その影をほんの少しだけ落とした。


 しかしながら梨子は、単純に頬を赤らめて恋に恋する少女ではない。反対に「自分よりも相応しい人がいる」と、自ら恋情を封殺する姿勢を取ってもいた。




 一歩退き、他者の幸こそ至上なり。




 士族の流れを汲む左山家に伝わる家訓である。


 梨子が小学生に上がる前の事だ。肺炎で他界した祖母は、幼い梨子に幾度も左山家の家訓を語って聞かせた。祖母を愛していた梨子は疑いも反発もせず、「そういうものだ」と彼女の言葉を全面的に受け入れ、自らの信条へと作り変えていた。


 祖母は孫娘に対して……過ちを犯していた。正確には「然しながら」を伝える前に、病魔に蝕まれてしまった。


 祖母は幼い梨子の成長を待っていた。を教授されてもなお、咀嚼して飲み干す思考力の成長を心待ちにしていた。どちらもおざなりに出来ぬという平等精神が、祖母の古より伝わる血統の霊力なのかもしれない。


 梨子ちゃんの暮らす時代ではね、他の人と同じくらい、自分も大切にしてあげなきゃ駄目なのよ。


 もし梨子が祖母よりこう教えられていれば、龍一郎の背後でちらつく「あの少女」に悩まされる回数も少なかっただろう。


 そして――「女」として目覚めるのも、ずっと早かった事だろう。


 絵実と別れ、列車に乗り、「ただいま」も言わずに部屋へ戻り、浴衣の皺も気にせずベッドへ寝転んだ梨子は今、胸中で幾度も爆発する恋情の念に震えていた。




 連絡先を手に入れた。今すぐ電話したい、今すぐ会いたい、今すぐ貴方の笑顔が見たい。取り留めの無い話がしたい、近場でも構わないから一緒に出掛けたい、二人だけで賀留多を打ちたい。貴方と二人なら、二人でなら――何処までも、




 でも……梨子はボウッとする頭を冷やすように、正反対の思考、所謂「抑圧」を試みる。




 馬鹿じゃない、私ったら。近江君にとって私は一人の、良く見積もってもに過ぎないんだ。だって、彼にはお似合いの女の子がいるし、私よりお似合いの……。




 今日の梨子は何かが違った。普段なら完全に沈着させられる恋情が、恐ろしい牙と顎を以てして――抑圧の念を噛み殺した。




 私でも、




 惑い、迷い、懊悩、自制、恐怖、不安、焦燥、諦観――しかし全ては、「青春」の前では取るに足らない誤差である。


 左山梨子はこの瞬間、一度息絶えた。寸刻置かず、彼女は一人の女、「左山梨子」として活動を始めた。


 お婆ちゃん、ごめんね。私、お婆ちゃんの言う事に逆らいます。


 私ね、今日から――「自分の為に」生きようと思います。




 梨子は立ち上がり、窓を勢い良く開いた。思い切りに深呼吸し、夜風を存分に吸い込む。


 青々とした草木の匂いが、全身に伝播するようだった。

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