第6話:噴水のある広場

「えっ、てか何? どちらさん?」


 三人組の男はニヤニヤと笑いながらも、即座に来訪者――近江龍一郎を取り囲んだ。男達は「多勢の有利」を心得ているらしく、いつでも龍一郎を制圧出来るように……互いの位置取りを気にしていた。


「俺達、この子と話をしていたんだよね、邪魔だよ? 君は」


 いやぁ、実は……と龍一郎は照れ臭そうに笑い、怯えもせずに返した。


とはぐれてしまって……もしもの時は、ここで待ち合わせようって決めていたんです。俺が来るまで、? どうもありがとうございます」


 呆気に取られている男達の間をすり抜け、龍一郎はベンチの方へスタスタと歩いて行く。大量の荷物を纏め、龍一郎は――梨子の手を取り、「行きましょうか」と笑った。


 女子とは違う、男子の角張った力強い手、そこから伝わる温もりが……梨子を夢見心地にさせた。


 彼が、彼が、彼が……私の手を取った――思わず頬を上気させた梨子だったが、男達は我に返ったように「おいおい、嘗めてんの?」と後を追って来た。


「はぁ……?」


 龍一郎は首を傾げて「何の事ですか」と問い返す。しかしながら、彼は然り気無く……梨子を自分の後ろに移動させ、自身を「盾」とした。


「いや、嘗めてんだよね? ってかさ、お前絶対にこの子と関係無いよね。待ち合わせの場所とか、そんなんスマホで連絡しろやって感じじゃん」


「欺せると思ったの、お前? あぁ?」目を剥き、一人が龍一郎の胸ぐらを掴もうとした。梨子も「止めて下さい」と割って入ろうとした矢先……。


 龍一郎は「おっと」と足が縺れたのか、前のめりになって右手を伸ばした。開かれた手は勢い付いた男の顔面に当たり、「痛っ!」と悲鳴が上がる。その隙を突き、龍一郎は彼の首を掴むと、腰を捻って地面に倒したのだった。


 それから――龍一郎の表情は一変した。


 何してんだテメェ、と別の男は龍一郎を掴もうとする。伸びて来た手を龍一郎は逆に掴むと、そのまま自分の方へ思い切りに引き寄せた。接近する男の顔を目掛け、龍一郎は迷う事無く頭突きを喰らわせたのである。


 顔面への攻撃がもたらす益、それは肉体的ダメージよりも「出血、衝撃による戦意喪失」にある。頭突きをまともに喰らった男は鼻血をダラダラと垂らし、鼻を押さえて止血に勤しんでいたが、龍一郎は構う事無く、ゆっくりと……。


「っ、お、お前何なんだよ……」


 残った一人に視線を移した。威嚇はするものの、逃げ腰となった男に対し龍一郎は――恐ろしい程の低い声で「おい」と言った。


「こいつら連れて、早く帰んな」


「……テメェ、調子こいて――」


「聞こえねぇのか、お前」


 ズイ、と歩み寄った龍一郎に……残った男は「すいません、帰ります」と頭を下げ、負傷した二人を連れてそそくさと逃げてしまった。


 目を見開き、心臓を高鳴らせる梨子に龍一郎は振り返って言った。


「左山さん、逃げましょうか」




 五分後、梨子は龍一郎に連れられ……人混みの中にいた。彼の半歩後ろを歩く梨子は、制服ではハッキリと見えなかった肩の逞しさを眩しく思った。「鍛えているのかな」と考える内に、無性に龍一郎の背中へ飛び付きたくなった。


「あ、あの……近江君、さっきは本当にありがとう……凄く強いんですね」


「教えて貰ったんですよ、宇良川さんに。『男子たるもの、それぐらい憶えておけ』って言われまして……。勝てたのは運が良かったんでしょうね。……それより、怪我は無かったですか?」


「うん、大丈夫……です」


「だったら良かった。もう少し歩けば、人の多い場所に行けますから。荷物、持ちますよ」


 やがて二人は噴水のある広場へと行き着き、他の来場客に倣ってベンチに腰掛けた。「ごめんなさい」と断りを入れ、梨子はスマートフォンを確認する。絵実から「もう少し掛かる、ごめん」とメッセージがあった。


「誰かと来ていたんですよね? 彼氏さんですか?」


「えぇっ? いえいえ、違います違います! 友達です、同性です!」


「アハハ、そうでしたか。だったら友達のところまで送って行きますよ、さっきの奴らがいたら危ないし」


 夜祭りの照明を浴びた龍一郎の顔は、梨子にとって大変に凜々しい、一種の彫刻にすら感じられた。代打ちを依頼した時に比べ、若干大人びたような相貌は、「相応の経験」がもたらすのだと思い……。


 嬉しく、少しだけ悲しかった。


「そう言えば、左山さんと会うのは久しぶりですよね?」


 代打ちの時以来だなぁ――龍一郎が懐かしむように笑った瞬間、梨子は彼の努力を無駄にしてしまった事を詫びた。


「……あの時は、本当にごめんなさい! 私、私……近江君が頑張ってくれたのを踏みにじって……」


「左山さん? そんな、俺……あぁ、手紙ですか? あのお陰で俺は、代打ちとして一層――」


 ううん、と梨子はかぶりを振った。


「私が生徒会に行く必要なんて無かったんです。唯、私は馬鹿みたいに真面目で、なのに流されやすくて……近江君に謝りたかった、でも出来なかったんです……お礼をするなんて書いたけど、私には何も出来ていない。ごめんなさい、本当に――」


 左山さん。優しげな彼の声が聞こえた。


「仮に、俺が左山さんに怒っているとしたらですよ、こうやって助ける訳無いじゃないですか。それに……左山さんの手紙で、俺は代打ちとしての自覚を持てたんです。誰かの為に戦う事の大変さ、やり甲斐……色々学べたんです」


 星空を見上げ、龍一郎は照れたように続けた。


「俺、左山さんの手紙が無ければ、きっとになっていました。『俺は凄いんだ』って……。代打ちってのは、誰かの未来を背負い込む事なんだと、貴女が教えてくれました。左山さんの選択に正誤はありません、だから……」


 謝らないで下さい、左山さん! 白い歯を見せて笑った龍一郎は、「ほら、見て下さい」と財布を取り出し、中から一枚の紙を抜いた。


「……っ! こ、これって……私の……」


「俺のです。俺にとって初めての代打ちですからね。左山さんからのお礼として、いつも持っているんです……何か、気持ち悪いですよね、こういうの……」


 忘れちゃって下さい……と力無く笑う龍一郎を見つめ、梨子は――胸奥が燃え滾る感覚を覚えた。




 数ヶ月間も、自分と彼とを苦しめて来たはずの「手紙」。それを……彼は「お守り」と言ってくれた。私を喜ばせる冗談だとしても、嘘であっても――それは凄く、幸せだ。


 あぁ、もう駄目だ。もう私は……我慢出来ない。




「近江君」


 梨子は深呼吸し、真っ直ぐに龍一郎を見定めて言った。


「何でしょう?」


 震える手でスマートフォンを取り出し……梨子は願った。


「私と、連絡先を交換してくれませんか」


 呆気に取られたような表情で……龍一郎は「連絡先?」と問い返した。対する梨子の鼓動は速まり、断られたらという恐怖感は増し、何より――。


 脳裏をちらつく「あの少女」の幻影を、梨子は懸命に振り払っていた。


 やがて龍一郎はポケットに手を突っ込み、スマートフォンを取り出したのである。


「こちらこそ、お願いします!」

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