第4話:神宮祭
果たして「神宮祭」の時が来た。
梨子は母親に浴衣を着付けて貰い、最寄り駅の改札口で絵実と待ち合わせた。会場へ向かう人の群れは大きな川のようで、梨子は飛沫を上げる川中の岩を思った。
「……うーん」
履き慣れない下駄の鼻緒が気になり、「昔の人はよく我慢出来たなぁ」と、時折指の間を撫でた。長時間歩き続けるかもしれない今晩の事を考えると、今から足が痛むようだった。
「お待たせ、梨子」
程無くして絵実がやって来た。絵実も浴衣を纏っており、黒地に大きな赤い花模様が点在するものである。絵実は梨子の持ち上げて編み込んだ髪型から下駄までを……ゆっくりと、値踏みするように見回した。
梨子が纏っている浴衣――そこには薄緑色の生地に「梨の花」が描かれていた。彼女の名前に入っている花が描かれているという事で、絵実は「縁起が良い」「特注品じゃん、ここまで来たら」と何度も絶賛した。
「ちょっと、恥ずかしいよぉ……」
「いやぁ、何というか……色っぽいんじゃない? すっごく。一瞬梨子じゃないかと思ったもん」
イケるわ、今日――絵実はニンマリと笑い、「早速行こうよ」と駅の外を指差した。
「戦場が、貴女を待っている!」
時刻は一九時前。絵実の「戦場」という比喩は――大変的を射たものであった。先日のデパートなどとは比較にならず、しかも来場者の大半が「明確な行き先」を持たない者ばかりである。
少し歩いたかと思えば立ち止まり、射的屋を覗いてみる。また少し歩けば、今度は焼きそば屋とフランクフルト屋が目に留まる。そこでウンウンと悩み、結局どちらも買わずに歩き出し、また立ち止まってチョコバナナを買う――。
以上のような動きは、しかし縁日では至極当然なものだった。一応は緩やかな規制(左側通行)が見られたものの、それに逆らって動く者も大勢いた。
中には財布を盗まれたと警察官に訴えている若い女もいたが、少し目を離した隙に……と自業自得な弁解をしている。彼女の盗品が無事に出て来る事は期待出来ず、警察官もその事をどう伝えようか悩んでいる様子だった。
一方では会場内にアナウンスが響き、「五歳の○○ちゃんがお待ちです」と子供の名前を読み上げ、はぐれた親を呼び寄せていた。その一分後には、また別の子供の名が読まれる。
自由行動の無法地帯――梨子と絵実はそこにいた。発電機の喧しい音は四方から聞こえ、笑い声や泣き声、客寄せの声が混ぜこぜとなって二人の耳に飛び込んで来る。
しかしながら人体の耳は不思議なもので、梨子と絵実は声量こそ大きいものの、「友人の声」と「喧噪」を器用に切り離している、意思疎通は充分に行えていた。
「梨子ー」
「どうしたの、絵実」
「これ、捜すの無理っぽくない?」
「私もそんな気がする」
いきなり計画倒れとなった梨子と絵実。とりあえずは「少年」の姿を捜しながら、同時に夜祭りも楽しんでしまおう――という無茶な作戦変更を行った。
「あっ、梨子、梨子! 私これ食べなきゃ帰れないよ!」
慌てた様子で絵実はベビーカステラの屋台を指差した。斜め前方に屋台は位置している為、はぐれぬよう、はぐれぬようと懸命に人混みを掻き分けて行く。二人は軽い疲労感と四〇〇円を引き換えに、目当ての菓子を買い求める事が出来た。
だが……縁日という空間は「食べる」「遊ぶ」といった目的よりも、むしろ「金を払う」行為に楽しみがある。絵実はベビーカステラを口に放り込みながら、反対側の「鮫釣り」をやりたいと騒いだ。
「懐かしいね、鮫釣り。やろうやろう」
蘇る幼い日の記憶が梨子を後押しした。二人は五〇〇円を払い、大量に横たわる鮫の群れへ釣り糸を垂らす。
「おじさん、一等賞はあのゲーム機なんでしょ?」
絵実の問いに店主は大きく頷いた。
「勿論、中身も入っているぞ。お嬢ちゃんなら釣れるかもなぁ」
梨子、絶対釣り上げるよ――絵実は物欲を漲らせた双眼で、勢い良く鮫を釣り上げた。
しかし、現実は上手くいかないものだ。釣果は梨子が「玩具の指輪セット」、絵実は「鮫の縫いぐるみ」であった。絵実が仰天し、店主と梨子は笑い、他の客も「やってみようか」と金を払う。ある種の三方良しが広がっていた。
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