第2話:エストレーモ

「久しぶりー! 梨子と最後に会ったのいつだっけ?」


 土曜日の一〇時頃。中心街に到着した梨子は、駅の改札口を抜けた辺りで絵実と落ち合った。彼女は嬉しさの余りか、梨子の背後から飛び付いたのである。その為に梨子は首が鞭打ちになり掛けたのであった。


「もう……ゴールデンウィークに会ったでしょ? 首が痛い感じ……」


「ごめんごめん、埋め合わせはちゃんとするからさ? バッチリ似合う浴衣、セレクトしてあげますよ?」


 屈託の無い笑顔で絵実は梨子の手を取り、「カワイイ浴衣フェア」と垂れ幕が掛かっているデパートへと向かった。




 デパートは大量の客――八割が若い女性、残りは連れて来られたらしい男達――でごった返しており、レジや試着室は長蛇の列が出来ている程の盛況ぶりであった。


「凄いね、お客さん……」


 人混みが得意な方では無い梨子だったが、「夜祭りもこんな感じだから」と、予習代わりと思う事とした。しかしながら……絵実は人の渦に巻き込まれる程に活気付く性格であり、ウキウキとした様子で「あれ! あの浴衣可愛い!」と指を四方に差した。


「うぅ、どれが可愛いの? よく見えない……」


「梨子、しっかり! 買い物は戦争だから、特に季節物はサバイバルだから!」


 文字通りの芋洗い状態となった店内を、逞しき案内人に引かれて梨子は何とか泳いで行く。冷房も効いているらしいが、人々の熱気はフロンの冷媒効果を明らかに上回っていた。


 梨子はフゥフゥと額をハンカチで拭いつつ、ようやく人混みを抜け出せた頃、相変わらず溌剌としている絵実は「梨子、あれ」と斜め右を指差した。


「セール中だってさ、新作コーナーはまだまだ混んでいるから、休憩がてら見に行ってみようか」


 二人が向かった売り場にも客はいたものの、新作やファッション雑誌で取り上げられた話題作のそれと比べ、大分人の入りは少ない。「浴衣を買う」という行為に、節約は無用と考える人が多いのだろうか……梨子は歩きながら思った。


「梨子はぁ、あんまり背が大きくないからぁ……うーん、これはちょっと……」


 どのような基準が絵実の中に根差しているのか分かりかねたが、それでも梨子は彼女を信頼して後を追う。時折立ち止まっては、自分なりの「良品」を探してみた。


 一五分後、売り場を回り終えそうな頃に、二人は同時に歩みを止めた。


「梨子」


「これ……」


 良いかも――二人は声を揃えて言った。


 売り場の奥まった場所……人気の少ない一角に「良品」は、ヒッソリと展示されていた。梨子は値段を確認する、何とか買えそうな額であった。


「正直、派手さには欠けるんだけどさ、何故か……梨子にピッタリ似合う気がするわ、何でだろう」


 絵実は梨子の顔とマネキンの白い顔面を見比べ、目を閉じた。空想世界で浴衣を梨子に着せているらしかった。


 一〇秒後、絵実は「梨子、試着だよ」と真剣な表情で言った。


「すいませーん、店員さーん!」


 絵実の呼び掛けに応えた店員は、いそいそと走り寄って来た。


「お待たせしました、はい、はい……こちらですね? すぐにご用意します、ささ、こちらです――」




 デパートで運命的な出会い、そしてを終えた二人は――安くイタリアンが食べられると評判の飲食店に立ち寄っていた。


 梨子の座席、その横には大きな紙袋が置かれている。店員の粋な計らいにより、鶯色の籠巾着がサービスとして付いて来た事を、梨子は大層喜んだ。


「ラッキーだねぇ、梨子。籠巾着はタダ、下駄も可愛いのを買えたし」


 幸先良いねぇ――絵実は自分の事のように嬉しがり、「まだかなぁ」と忙しそうな厨房を見やった。


「絵実、今日はありがとう。お礼と言ったらアレだけど、パフェ、奢るね?」


「えっ? 本当に!? めっちゃ得した気分だわぁ!」


 気持ち良く奢れる友人は貴重だ――何かの本で読んだな、と梨子は微笑みながら思った。


 やがて運ばれて来たパスタ(梨子はボスカイオーラ、絵実はアルフレッドを注文した)に舌鼓を打ちながら、「そういえばさぁ」と絵実が言った。


「何か、梨子変わった感じだよね」


「変わった? 何処が?」


「何て言うのかな、綺麗になった、ってのかな」


「昔は違ったって事? 酷いなぁ絵実は」


 梨子は悪戯っぽく問うた。対する絵実もフフンと得意気に笑った。


「さぁね、真実は闇の中だよ。とにかく……うん、何かそう感じるんだよね。変な言い方だけど、『影』が生まれた、って感じ?」


「影?」


 理解に苦しむ表情を浮かべた梨子に、絵実は「分かった」と手を打った。


「憂いのある表情……って事だよ、きっと」


 左山梨子は、新しい武器を手に入れました――絵実は機械音声の真似をしながら言った。


「それと、パフェの事なんだけど……」


 これでも良い? 絵実が申し訳無さそうにメニューを指差した。


「どれどれ…………あぁ、相当美味しいんじゃない? これ」


 味は想像するしか無かったが――値段は「一流」のパフェを、果たして梨子は自分のも含めて二つ、店員に注文したのだった。


 甘いものは別腹だと言い合いながら、二人は店員が別のテーブルへ運ぶ甘味を眺めた。やがて店員は梨子達の方へ、「如何にも豪奢な」パフェを盆に載せて向かって来る。


「来たよ、梨子……!」


「な、何か凄そうだよ、これ……!」


「お待たせ致しました、『エストレーモパフェ』です」


 二人はすぐにスプーンを持ち、一流のパフェへ食らい付いた。


 一口食べ……梨子は思った。




 とっても美味しい、気がする、うん、美味しい……かな……多分……。




 自身の舌が、高級品の魅力を「完全に理解出来るレベル」に達していない事を痛感した梨子であった。


「えー、凄い美味しい、ビックリしたわぁ!」


 梨子もビックリしたでしょ? ムシャムシャと食べていく絵実は、向日葵のような満面の笑みで問うた……。

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