第4話:鉄樹の花
翌日。幾分か日差しの弱い昼下がりの事。
梨子は部屋のベッドに腰を下ろし……放心状態で床に置かれたままの《望小花》を見つめている。
打ち手の位置を示すマーカー、その代わりとなる花石の横には――勝利条件となる《芒に月》は無かった。仮想敵である「火の手」によって……《芒に月》は焼失してしまった。
抱く懊悩に光明あれ――そう願いながら、占術技法の一つ《お七櫓》を日に一度だけ、全力で打ち始めて五日後……。
梨子は今日、「本式の手順」を踏んでなお失敗に終わった。
一度横になり、彼女は「手順に間違いがあっただろうか」と、つい数分前の流れを思い返す。特に思い付きはしない。また思い返す、やはり手心を加えてもいない。
諦めたらどうだ――机に鎮座する《望小花》の木箱が、意地悪く笑うように梨子は思った。
落ち着いて、私。たかが占い、たかが占い……成功したからって、全部が上手くいく訳じゃない……。
大きく深呼吸をし、梨子はクッションを抱き締めながら、網羅集から飛び出す付箋を指で弾いた。ペチ、ペチと鳴る付箋の箇所は《お七櫓》の手順が載っている。ゆっくりとした手付きで梨子はそこを開き、「鑑定対象」の項目に目をやった。
恋情関連――素っ気無く書かれている四文字が、底知れぬ迫力を以て梨子の目に飛び込んで来る。
占術技法がもたらす効果とは、単に「貴女の未来はこうですよ」と肩を叩くだけでは無い。むしろ――。
貴女は今、ハッキリと誰かを想っている。
と、改めて自覚させるという「現状把握」にある。遊び半分で恋愛問題を占う者が、わざわざ網羅集を開き、その中の「恋情関連」を鑑定する技法を行い、専門の札を買い求め、結果に一喜一憂する訳は無い。
現在、梨子は《お七櫓》に失敗し、クッションを抱き締める力の入り具合が違う事を自覚した。細い両腕が生み出す力はそのまま「あの人」への想いであり、情の多寡であった。
ふと……梨子は右手を顔面に当てた。
頬がホンノリと熱を持っている。唇が普段よりも艶やかな気がした。目の奥は何故か揺らぎ、ポロポロと涙が出そうだった。
「……っ?」
何となく現実感が足りない梨子の視界は、ページの下段に書かれた「閑話」の欄で目を留めた。
一層花ヶ岡生諸賢に注意されたいのは、何も《お七櫓》の結果を盲信し、天上から地獄を行き来してはならないという事である。
命短し恋せよ乙女……かの有名な歌詞が一等重要な事を、至極簡単に諸君へ伝えてくれている。
諸賢は花も恥じらう乙女である。然して乙女たる期間の短い事を、この場にて自覚すべきであろう。命とは、血の流るる肉体の活動限界では無い。
命とは、諸君らの青々とした精神性である。
精神性は加齢と共に老いていく。養われる理性と常識は肝要だが、それは鎧となって腰を重くしてしまう。一方、鎧の奥に瑞々しく在る無鉄砲さ……所謂向こう見ずを許されるのは、諸賢が花ヶ岡の制服に袖を通す三年間を以て終了となる。
占術技法の結果は目安である、故に宿命では無い。
この閑話を読む諸賢に問う。
何故にして、占術を行うのだろう?
占術の失敗に頭を痛める諸賢に問う。
何故にして、「認めたく」無いのだろう?
想い人の背を見つめ、
待ち惚けるは美徳に非ず。
己が足にて追い掛けよ。
然らば爾来に春陽充ちて。
鉄樹の花をも咲かす也――。
網羅集を閉じ……梨子は《望小花》を丁重に片付けた。
この小さな一組の札に感謝こそすれ、恨みは無かった。
梨子は目を瞑り、柔らかな暗闇の中で思った。
これで分かった。私は、やっぱり――近江君の事を諦めたくない、と。
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