第3話:華の女子高生

「暑いなぁ……」


 頭頂部にすら感じる陽光の勢いに、思わず梨子は目を細めてしまった。汗ばむ額に買ったばかりの缶ジュースを当てる、既に冷涼さは半減していた。


 目当ての賀留多屋――靖江天狗堂は高校のすぐ近くにある。梨子はウンザリするような暑さの中、夏期休業前の登下校を思い出していた。


 休みの日に、何だか学校に行くみたい。新鮮な感じ。


 普段は目に留まらない建物も、今日は妙に存在感を以て彼女の視界に入り込んで来る。「将来はこんな家に住みたい」と、広い庭付きの家を認めた梨子は、窓越しに見えた母親と子供を羨ましく思った。


 梨子の自宅から五分も歩けば、行き慣れた駅に到着する。夏期休業期間の定期券は当然買っておらず、券売機で切符を求める。大きな案内図をゆっくり眺めるのも久方ぶりだった。


 ホームで列車を待つ間、同年代らしきカップルが梨子の横で今日の予定を話し合っていた。この後は中心街に出向き、揃いの浴衣を探しに行くらしかった。


 最近、浴衣も着ていないな――少し寂しくなった梨子を慰めるように、遠くから汽笛を鳴らして列車がやって来た。車内は冷房が効いており、梨子は多少の余裕を以て車内広告を眺めていた。


 ファッション雑誌、週刊誌、リゾート地……列車に揺られる梨子はその内に、「神宮祭」の文字に行き着いた。


 三日間、大量の出店と大量の来客でごった返す大規模な夜祭りが近付いている事を、梨子は一種の諦観と共に確認した。


 行ったところで、悲しくなるだけだし……。


 梨子は数週間前、教室で耳にしたクラスメイトの会話を思い出す。




「ねぇ、今度のお祭り行くんでしょ?」


「勿論行くよ、彼氏とね!」


「あっ、私もだよ! そうだ、ダブルデートしない? 絶対楽しいよ!」


「えぇー? 恥ずかしいよそんなの――」




 この類いの会話を、梨子は計二〇人分は聞いていた。仮に夜祭りへ出向けば、顔見知りが恋人を連れて闊歩しているのは明白であり、甘ったるい空気の中で射的や金魚掬いに興じる程、彼女の精神は強靱では無い。


 そして――何よりも「事態」に立ち合ってしまえば、虚ろな表情が顔面に張り付くのは避けられない。


 最初から分かっている罠を踏む必要は無いから……梨子は広告から目を背け、車窓を流れる列車用の信号機を数えた。面白くは無かった。




 腕時計は一三時半を示していた。


 列車を降り、靖江天狗堂に向かって歩く梨子は、何となく大幅な遅刻をしたようで、妙な解放感を覚えた。


 いつもの道を行き、三つ目の横断歩道を左に折れる。更に進み、丁字路を右に曲がったところに――目当ての靖江天狗堂はあった。


「こんにちは」


 営業中と書かれた看板を確認し、梨子は古めかしい店内へと進入する。チリンチリンと鈴が鳴った。喫茶コーナーに目をやる、何人か座っていたが、知り合いでは無さそうだった。


 ホッと一息吐き、視線をレジカウンターの方へ向けると――。


「いらっしゃいませ」


 斬った張ったの任侠映画から抜け出たような男が、ジッと梨子を見つめ、座っていた。


 驚く事に彼は……を履いていた。可愛らしいエプロンと刀剣のような眼光が、なおも梨子を混乱させる。


「ひっ……」


 入る店を間違っただろうか……梨子はすかさず店内を見渡す。しかしながら――恐ろしい店員以外は見慣れた靖江天狗堂だった。


 店長さん、を雇ったんだろうか……。というか、この人は花ヶ岡の生徒なんだ……。


 目当ての《望小花》を探すどころでは無い梨子は、素知らぬ風に歩き回るも、後ろから突き刺してくるような眼光が気になって仕方無い。その様子が男には「探し物が見付からない」ように見えたのか……。


 男は立ち上がり、梨子に後ろから声を掛けた。


「あの……」


「ひっ……」


「す、すいません……驚かすつもりは……」


 怯える梨子に驚いたのか、男は潮垂れた様子で頭を下げた。対する梨子も「流石に失礼だった」と申し訳無くなり、「気にしないで下さい」と謝罪した。


「いえ、その……何か探しているのかな、と思いまして……」


 男は照れ臭そうに笑ったが、厳めしい相貌に柔らかさは見受けられない。元々顔なのだと梨子は一人納得し、多少緊張を解いて「実は」と語った。


「ふむ……《望小花》ですか。それは、えーっとつまり……」


 エプロンのポケットから大きな紙を取り出し、男は目を皿のようにして上から読み始めた。簡単な賀留多の分類が書かれているらしかった。


「多分、《八八花》の一種かと……」


「あぁ、それです! きっとそうですね」


 客から助け船を出された男は、「慣れないもので」と言い訳をしながら《八八花各種》と銘打たれたコーナーへと向かった。だが店員は梨子が幾度も見返した場所を、全く同じように探すだけである。


「一応、その辺りは見てみたんですけど……」


 別の場所を当たってくれ――という意味を含め、梨子は控え目に言った。一方の店員は「うーん……」と諦めが付かないらしく、唸りながら陳列を掻き回していく。


 やっぱり無いのだろうか……梨子の表情は暗く、しかし「たかが占いだから」と自分を慰めるような諦観が見えた。


 その時である。奥の扉が開き、中から見知った少女の店員(彼女も花ヶ岡高生であると梨子は聞き知っていた)が現れた。陰りが晴れていくような感覚と共に、梨子は彼女に視線を送る。


「いらっしゃいませ……どうしたの、お兄ちゃ……


「えっ」


 驚嘆の声を上げ……梨子はすかさず口を手で塞いだ。「お兄さん」は照れ臭そうに、「アイツの兄なんです」と頭を掻いた。


「ご、ごめんなさい……」


 少女の店員――自動的に彼女は「妹」である――は「、お気になさらず」と笑った。


「兄の事ですから、何かお探しのものが見付からず困っていたのでしょう。どうもすいませんでした……」


 妹は肘で兄を小突き、「メモ書いてあげたでしょう」と叱責をした。獰猛な顔付きの兄は、ションボリとした様子でレジの方へ戻って行った。


「もう……それで、今日は何をお探しですか?」


 兄の事を申し訳無く思いつつも、梨子は改めて《望小花》の件を伝える。


「のぞ……み……あ、あぁ! お待ち下さいね」


 パタパタと妹は走り去り、一分も経たずに梨子の元へ戻った。手には小さな木箱が収まっている。表面の埃は拭かれているものの、仕方無しの経年劣化が見られた。


「すいません、これ一つしか無くて……時間が掛かりますけど、この前と同じように新しいのを用意しましょうか?」


 靖江天狗堂では、商品代とは別に手数料を払えば、陳列されていない賀留多の注文が可能だった。先日、梨子はどうしても《阿波花》が欲しくなり、手元に届くまでの二週間、焦れながら過ごしていた。


「いえ、それで大丈夫です。幾らですか?」




 店外へ出た梨子の手には、求めた《望小花》が握られていた。この札を使えば、必ず占術技法の結果が良くなる――とは限らない。


 梨子は、それでも良かった。最善を尽くした結果の如何では無く、過程を重要視していたからだった。


 元来た道を歩きつつ……しかし梨子は思う。思ってしまった。


 これを使えば、良い事があるかな――。


 彼女の期待は至極当然であった。幾らも強がれど、梨子は華の女子高生だからである。

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