スターコレクターズ

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 しのつく雨の中、俺は傘を片手にしながら県営墓地の一隅にしゃがんでいた。


 濡れそぼった前髪から滴る雨水で墓石がにじむ。手錠のお陰でケツが突っ張る。


 親でも親戚でもない他人の墓を俺は拝み続けていた。


 広地 文太、大正十一年三月二十日生まれ、昭和四十年四月三日没。享年四十三歳。俺より三つも若いのに気の毒だよな。


「段さん、ホシが駐車場に車を止めました」


 耳に着けた、USBに似た形の無線機から筋山巡査部長の声がした。


 筋山はまだ若くて、チャック集めが趣味だ。正確にはチャックの指で引っ張る部品で、スライダーとかいうらしい。だから仇名はスライダー。身重の奥さんがいるから外すつもりだったのに無理矢理参加しやがって。


 もっとも、ホシ……羽田を逮捕するにはスライダーの観察力が必要不可欠だった。


 羽田 牧夫、即ち指定暴力団『達成会』の会長。


 バブル時代当時、四十代に入ったばかりの羽田は達成会の若頭として政治家と癒着し、日本中に麻薬をばらまいていた。五十代で会長に収まり、麻薬の他に闇臓器売買にも手を広げた。今や六十代だが内臓でも取り替えたのか風邪一つ引かない。


 そんな経歴だけに病的に用心深く、しまいには奴を刑務所に送るよりもクサる部下達をなだめるのが俺の仕事になっていた。


 だが、奴の極秘情報を俺達は掴んだ。スライダーが粘り強く張り込み続け、羽田の取引方法を割り出したお陰だ。


 ともかく、俺は腕時計のリューズを軽く二回連続して押した。いちいち口を開いて余計な音を漏らさないよう、はいなら二回、いいえなら三回押せば通じるよう改造してある。要所要所で押す。もちろん、耳の無線機からでも会話はできる。


「ホシが車を降りました。護衛は二人、目だたないように距離をとってホシの前後です。ホシは自分で傘をさしています。護衛は二人ともレインコートです」


 スライダーこと筋山の報告が続いた。情報通りだ。


 部下は他に二人いるが、俺と同じように墓参りを装っている。


 向こうの目をごまかせる反面、ここからでは俺も含めて三人とも駐車場の様子が分からない。駐車場の脇にある管理事務所……あらかじめ事情を説明し、職員は一時的に外してもらっている……にいる筋山が俺達の目玉代わりだ。


 いうまでもなく、無関係な人間を巻き込むのは絶対に許されない。墓地で一般市民を巻き込まずに逮捕するのが困難なら、最悪奴等の車が発進した直後を狙う。相手が一番油断する瞬間だ。もっとも、幸いにして墓地は俺達とホシ連中以外誰もいない。


「ホシと護衛全員が階段を昇り始めました」


 この彼岸に、奴は昔世話になった政治家の墓参りをする。税金で作ったクソデカイ墓だ。


「カメラ回します」


 墓石組の一人、松島巡査長が伝えた。スライダーより少し年下ながら、ぼちぼち三十代の癖に車のドアノブを集めるのが大好きな奴。そんな成り行きで仇名はノブ。


 ところで、ノブ自身が直にホシの目の前でカメラを回す訳じゃない。手近な木の枝にさりげなくセットしたデジカメを使って、遠隔操作で撮影する。


 スライダーのもたらしたネタで、羽田は墓の線香立ての下に隠したUSBを手にするのが分かっている。その USBこそ取引先が伝えるブツの隠し場所だ。 


 奴は外出したらいつも護衛と一緒にいるから、いざとなれば USBを護衛に渡して知らん顔をすることもできる。USBだけ見つけても自分とは無関係といわれればそれで終わりだ。


 どうしても、奴がUSBを手にする瞬間を抑えなければならない。


「ホシが階段を登りきりました。車回します」


 スライダーがきびきび伝えてきた。


 万が一にも羽田が脱出できないよう、覆面パトカーを奴等の車の前に置いて塞いでおく。同時に、無関係な人間がきたら簡単な説明をして引き取ってもらう。


 そして、羽田の監視はノブこと松島に引き継がれた。


「こちらも動きます」


 俺の耳に、今日『墓参り』を始めてから初めて若い女の声が入った。


「ホシが墓の前にきました……合掌して頭を下げてから……あっ、確かにブツを手にして上着の内ポケットに入れました」


 ノブの報告に、俺は雨水を跳ね散らし続ける広地氏の墓に軽く頭を下げてたち上がった。右手には警察手帳を握っている。


 走り出したくなるのを必死にこらえ、自然な様子を装って羽田に近づく。


 羽田が墓から出てきて護衛と合流した。そこは、両脇をずっと無関係な墓に囲まれ続けた細い道になっている。俺とノブで羽田達の前後を挟んだ。


「羽田 牧夫、久しぶりだな」


 警察手帳を見せながら俺はいった。羽田の護衛二人は、飼い主同様まだ動かない。いや、動けない。


「知らんな。邪魔だ、どいてもらおう!」


 雨が余計に酷くなり、羽田はほとんど怒鳴るようにいった。


「そこの二人はお前の護衛だろう。調べはついている!」


 俺は手帳をしまいながら負けじと大声を出した。


「それがどうした!」


 いかにも、そのなにが違法かといわんばかりの口調であり声音だった。


「すみません、通して欲しいんですけど」


 突然現れた若い女。俺達は知っている。南巡査。


 民間人に偽装していたとはいえ、派手なメイクに上着の全てのボタンから一本ずつ垂れ下がった色とりどりのミニチュアロープ。ロープは大人の小指の半分くらいの長さで、目がちらちらする。仇名は『ロープ』。


 ロープがまずノブを押し退けた。ついで、苛だちも露に護衛の一人の肩に手をかけた。護衛はロープの仕種に釣り込まれて邪険にロープの手を払った。


「きゃあっ!」


 ロープはその場で転んだ。クサい演技だ。


 断っとくが、俺達は誰にでもこんな手を使うんじゃない。クズの中のクズを追い詰めるギリギリの判断だ。


「やったな、貴様! 傷害罪だ!」


 ノブが手錠を出してロープの手を払った護衛にかけた。やられた護衛は余りの早業に声も出ない。


「し、知らん! わしはなにも知らん!」

「お前の護衛だ。使用者責任を問う」


 俺は尻ポケットから手錠を出して羽田にかけた。


「あなたも共犯の可能性があります」


 ロープが左手で自分の手錠を出して、一人残った護衛に見せた。


「俺は指一本触れちゃいないだろ! ていうかてめえも刑事かよ!」


 さすがに護衛は抗議した。ロープはさっと右手を自分の懐に入れた。護衛は反射的に自分の脇の下に手をやった。


「こいつピストルを持ってます!」


 赤いマニキュアを塗った指を、ロープは護衛の一人に突きつけた。


「ピストルじゃない、ナイフだ!」


 護衛は簡単にひっかかった。


「じゃあ銃刀法違反ですね」


 ロープは二人目の護衛に手錠をかけた。


「不当逮捕だ。人権侵害で訴えてやる!」

「羽田さん、じゃあ今日が何年何月何日か今すぐ言ってみろよ」

「平成三十一年三月二十日だ。それがどうした!」


 俺は自分の上着のポケットから捜査手袋を出してはめ、ぽかんと顎を開いたままの羽田から USBを回収した。


「続きは署でたっぷりやるからな」


 USBを小さなチャック付きのビニール袋に入れながら、俺はいった。


「くそうっ、バカにしやがって!」

「あんた、広地文太さんって知ってるか?」


 地団駄踏んで悔しがる羽田に俺は聞いた。


「知るか!」

「この地域出身で最初に殉職した警官だよ。達成会と別な組の抗争事件を抑えにいった先でな」

「わしが撃ったんじゃない!」

「ああ、もっと酷い。よりにもよって広地さんの墓がある墓地を取引に利用しやがって」


 そう。捜査に煮詰まった俺は、偶然広地さんを知った。


 藁にもすがる思いで、ゲン担ぎかたがた墓参りをしたのが去年のちょうど今頃だ。その帰りしな、こいつが利用している政治家の墓から出てきたのを目の当たりにした。


 まだ向こうは気づいてなかったが、どのみち俺は面が割れている。ノブは大雑把過ぎるしロープはまだ新人に近い。スライダーにやらせる他なかった。


「そんな昔の人間など知ったことか!」

「USB、百キロはあるよな?」


 打って変わって冷静に俺は聞いた。


「十キロに決まってるだろう!」


 主従そろって間抜けな奴等だ。USBのデータの裏づけを自分から喋った。普段用心深いだけに、一度追い詰められると脆い。


「カメラ回ってるか?」

「はい、バッチリ」


 ノブは会心の笑みで応じた。


「気の毒にな羽田さん。あんたも終わりだ」


 漫画やドラマと違い、大半の逮捕は静かに行われる。銃撃戦だの格闘だのにならないようことを運ぶのも腕の内だ。


 雨はいつの間にか止んでいた。俺は顎をしゃくり、羽田達を促した。スライダーの待つ駐車場まで皆黙って泥道を踏みながら進んだ。


 一年後。羽田は起訴され公判中であり保釈も却下されている。達成会は強制捜査を受けて木っ端微塵に崩壊した。


 そして、ここ十年くらいで一番めでたい出来事もあった。羽田が逮捕されてすぐ、スライダーの奥さんは元気な男の子を産んだ。四月三日、奇しくも広地さんの命日。その子は文太と名づけられた。


 今、俺とスライダー夫妻に文太、ノブ、ロープは広地さんの命日に墓参りを行い、近所の公園で花見としゃれこんでいる。文太の一歳の誕生日祝いでもあった。


 誰がいい出したのでもなく自然にその気になった。皆で話を詰めた結果、手料理は俺達全員が各自で作って持ち込んだ。え? 俺は独身だ。ああ、誰も聞いてないよな。


「段さん、煮しめ激ウマっす!」

「ノブ、食うか喋るかどっちかにしろよ」

「本当に美味しいです。失礼ですけど独学ですか?」


 スライダーの奥さんがころころ笑いながら聞いた。隣ではスライダーが文太を抱いてあやしている。文太はすやすや眠っていた。


「え、ええ、バカの一つ覚えでして」


 少しばかり照れながら俺は答えた。


 その時風が吹いて、文太の頬に桜の花びらが一枚ついた。


 犯罪はなくなりはしない。だが、文太が物心つくときには自分の名前に誇りが持てるような世の中にしたい。


 それが俺達全員の願いだった。


               終わり

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