三の扉

 男子テニス部の綾瀬燎耶あやせ りょうやが同じく男子テニス部の槇魁人まき かいととともにそこを通りがかったのは、本当に偶然だった。

 二人はグリップを新調するため、駅前にあるスポーツ用品店に向かう最中だった。

「おや」

 まず、その光景に気づいて足を止め、声をあげたのはまきだった。

「どうした?」

 まきの視線を綾瀬あやせが追うと、視界の端に同年代くらいの少女が飛び込んできた。

「あれは……、水月さんではないですか?」

 まきの声に、じっと眼を凝らしてみると、確かにそれは2つ年下で男子テニス部のマネージャーの水月由愛みづき ゆあだ。

「マネージャーか、こんなところで何してんだ」

「今日は部活は休みの日ですし、あの恰好はどなたかと待ち合わせていらっしゃるのでしょうね」

 まきは生徒会の副会長を務めている。そのせいで常にいろんな教師と接する機会が多いためか、常に誰に対しても敬語で話すのだった。

 丁寧すぎる口調のまきに言われて見てみれば、水月みづきは真っ白いワンピースをふわりと身にまとい、バッグや靴も服に合わせているようだった。

「なあ、まき。待ち合わせにしてはおかしくないか」

 綾瀬あやせが少し怪訝な顔をする。

 彼女は明らかに落胆した様子で、携帯電話と駅に掲げてある大きな時計とを何度も見比べ、ため息をついているようだ。

 なんとなく気になってそのまま二人が様子を見ていると、彼女は携帯電話で誰かに連絡をつけようとしているようだ。が、相手がでないのだろう。何度もかけなおしている。

 何度目かにかけなおし、それでも相手と連絡がとれなかったのだろう、ぎゅっと唇をかみしめ、今にも泣きそうな表情で携帯に目を落とし手を動かしているように見える。おそらくはメールを打っているのだろうか。

「……、ドタキャン……、でしょうね、おそらくは。かわいそうに」

 まきが同情したような声を出す中、綾瀬あやせ水月みづきから目が離せずに、無言でただじっと見つめていた。

 やがてメールを打ち終わったらしい彼女は、携帯をバッグにしまうとゆっくり立ち上がり、駅の方に足を向ける。

 が、数歩も歩かないうちにその場で肩をふるわせ始めた。そばにいなくても、彼女が何をしているのかは分かる。

 彼女は泣いているのだ。

 まきが声をかけようと歩を進めだすのを、綾瀬あやせは押しとどめた。

「今はそっとしとけよ。あんな姿、知り合いには見られたくはないだろ」

 ですが、と心配そうなまきの腕を引っ張るようにして綾瀬あやせはその場を立ち去った。彼女の涙を気にしながら。



 数日後、部活に出てきた由愛ゆあは、幾分元気はなかったが普段通りにもくもくとマネージャー業をこなしていた。

 定時に、部活を終え皆が帰途につく中、綾瀬あやせは帰宅準備が終わったらしい由愛ゆあに声をかける。由愛ゆあはいつも一番最後まで残って雑務をこなしているので、今、部室に残っているのは綾瀬あやせ由愛ゆあの二人だけだった。

「なあ、マネージャー、俺のグリップを見なかったか」

綾瀬あやせ先輩、お疲れさまです。グリップですか? さぁ……。見当たらなかったと思いますけど、ないんですか?」

「おかしいな。ここらに置いといたと思うんだが、見当たらないんだ」

「ないと困りますよね……。少し探してみましょうか」

「悪いな。帰りは送るから」

「はーい、お願いします」

 にこりと笑う由愛ゆあ綾瀬あやせはコートや部室を探してみるが、なかなか見つからない。

「ありませんねぇ……」

「仕方ない、駅前の店で買うことにするか。マネージャー、帰る前に悪いけどつきあってくれないか?」

「あ、はい、いいですよ。でもどこにいっちゃったんでしょうね、グリップ」

「まぁ、そのうち変なところから見つかるんだろうな。見つかったら教えてくれ」

「わかりました。でも、そういうものですよね、なくしものって」

「新しいの買ったとたん見つかったりするよな。あれは勘弁してほしい」

「ですよねぇ。あれは悔しいです」

 雑談を交わしながら駅前のスポーツ用品店に行き、綾瀬あやせはグリップを選びだす。由愛ゆあは横でおとなしくその姿を見つめていた。

 正直なところ、どのグリップがいいのかはテニスをしない由愛ゆあにはわからないし、どっちがいいと思うかと聞かれてもせいぜい色を選ぶくらいしかできない。が、普段はあまり人に頼みごとをしない綾瀬あやせと一緒なのは、なんとなく嬉しくもあった。

 綾瀬あやせの横顔を見ながら、由愛ゆあはふっと微笑んでしまい、それを突っ込まれてしまう。

「ん? どうした?」

「え……。あ、いえ。先輩の真剣な顔ってあんまりに見ないから、ちょっと得した気分を味わってました」

「何だ、そりゃ? 普段そんなにふざけてるか、俺」

「そうじゃないですけど、真剣な顔あまり人に見せないでしょう?」

「まあな。俺の真面目な顔見ても面白いと思うやつもいないだろう?」

「部長は喜ぶと思いますよ?」

 綾瀬あやせはあまり部活に熱心なタイプではない。だが、それでもレギュラーに必ず選ばれているのだから、その実力はかなりのものなのだろう。

 あいつがもっと真剣に練習をしてくれれば、とは部長の口癖だ。

「別にあいつを喜ばせてやる必要こともないしな」

 笑いながら、ようやく目当てのものを見つけ、綾瀬あやせ由愛ゆあを見た。

「さて、俺はこれを払ってくるから、先に外に出ててくれ」

「はい、分かりました。外で待ってますね」

 綾瀬あやせに言われ、先に店を出た由愛ゆあは歩いてきた人と出会い頭にぶつかってしまう。

「あ、すみませ……」

 その人物と目が合った瞬間、由愛ゆあが青ざめ、そして固まった。

「おっと、気をつけろよ……。って……、由愛ゆあか?」

あきら先輩……」

「お前、珍しいところから出てきたな、何してるんだ」

「あ、ちょっと……」

 あきら、と由愛ゆあが呼んだその男子の隣にいるモデルみたいに綺麗な女子が、彼の顔を覗き込んでいる。

あきら、知り合いなの?」

「ん……。あぁ、ただの後輩だよ」

「そうなんだ。こんにちは」

 にこりと微笑む彼女は青ざめたままの由愛ゆあの顔を見てにこりと笑った。

「……こ、こんにちは」

 かろうじて挨拶を返す由愛ゆあの後ろから綾瀬あやせの声がかかる。

「待たせたな……、ってどうした?」

綾瀬あやせ先輩」

 由愛ゆあの青ざめた表情と、目の前のカップルを見た綾瀬あやせは状況を把握してさりげなく由愛ゆあの肩を抱き寄せる。それを見て、一瞬顔がこわばったあきら綾瀬あやせが言った。

「何だ、耶木やぎか。俺の連れがどうかしたか?」

 あきらが何か言うより早く、由愛ゆあが早口で言葉を発した。

「あの、私がぶつかってしまって……」

「そうか。耶木やぎ、楽しんでる最中に悪かったな」

「いや……」

「彼女、なんだろ?」

 モデルのような女子を目で指すと綾瀬あやせは皮肉な笑みを口元に張り付けた。

「あ、あぁ……」

「お前が由愛ゆあと知り合いだったとは知らなかったな」

 綾瀬あやせにいきなり名前で呼ばれてぎょっとしたのは由愛ゆあだけではなく、あきらも同様だったようだ。

「お、お前ら、付き合ってんのか……?」

 探るように聞いてくるあきらに、綾瀬あやせはにやりと笑う。

「だったらどうした? お前には関係のない話だろ?」

「あ、あぁ……。いや、そうだな」

 あきらが少しむっとしたようにそっぽを向いた。だが、その言葉に力はなく、歯切れも悪い。

 一方この微妙な状況に退屈したのだろう、それまで黙っていたモデルのような彼女がきゅっとあきらの腕に自分の腕を絡めた。

「ねぇ……、あきら、まだ? もう行こうよ」

 拗ねたように少し口をとがらせ、甘えを含んだ声でねだる彼女は、まるで女優のようだ。

「あ……、ぁ。そう……、だな」

 居心地が悪そうに、早口で、じゃあなとその場を離れていくあきらと彼女の背中を見送る由愛ゆあの目にはうっすらと涙がにじんでいる。

「大丈夫か?」

「……。はい」

「……、耶木あいつと付き合ってたんだろ?」

 こくりと頷く由愛ゆあは苦しげに笑いながら続けた。

「でもそう思ってたのは私だけだったみたいです。ただの後輩って言われちゃいました」

 はは、と乾いた声で笑う由愛ゆあの頭を綾瀬あやせは慰めるように撫でてくれる。

「ま、本命の彼女の前じゃ、そう言うしかないだろうな」

「きっと暇つぶしにちょうどよかったんですね、私」

 考えてみれば、あきらと逢う時はいつも彼が暇な時だった。事前に約束をすることはほとんどなく、前日か当日にいきなり連絡があるのだ。そんな急な約束でさえも、当日になってあきらの予定が埋まれば連絡もなくキャンセルになってしまう。

「そういうのはつきあってるとは言えないんじゃないか? まず、大事にされてないだろ、それ」

「そうですよね……」

 綾瀬あやせの言葉に素直に頷く由愛ゆあは、ふとあることに気づき、慌てて言った。

「あ……。さっきはありがとうございました。というか。あきら……、耶木先輩になんか誤解されてしまいましたが……」

「迷惑だったか?」

「いえ、私は。ただ綾瀬あやせ先輩に迷惑が……」

「迷惑だと思ってたら、ああいうことは言わないさ」

 他にごまかしようはいくらでもあったけれど、あえて言ったのだから、と綾瀬あやせは続ける。

「え……、えと……?」

 真意がつかめずに首を傾げる由愛ゆあに、綾瀬あやせはくすりと笑う。それはどこか悪戯っぽい笑みだった。

「お前が嫌じゃないなら、勝手に誤解させておけばいいさ。耶木あいつだけじゃなく、他の奴らにもな」

「他……。って、……え?」

「ま、とりあえず呼び方は燎耶りょうやだな」

「え、……。あ、あの綾瀬あやせ先輩? 何の話……?」

燎耶りょうや先輩」

「り……。りょ……、うや先輩……」

「今度から、それ以外の呼び方で呼ばれても返事しないからな」

「えっ、あのっ。せ、先輩っ?」

 ますますあわて始めた由愛ゆあを面白そうに見ながら、明日からが楽しみだなと綾瀬あやせは笑った。



 翌日、部活が始まる前に、部室でまきは軽く腕組みしながら綾瀬あやせに話しかけていた。

綾瀬あやせ君、水月みづきさんが君のグリップがないと探し回っていましたよ」

「何だ、もう探さなくていいと言ったんだがな」

「確か、この前の日曜日に私と一緒に購入しましたよね。あれがなくなったんですか」

「いや?」

 綾瀬あやせはにやりと笑って、自分のロッカーの奥からグリップを出して見せた。

「見当たらんとは言ったが、なくしたとは言ってない」

「……、かわいそうに。いくら口実を作るためとはいえ嘘はいけませんね」

「嘘じゃないさ。ま、ああでもしないと耶木やぎの本性があいつに分からないだろ」

「わざわざ耶木やぎ君のデートコースまで調べてですか?」

「いつまでも、ああいう奴にとらわれてる方が救われない。今回はそれなりに頑張ったぜ?」

「今回は、ですね。その行動力が何故、普段にいかせないのかが、はなはだ疑問ですが……」

「普段から、こんなことするかよ。面倒くさい」

「そういう問題ではないような……」

 まきが深いため息をついたとき、部室のドアがノックされ由愛ゆあがそっと顔をのぞかせた。

「お疲れ様です。スコア表を取りたいんですが入ってもいいですか?」

水月みづきさん、お疲れ様です。ええ、構いませんよ」

 ほっとしたように中に入ってきた由愛ゆあ綾瀬あやせはグリップを見せた。

由愛ゆあ、グリップ見つかった」

「あ、良かったです。安心しました。どこにあったんですか?」

「ロッカーの奥に隠れてた」

「やっぱり探してる時は見つからないものですねぇ」

 でも良かったと、安堵したように微笑み、スコア表を手に部室を出ていく由愛ゆあを見送りながら、綾瀬あやせまきに言った。

「結果オーライってことで、あいつには内緒にしといてくれ」

「はいはい、しかたありませんね。ついでに彼女が入部した時から、君が彼女を気に入っていたことも……、ですよね?」

「よくわかってるな……、って知ってたのか? お前の方がよっぽど食えんし、たちが悪いな」

 はは、と笑いながらラケットを片手に部室を出ていく綾瀬あやせに、まきは再びため息をついて自分も部室を出た。

「まったく……。水月みづきさん、苦労しますね……」



 数ヵ月後。

 由愛ゆあは約束よりも5分早く待ち合わせ場所についていた。

 ベンチに座り本を読みながら待ち人を待っている。

 約束の時間ぴったりに、由愛ゆあが読んでいる本の上に人影が落ちた。

 目をあげた彼女の視界には、綾瀬あやせが映り、互いに微笑みあう。

燎耶りょうや先輩」

「悪い、待たせたか?」

「いいえ、私もさっき来たばっかりですよ。今日はどこに行きますか?」

「そうだな……。とりあえず屋根のあるとこがいい。外は暑いから嫌だ」

「先輩……。部活の時は何も言わないのに……。というか、もうそんなに暑い季節でもないですよ?」

「日差しが苦手なんだよ、季節関係なく。部活の時に言うと部長がうるさいから言わないだけだ。本当はずっと室内コートで練習していたい」

「うちにそんな設備はないです……」

「他の高校に編入したいよなぁ」

 例えば、と綾瀬あやせはハイグレードな設備が整っているライバル校の名を挙げた。

「うわ……。やめて……。冗談でもそういうのは嫌……」

「はは、編入になったらもちろんお前にもついてきてもらうさ」

「ええっ!?」

「さて、行くか」

「え、ちょ……、先輩っ?」

 慌てて立ち上がった由愛ゆあの手を取り、そのまま指をからめて歩きだす。

二人の顔には先ほどから笑みが絶えない。

 数ヶ月前のあの日から、互いに名前で呼び合っているので、すぐに二人がつきあっているとの噂が校内を走った。そのまま、なし崩し的に公認の仲になってしまい、悩む由愛ゆあ綾瀬あやせは笑いながらこう告げた。

「噂を本当にすれば別に気にならないだろ?」

 綾瀬あやせらしいと言えば綾瀬あやせらしい、告白じゃないような告白だった。

 だが、少なくともあきらといた時よりは綾瀬あやせといるときの方が大事にされていると由愛ゆあは実感できる。

 あきらは甘い言葉はそれこそ星の数ほど囁いてくれたがそれが実践されることはなかった。逆に綾瀬あやせは、ほとんどそういう言葉はかけてはくれないが、その態度で由愛ゆあが大事なのだと示してくれる。

 それは彼女にはとても心地よく、また信じることもできるものだった。

 だが、少し不安になったりもする。

 飽きっぽい綾瀬あやせのこと。いつ自分と別れたいと言い出すか分からないのだから。

 だが、その来るかもわからない未来のことで不安になっても仕方ない。

 今はこの手のぬくもりを信じていればいい。

 由愛ゆあは自然な笑みを顔いっぱいに浮かべ、彼との時間を楽しもうと、歩き出した。



 ……、お帰りなさいませ。

 この扉はいかがでしたか?

 お気に召せば幸いですが……、ふふ、それはようございました。

 え? 他の扉が見たい? この数想かずおもいの館がお気に召したようですね?

 ええ、私としてもお客様がお喜びになっている姿を見るのが何よりの喜びなので、嬉しい限りです。

 かしこまりました。

 はい、ではこの四の扉をお開けいたしましょうか。

 存分にお楽しみくださいな。

 では。

 どうぞ、行ってらっしゃいませ。

 良い活劇でありますように……。

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あなたは甘いお菓子 くれない れん @kurenai-ren

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