二の扉

 坂城朋弥さかき ともやが彼女を見つけたのは、偶然だった。

 よく晴れた日曜日に行きつけのオープンカフェで読書をしている最中、ふと目をあげるとその少女が視界に入ってきたのだ。少し距離があり、はっきりとは見えないが、坂城さかきは道端で泣きぬれているらしい彼女に、心を奪われた。

 夏らしい真っ白なワンピースを身にまとい、服と合わせたのであろうミュールとバッグを持つ彼女。それは彼氏とのデートの為の装いなのだろうと容易に想像できる。

 が、その彼女が泣いているということは、おそらくドタキャンされたか別れ話をされたかなのだろうと、こちらも想像に難くなかった。

 見回しても彼女の周りには彼氏らしい男は見当たらない。

 雑踏にまぎれて一人、涙にくれる彼女は、あまりにも儚くそのまま消えてしまいそうに思え、坂城さかきの目は彼女にくぎ付けになったままだった。

 周りが皆、見て見ぬふりを決めこむ中、坂城は普段はしない行動をとってしまい、また、不思議なことにそのことに驚きもしなかった。

 蝶が花に引き寄せられるように、ごく自然に足は彼女のほうに向かっていく。

 そのまま勢いで彼女のそばまできたもののなんと声をかけようかと悩みながら、それでも言葉となって出てきたのは何ともありふれたものだった。

「……なぁ、君、大丈夫か?」

 近づき、彼女の肩に触れ声をかける坂城さかきはその顔を垣間見て、一瞬、我が目を疑った。

「……、なんだ、由愛ゆあか」

「え……、朋弥ともや先輩……?」

 そこにたたずんでいた少女は、坂城さかきの幼馴染である水月由愛みづき ゆあだった。

 親の仕事の都合で、幼いころから転校を繰り返した坂城さかきには幼馴染とよべる存在は少ない。由愛ゆあ坂城さかきより二つ年下だったが、数少ない幼馴染の一人で、おそらく一番多くの時間を共有してきた相手だ。

 坂城さかきはいまだに各地を転々とする生活を余儀なくされていたが、このあいだ数年ぶりに昔住んでいたこの街に戻ってきたのだ。

 由愛ゆあと三か月前に高校で再会した時に、同じ学校だったのかと驚き、そして笑いあい、その時から、また昔のように友人として付き合っていた。

「なんでこんなとこで泣いてんだよ」

「だって……」

 最初こそ驚いていた由愛ゆあだったが、幼馴染である坂城さかきの顔を見て安心したのだろう。一度は止まっていた涙が、またあふれ始め、ぐすぐすと鼻まで鳴らし始める。

「あー……、ちょっと待て。泣くならあっちでにしろよ? こんなとこで泣いてたら、さらし者もいいとこだぞ、由愛ゆあ

「あっち……、てどこ?」

「そこのカフェ」

「カフェ……」

「なんか飲むだろ?」

「そんな気分じゃ……」

「ああ、じゃあいらないんだな?」

「……、飲むけど」

「飲むのかよ。ほら行くぞ」

 坂城さかきは、由愛ゆあをとりあえず、と自分がさっきまでいたカフェの椅子まで手を引っ張って連れて行き、座らせた。

由愛ゆあ、お前、アイスミルクティーだよな?」

「うん……」

 幼馴染である由愛ゆあの好きな飲み物くらい知っているし、メニューを見なくてもこの店にあるドリンクの種類は頭に入っている。

 坂城さかきは水を持ってきたウェイターに追加注文をして、そのまま黙って目の前の幼馴染を見つめていた。坂城さかきには珍しく、様子を窺うような、そんな感じだ。

そ の視線を知ってか知らずか、飲み物が来るのを待つ間、由愛ゆあはうなだれてじっと自分の膝を見つめていた。

 泣くタイミングを外されてしまったのだ。なんだかこれ以上は泣くに泣けなくて、かといって声をかけてきた坂城さかきに文句を言うわけにもいかず、黙っているしかないのだろう。

 やがてウェイターが持ってきたアイスミルクティーを一口飲むと、由愛ゆあはうなだれたままだったがようやく口を開く。

「なんで何も聞かないの……?」

「聞いてほしいのか?」

 由愛ゆあはぐっと言葉に詰まり、更に肩を落とした。

朋弥ともや先輩の意地悪」

「今更だろ。ていうか、学校以外で先輩言うのやめろって何回も言ってるだろ」

 くすりと笑い、氷の解けたアイスコーヒーを口に含む坂城さかきを、由愛ゆあは恨めしそうに見つめながら頬を膨らませる。

「もう、朋ちゃん、慰める気なんてないんでしょ。なんで声かけたのよ」

「なんだ、逆ギレか? そんなに慰めてほしいんなら、慰めてやってもいいけど?」

 しれっとしたまま淡々と言う坂城さかきを、ますます恨めしそうに見つめる由愛ゆあは、ふうっと息を吐く。彼女の涙はとうに乾いてその跡を頬に残すのみだ。

「も、いい」

「何だ、いいのか? せっかく慰めてやろうって思ったのにな」

「何か泣いてたのが馬鹿みたいに思えてきた」

「そうか」

 そう言えば幼いころから、坂城さかきはこういう微妙な慰め方をしていたと由愛ゆあは思い出し、もう一度ため息をつく。

 哀しいことがあった時、辛いことがあった時。泣いている由愛ゆあのそばにいて、ただ落ち着くのを待っている。

 おとなしそうな顔に似合わず、激情型の由愛ゆあが感情的になっている時に何を言っても言葉が素通りしてしまうのを坂城さかきが知っているからかもしれない。

 けれど、たとえ何時間かかろうが、ゆあ愛が落ち着くまでは決してそばを離れたりはしないのも事実だ。

 坂城さかきなりの優しさがそういうものなのだろうと由愛ゆあは最近気付いたのだった。

「デート、ドタキャンされた……」

 不意に由愛ゆあが涙の理由を話しだす。

「へぇ」

 坂城さかきはじっと耳を傾けていた。

「彼とはもうだめなのかも……」

由愛ゆあがそう思うんだったら、そうなんだろ」

「はっきり言ってくれればいいのに……。自然消滅狙うなんて卑怯だ……」

「なぁ」

 愚痴っぽくなった由愛ゆあの話の途中に、珍しく坂城さかきが口をはさんできた。

「何で相手任せなんだよ、お前」

「え……?」

「別にどっちがしてもいいだろ? 別れ話なんて」

「だって……」

由愛ゆあがそいつをまだ好きなら、そう言ったらいいし、もうダメだって思うならお前からふってやったらいい」

 頬杖をつきながらじっと見つめてくる坂城さかきの瞳は真剣そのものだった。

「何でも相手任せにしてるから、もやもやするんじゃないのか。ぶつかってみたらいいだろ」

「簡単に言わないでよ……。ぶつかって砕けたらどうするの……」

 そんなの立ち直れないじゃないと由愛ゆあが言うと、坂城さかきはこともなげにこう告げた。

「砕けたら俺が拾ってやるから、安心して砕けてこい」

「朋……、ちゃん……?」

「前から言ってるだろ、お前には俺がいるからなって」

 確かに昔から由愛ゆあが落ち込んでる時には頭を撫でながらそう言っていた。再会してからはそういう機会はなかったので、由愛ゆあは久しぶりに聞いたと少し昔を懐かしむような表情を見せる。

 が、その直後にぎゅっと、眉間にしわを寄せ、呆れたようにため息をつきながら呟いた。

「……、ねぇ。このタイミングでそんなこと言ったら、洒落にならないんだけど。っていうか……、それ誰にでも言ってるじゃない」

 昔、坂城さかきが自分以外の女の子を慰めるときにもその言葉を使っていたことも、ついでに思い出したのだ。

「真面目に言ってるから、別に洒落にならなくてもいいし。それに今は誰にでもは言ってない」

 予想に反して坂城さかきはしれっとしたままそんなことを言う。

 昔は、誰にでもそんなこと言ってるんでしょと頬を膨らませる由愛ゆあに、そうだよと答えながら大笑いしていたものだったが……。

「いつまでもこどものままじゃないんだし。いまだに誰にでも言ってたらかなり問題あると、俺は思うけどな」

「……、まぁそうだけど。……、いや、じゃなくて、本気にするけど」

「別にいいって言ってるだろ。まぁ、由愛ゆあが胸張って俺のとこに来れるようになったら……、だけどな」

 それはちゃんと今の彼氏にぶつかってきてみろということか、と由愛ゆあは思わず憂鬱そうな顔を見せた。

「そんな顔されてもなぁ。だいたいお前は何でも人任せにしすぎだろ。自分の気持ちくらい、自分で決めろよ」

「いつの間にか、お説教みたいになってるんだけど」

「そりゃ、説教くらいされるだろ」

 何でもお見通しなその態度が由愛ゆあの癇に障る。けれど、頭では坂城さかきの言うことが間違っていないということも分かっていた。

 由愛ゆあはしばらく恨めしそうに坂城さかきを見つめていたが、坂城さかきは気にするそぶりもなく、グラスに残った氷のかけらをがりがりと噛み砕いている。

 由愛ゆあはそんな坂城さかきを見ながら、一度大げさにため息をついてみせ、よしっとつぶやき、ウェイターを呼びつけて勝手にケーキを数種類頼みだした。坂城さかきはあきれたように、テーブルの上にケーキが次々に置かれるのをじっと見守っている。

 が、由愛の口に三個目のケーキが吸い込まれたときに、おもむろに口を開いた。

「……なぁ、それ誰が払うんだ? つか……、ちょっと食べすぎじゃないか?」

「払うのは朋ちゃん以外に、ここにはいないと思いますが? ついでに食べすぎじゃないですよということを言っておきます」

「……、何で急に敬語なんだ」

「いいじゃん。ケーキで気合い入れるんだから」

「そんなもんで入る気合いなんかすぐなくなりそうだけど……」

「いいじゃん、もう、いちいちうるさいなぁ。朋ちゃんはぁ」

 四個目のケーキをほおばりながら憎まれ口をたたく由愛ゆあに、もう一度あきれたように苦笑しながら坂城さかきは言葉を紡ぐ。

「昔から変わらないな、そういうとこは」

「仕方ないじゃん、昔から何かする時にはエネルギー補充しないと動けないの知ってるでしょ? って……、ねぇ、朋ちゃん?」

 話しながら完食してしまったケーキのお皿を見せながら、由愛ゆあはにこりと笑う。

「追加していい?」

「……、お前……。一体、どんだけ食うつもりなんだよ」

 呆れ果ててがっくりと肩を落とす坂城さかきを尻目に、由愛ゆあは嬉々として追加のケーキを頼みだした。

「おい! ちょ、こら、由愛ゆあ。俺はまだ追加していいって言ってないだろ」

「もう頼んじゃったもん」

「お前なぁ……」

「いいじゃん。あ、来た来た。二回目だけど、いただきまーす」

「ダメだ……、見てるだけで俺のほうが胸やけがしてきた……」

「見なきゃいいじゃん」

「そうか。それは名案だな。俺、このまま帰っていいか?」

「それはだめ」

 軽口をたたきながら、由愛ゆあは次々とケーキをお腹におさめていく。

 そこには穏やかでどこか懐かしい時間が、ゆったりと、だが確実に流れ始めていた。



 数日後、由愛ゆあ坂城さかきの目の前を猛スピードで動き回っていた。

「おい、由愛ゆあ。まだか?」

「ごめーん、もうちょっと」

「もう行かないと、映画始まるぞ?」

「間に合わなかったら次のに入ればいいじゃん」

「……、間に合わせようと少しはは努力してくれ」

「今、してる」

「それでかよ……」

 呆れたように腕組みしながら立っている坂城さかきを尻目に、由愛ゆあはバタバタと部屋の中を走り回っている。

「よし! お待たせっ」

「じゃあ、行くか」

 バッグをわしづかみにし、靴をあわてて履く由愛ゆあに、坂城さかきは手を差し出す。

 由愛ゆあは、にこりと笑って、そっと差し出された手を握った。

「なーんか小さいころみたいだよねぇ。手ぇつないで歩くなんて」

 由愛ゆあはにこにこと坂城さかきの横顔を見つめる。

 幼いころはそばにいるのが当たり前だった。

 その幼いころに分かたれた道が今再び交わり、同じ軌跡をたどりだす。

 友人のような、兄妹のような、幼馴染。そして今は恋人。二人は様々な役割を演じながら、それでもそばにいることは変わらない。

 これからもずっと、そばにいる。

 それは二人だけの約束だ。




 ……はい、お帰りなさいませ。

 扉の中はお気に召しましたか?

 そうですか。それならばようございました。お顔もずいぶん華やいでこられましたよ。

 え? ふふ。

 そうですか。ええ、どうぞ、ご随意に。

 今、三の扉、お開け致します。

 はい、どうぞ。

 お気をつけて、行ってらっしゃいませ。

 よい活劇でありますように……。



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