一の扉

 よく晴れた日曜日。

 三宅拓真が駅前を通りかかった時、一人の少女が視界に入ってきた。

 ぶらぶらと暇つぶしに歩いている彼の趣味はかわいい女の子を見ることと、ついでにナンパすること。

 もっとも彼のナンパが成功したことなんて、ほとんどない。

 鮮やかな金髪で、そこそこ整った顔立ちの彼は黙っていても周囲の目をひき、目立ってしまうのにもかかわらず……、だ。

 まあ、そのそこそこ整った容姿のせいもあってか、女の子にだらしないことを除けば、彼が通っている高校の女子の間での人気はかなり高い。残念なのは、彼自身がそれに気づいておらずナンパな態度を繰り返して、自らの首をきつくしめてしまっているということだった。

 そんな彼には、視界に入った女の子を観察するという癖がある。昔からなので条件反射なのだが、ついついじっと見てしまうのだ。

なので、ということもないが、すぐにその少女にも興味をひかれた。

「お、可愛い子はっけーん……、て、あれ? 泣いてる?」

 女の子が大好きな三宅でなくても、道端で泣いてる少女は気にかかる。

 だが、気にはなっても、普通は知り合いでもない限り見て見ぬふりをするものだ。が、行動的な三宅は違った。そっと彼女に近づいてぽんぽんと肩をたたいてみたのだ。

 その少女はびくりと体を震わせ、涙にぬれた瞳で三宅を見つめる。その瞳は不意に現れた見知らぬ男子にびっくりしているようだ。

 三宅は一瞬、その瞳に吸い込まれるような感覚を覚える。

 早くなる鼓動を押さえながら、平静を装い、ゆっくりと口を開いた。

「君、大丈夫? どうかしたの?」

「え……、あの……」

「いや、こんなとこで泣いてるからさ。何かあったのかなぁって」

 三宅の言葉に後押しされたように、少女の瞳には再び涙が溜まりこぼれていく。

 ぽろぽろと落ちるその涙は、予想はしていたものの少しの驚きを三宅に与えた。

 女の子ってこんな簡単に、知らない男の前で泣けるものなんだっけ……?

 ハンカチでそっと目元を抑えながら肩を震わせる少女をどうやって慰めようかと、三宅は考え、遠慮がちに手を伸ばして髪をなでてみた。

 それは明るく行動的な、といえば聞こえはいいが、悪くいえば能天気な三宅でも、あまりしない行動だ。

 いや、女友達が泣いていたらすることもあるが、初対面の女の子の体に触れることなどめったにない。

 女の子はこういうの嫌がるかなぁ。友達とか彼氏だったらいいんだろうけど、初対面だしな……。

 そう思う三宅の心配をよそに彼女は、意外にも思いもよらぬ行動に出た。

三宅にしがみついて泣き始めてしまったのだ。おそらくは、その三宅の行動で我慢していたものがせきを切ったようにあふれてきてしまったのだろう。もしかしたら相手が三宅でなくても、今の彼女ならばそうしたのかもしれなかった。

「おっと……」

 抱きつかれて、思わず彼女を抱きしめてしまった三宅は、軽く声をあげた。

彼女に声をかけた手前、こうなることはなんとなくわかっていたものの、周りの目が痛すぎる。

 ともかくこんなところで晒しものになる趣味は残念ながら彼にはなかった。

「君、大丈夫? どっか座ろうか?」

 場所を移そうと三宅は少女の肩を抱き、近くのベンチに座らせて自分も隣に座る。そして彼女の肩を抱いたまま思う存分泣かせた。それが女の子の気持ちを落ち着かせる早道だと知っているのだ。

「……そっかぁ、彼氏にドタキャンされちゃったのか」

 なんとか涙の理由を聞き出した三宅は、ぽりぽりと自分の頬をかき、改めて少女の姿を見る。

 ふわりとした夏らしい白いワンピースと、それに合わせたのだろう、おろしたての真新しいミュールとバッグ。

もう終わりだと分かっているにしても、好きだった相手に変な格好は見せられないという彼女の心がそこにあった。

 可愛いよな、こういう子って。断られるのを覚悟で言ってみようか……。

 三宅は探るように彼女の顔を見た。

「んー……、君、由愛ゆあちゃんだっけ?」

 さっきそれとなく聞きだした彼女の名前は、水月由愛みづき ゆあ。ここからは少し離れた高校に通う、自分よりも1つ年下の一年生らしい。学校などの詳しい名前や場所は教えてはくれなかったが、まあ初対面の相手なのだ。それも仕方ないだろう。

 由愛ゆあは相変わらずハンカチで目元をぬぐいながら、三宅の顔を見た。

「はい……?」

「デートの予定だったんでしょ? ならこのあと時間大丈夫だよね?」

「え……あ、はい。……あの、一応は……」

「じゃさ、俺とデートしない?」

 由愛ゆあの目が丸くなる。

「だめ?」

「え……、と……」

 彼の真意をつかみかねているのか、由愛ゆあはじっと三宅の顔を見つめた。

「ね? 行こうよ」

 にこにこと誘う三宅に、由愛ゆあはつられて思わず、はいと頷きかけ、そんな自分におそらく彼女自身が一番驚いていた。

 そしてわずかな不安や、迷いが頭の片隅をよぎる。

 普段なら由愛ゆあが初対面の男子についていくなんて絶対にしない行動だ。

けれど、待ち人は来ないし、目の前にいる彼の鮮やかな金色の髪が太陽みたいに見えて、まぶしくでも暖かく感じたから今日は特別だと、自分に言い訳をしてみる。

 だってお日様ってなんとなく安心するし、この人は嫌な感じはしないし、と心のうちで呟いてみた。

 その瞬間、じわりと胸に熱いものがこみ上げてくる。

 悲しみとも喜びとも違う、淡いあたたかさ。

 その正体のきっかけが彼の笑顔であったことには間違いはない。

 由愛ゆあは心を決め、ハンカチで目元をぬぐうと、三宅の顔をそっと覗きこんでみた。

「……はい、行きます」

「よし、えっと……、どこに行くかなぁ。どっか行きたいとこある?」

 照れたように視線を外しながら、それでも由愛ゆあの手をさりげなく握りしめ立ち上がる三宅に、彼女は遠慮がちに映画のチケットを二枚、バッグから取り出して見せた。

「あ、あの。これ……。今日行くはずで……」

「そっか、じゃ、とりあえずそれに行こうか。チケットせっかくあるんだしさ」

「はい。あ、これ……、ラブコメみたいなんですけど。こういうの平気ですか?」

「んー、オッケーオッケー。大丈夫だよ」

「よかった」

「それ今話題になってるやつ? 何かテレビでやってたような気がする」

「あ、あの……、私、これ友達からもらっただけだから、内容よく知らなくて……。その……、流行にも少し疎いので……」

「そうなんだ? ま、俺も映画なんて久々に見るし、気にしなくていいよ」

「す、すみませ……。あ、あの私まだ名前聞いてない……」

「おおっと。はは、ごめんごめん。君の名前だけ聞いて、自分のも言った気になってたよ。俺は三宅。三宅拓真みやけ たくまっていうんだ。この近くの在間ありま高校の二年だよ」

「三宅さん……。三宅先輩ってのは変ですよねぇ……」

「フレンドリーにたくちゃんとか、拓真さんとか。もういっそ、たくとかでもオッケーだよ?」

「い、いえ。いくらなんでもそれは……」

「はは。砕けすぎかな? ま、由愛ゆあちゃんの好きに呼んでくれていいよ?」

「はい……。じゃあ三宅さんで」

「んー、少し距離がある感じだけど、まあ、いいかぁ」

「すみません……」

「いいよ~」

 二人は笑いながら、そのまま映画館へと足を向けた。

 映画を見て、カフェで休んで、ウィンドウショッピングをして、ちょっとゲームセンターものぞいてみて……。

 思う存分遊んだ二人は、夕闇の中、再びあのベンチへと戻ってきていた。

 由愛ゆあの手にしている袋には、映画のパンフレットやグッズ、ゲームセンターでの戦利品であるぬいぐるみやお菓子がどっさり入っている。

「三宅さん、今日は……、本当にありがとうございました」

「いやいや、俺のほうこそ。今日は由愛ゆあちゃんに会えてラッキーだったよ」

 由愛ゆあはその言葉を聞くとふわりと笑って、ぎゅっと三宅の手を握りなおす。

 三宅はどきりとして、思わず由愛ゆあを凝視した。

「っえ……?」

「三宅さんに会えなかったら、私きっと彼のことふっきれなかったと思う。私こそラッキーでした」

「そっか。少しでも元気になったなら良かった。やっぱり女の子は笑ってなくちゃね」

 由愛ゆあは、はい、と頷き、すっと手を離す。

 急に空気に触れた三宅の手が、物足りなさそうに一瞬ぴくりと動いた。が、それを隠すように彼はぎゅっと拳をつくり、ポケットに突っ込む。

「あ、そうだ。ねぇ由愛ゆあちゃん、連絡先聞いてもいいかな」

 三宅はポケットに手を突っ込んだまま、少しだけ体をかがめ由愛の顔を覗き込む。笑顔を作ってはいたが、彼の心臓は早鐘を打ちすぎて煙が出そうだ。

 頼む、断らないでくれ。

 だが三宅の想いは届かなかった。

 由愛ゆあがふるふると首を横に振ったのだ。

「これ以上かまってもらってると、私、勘違いしそうだから」

 今はそれに耐えられない、と彼女は哀しそうに笑う。

 君になら勘違いされてもいいよ、と言いかけて三宅は言葉をぐっと飲み込んだ。 それは今言うべきことではないとその場の雰囲気が告げている気がして。

 少しだけ重苦しくなった空気を払うように、由愛ゆあが笑顔で口を開く。それはこの日で一番明るい声音で、三宅はなぜかずきりと胸が痛んだ。

「今度会えた時、また私が泣いてたら誘ってください」

「オッケ……、分かった」

「あ、これ……。本当にもらっていいんですか?」

 由愛ゆあは手に持っている袋を三宅に見せた。

 三宅は微笑んだまま、こくりと頷いた。

「もちろん」

「……、三宅さん、何かほしいものないですか?」

「え……。うーん、そうだな……」

 考えながら、再度袋の中を見た三宅は同じ携帯ストラップが二個あるのに気づいた。ゲームの景品にしては、少し豪華な、きらきら光るビーズでできているものだ。先の方に小さなクマがちょこんとついている。

「あ、これ。さっき、ウサギの取ろうとして、かぶっちゃったやつか」

「え……。あ、そうですね」

「それじゃ二個あるし、これをもらおうかな。それとさっき一緒に撮ったプリクラ、一枚くれる?」

「はい。あ、でも……。それだけでいいんですか?」

「うん、あとは由愛ゆあちゃんが持ってなよ」

「じゃあ、そうさせてもらいます」

 ストラップとプリクラを手渡すと、由愛ゆあはにこりと笑った。

「じゃ、私行きますね」

「あ……、そこまで送るよ?」

「大丈夫。三宅さん、本当にありがとう。楽しかったです」

「うん、俺も。……、由愛ゆあちゃん、またね」

「はーい」

 またね……、か。

 本当にまた逢えるのだろうか。

 三宅は一瞬寂しさを感じ、胸が痛くなった。おそらくその表情も少しだけ痛々しいものになっているに違いない。

 由愛ゆあはそれを知ってか知らずか、柔らかな笑顔だけを三宅に残して、その場を去って行った。

 辛いことをふっ切った女性の鮮やかな美しさをその背中に見たような気がして、三宅はその場を動くことができなかった。



 あれから少しの時間が過ぎた。

 三宅は相変わらず、女の子観察とナンパに余念がない。

 変わったことと言えば、普段通りの生活をしているけれど、週に一回は駅前のあのベンチに座るようにしたことだ。

 待ち合わせも何もしていないあの子と、もしかしたらまた会えるかもしれないという期待だけを胸に。

「参ったなぁ……。これって一目ぼれってやつだよなぁ」

 やはりあの時無理にでも連絡先を聞いておくべきだったと三宅はため息をつく。

「せめて学校でも分かればなぁ」

 そうしたら、すぐにでも逢いに行くのに。

 決して狭くはないこの街で、約束もしていない子とまた巡り会うなんて至難の業だ。

 目を閉じれば、あの日のことが昨日のことのように思い出せるのに、今日も隣には彼女がいない……。

 無駄なこととは知りながら、三宅はあのベンチに座るのをやめなかった。この場所が唯一、彼女とつながっていられる場所だから。

 あの日のストラップをつけた携帯に目を落とし、ふっと息を吐く。その携帯には、少し色あせてしまったあの子のプリクラが貼ってあった。

「逢いたいのに逢えないなんて。なーんか七夕みたいだよなぁ」

 口に出してみて、三宅は自分に苦笑した。

 七夕? 七夕だって? 七夕とは全然違う。だって俺たちは織姫と彦星のように愛し合ってるわけでも逢う約束をしているわけでもない。ただ、偶然出会い、そのまま別れてしまった。そこいらの通りすがりの人と同じだ。

由愛ゆあちゃん、可愛かったよなぁ。また逢いたいや」

 風のように通り過ぎてしまった彼女を思い出していた三宅に、不意に後ろから声がかかった。

「あ、もしかして……、三宅さん?」

 かすかに聞き覚えのある声に、三宅が振り返ると、そこにはあの日の笑顔の彼女がいた。

「お、由愛ゆあちゃん……?」

「あは、やっぱり三宅さんだ。お久しぶりです」

「はは、久しぶり。元気だった?」

「はい。……あ、急に声かけてごめんなさい。誰かと待ち合わせ……、ですよね?」

「んー……、いや? 待ち合わせじゃないよ」

 心臓が早鐘を打つのがわかる。

 やっと待ち人に逢えたのだ。

 平静を装って、君は、と問う三宅に、由愛ゆあは携帯をバッグにしまいながらぺろっと舌を出した。ちらりと見えたストラップは三宅のつけているものと同じ、あの日のクマがついているものだった。

「またドタキャンされたみたい」

「はは、またかぁ」

「今日は女の子の友達と待ち合わせてたんですけど、急に遊ぶのが無理って言い出して。何とかなるかもって昨日は言ってたんですけど、さっきやっぱ今日は無理って連絡あって、どうしようかなって思ってたんです」

 ドタキャンという言葉に表情が一瞬こわばったが、男との待ち合わせではなかったことに、三宅は心底ほっとした。

そして彼は、あのさ、とゆっくり切り出す。

「今日は由愛ゆあちゃん泣いてないけど、誘ってもいいかな。俺、また由愛ゆあちゃんと遊びたいんだ」

 由愛ゆあは少し考えるそぶりを見せて、そっと三宅の腕をとった。

「いいですよ、どこに行きますか」

「お、やった。ラッキー」

 今日こそは聞けるだろうか。彼女の連絡先を。

 いつともしれない頼りない逢瀬ではなく、逢いたい時にいつでも逢えるように。

 一度は逃がしたチャンスが、今再び手の中に転がり込んできたのだ。

 今度は離したくない。

 離しちゃいけない。

 彼女をエスコートしながら三宅はそんな思いを抱え、笑ってみせる。

由愛ゆあちゃんに会えるなんて、今日はラッキーデーだな。俺って、ほーんとツイてるよ」



 


 ……はい、お帰りなさいませ。

 一の扉の向こうはいかがでしたか?

 先ほどよりはお顔の色も良くなったようですね?

 え?

 ああ。さぁ、申し訳ありませんが、現実に起こるかどうかと聞かれてもお答えしかねます。あくまでもこういう可能性があった、またはあるかもしれないという程度のものなのですよ。もし、それが過去のことであるならば、今そうなることはないですものね。

 ですが、可能性としてはゼロではないとだけ申し上げておきましょうか。

 もともと儚い夢物語です。

 その程度にとどめておくのがよろしいでしょうから。

 え?

 ええ、そうです。扉ごとにそれぞれ違う結末が待っていますよ。

 次の扉を開けたい?

 はい、どうぞ。構いません。

 それぞれの扉はあなた様だけに用意されたもの。ご自由にお開け下さって結構です。

 お気に召さなければ、その後ろの扉から……。

 そうですか。承知しました。

 それでは二の扉の中へ、どうぞ。

 行ってらっしゃいませ。

 よく晴れた日曜日。

三宅拓真が駅前を通りかかった時、一人の少女が視界に入ってきた。

 ぶらぶらと暇つぶしに歩いている彼の趣味はかわいい女の子を見ることと、ついでにナンパすること。

 もっとも彼のナンパが成功したことなんて、ほとんどない。

 鮮やかなオレンジ色の髪をしてそこそこ整った顔立ちの彼は、黙っていても周囲の目をひき、なぜだか目立ってしまうのにもかかわらず…だ。

 まあ、その整った容姿のせいもあってか、女の子にだらしないことを除けば、彼が通っている高校の女子の間での人気はかなり高い。残念なのは、彼自身がそれに気づいておらずナンパな態度を繰り返して、自らの首をきつくしめてしまっているということだった。

 そんな彼には、視界に入った女の子を観察するという癖がある。昔からなので条件反射なのだが、ついついじっと見てしまうのだ。

なので、ということもないが、すぐにその少女にも興味をひかれた。

「お、可愛い子はっけーん…て、あれ? 泣いてる?」

 女の子が大好きな三宅でなくても、道端で泣いてる少女は気にかかる。

 だが、気にはなっても、普通は知り合いでもない限り見て見ぬふりをするものだが、行動的な三宅は違った。そっと彼女に近づいてぽんぽんと肩をたたいてみたのだ。

 その少女はびくりと体を震わせ、涙にぬれた瞳で三宅を見つめる。その瞳は不意に現れた見知らぬ男子にびっくりしているようだ。

 三宅は一瞬、その瞳に吸い込まれるような感覚を覚える。

 早くなる鼓動を押さえながら、平静を装い、ゆっくりと口を開いた。

「君、大丈夫? どうかしたの?」

「え…あの…」

「いや、こんなとこで泣いてるからさ。何かあったのかなぁって」

 三宅の言葉に後押しされたように、少女の瞳には再び涙が溜まりこぼれていく。

 ぽろぽろと落ちるその涙は、予想はしていたものの少しの驚きを三宅に与えた。

 女の子ってこんな簡単に、知らない男の前で泣けるものなんだっけ…?

 ハンカチでそっと目元を抑えながら肩を震わせる少女をどうやって慰めようかと、三宅は考え、遠慮がちに手を伸ばして髪をなでてみた。

 それは明るく行動的な、といえば聞こえはいいが、悪くいえば能天気な三宅でも、あまりしない行動だ。

 いや、女友達が泣いていたらすることもあるが、初対面の女の子の体に触れることなどめったにない。

 女の子はこういうの嫌がるかなぁ。友達とか彼氏だったらいいんだろうけど、初対面だしな…。

 そう思う三宅の心配をよそに彼女は、意外にも思いもよらぬ行動に出た。

三宅にしがみついて泣き始めてしまったのだ。おそらくは、その三宅の行動で我慢していたものがせきを切ったようにあふれてきてしまったのだろう。もしかしたら相手が三宅でなくても、今の彼女ならばそうしたに違いないのかもしれなかった。

「おっと…」

 抱きつかれて、思わず彼女を抱きしめてしまった三宅は、軽く声をあげた。

彼女に声をかけた手前、こうなることはなんとなくわかっていたものの、周りの目が痛すぎる。

 ともかくこんなところで晒しものになる趣味は残念ながら彼にはなかった。

「君、大丈夫? どっか座ろうか?」

場所を移そうと三宅は少女の肩を抱き、近くのベンチに座らせて自分も隣に座る。そして彼女の肩を抱いたまま思う存分泣かせた。それが女の子の気持ちを落ち着かせる早道だと知っているのだ。

「…そっかぁ、彼氏にドタキャンされちゃったのか」

 なんとか涙の理由を聞き出した三宅は、ぽりぽりと自分の頬をかき、改めて少女の姿を見る。

 ふわりとした夏らしい白いワンピースと、それに合わせたのだろう、おろしたての真新しいミュールとバッグ。

もう終わりだと分かっているにしても、好きだった相手に変な格好は見せられないという彼女の心がそこにあった。

可愛いよな、こういう子って。断られるのを覚悟で言ってみようか…。

三宅は探るように彼女の顔を見た。

「んー…、君、由愛ちゃんだっけ?」

 さっきそれとなく聞きだした彼女の名前は、水月由愛。ここからは少し離れた高校に通う、自分よりも1つ年下の一年生らしい。学校などの詳しい名前や場所は教えてはくれなかったが、まあ初対面の相手なのだ。それも仕方ないだろう。

 由愛は相変わらずハンカチで目元をぬぐいながら、三宅の顔を見た。

「はい…?」

「デートの予定だったんでしょ? ならこのあと時間大丈夫だよね?」

「え…あ、はい。…あの、一応は…」

「じゃさ、俺とデートしない?」

 由愛の目が丸くなる。

「だめ?」

「え…と…」

 真意をつかみかねているのか由愛はじっと三宅の顔を見つめた。

「ね? 行こうよ」

 にこにこと誘う三宅に、由愛はつられて思わず、はいと頷きかけ、そんな自分におそらく由愛自身が一番驚いていた。

 そしてわずかな不安や、迷いが頭の片隅をよぎる。

普段なら由愛が初対面の男子についていくなんて絶対にしない行動だ。

けれど、待ち人は来ないし、目の前にいる彼の鮮やかなオレンジ色の髪が太陽みたいに見えて、まぶしく、でも暖かく感じたから今日は特別だと、自分に言い訳をしてみる。

だってお日様ってなんとなく安心するし、この人は嫌な感じはしないし、と心のうちで呟いてみた。

その瞬間、じわりと胸に熱いものがこみ上げてくる。

悲しみとも喜びとも違う、淡いあたたかさ。

その正体のきっかけが彼の笑顔であったことには間違いはない。

由愛は心を決め、ハンカチで目元をぬぐうと、三宅の顔をそっと覗きこんでみた。

「…はい、行きます」

「よし、えっと…どこに行くかなぁ…。どっか行きたいとこある?」

 照れたように視線を外しながら、それでも由愛の手をさりげなく握りしめ立ち上がる三宅に、彼女は遠慮がちに映画のチケットを二枚、バッグから取り出して見せた。

「あ、あの。これ…今日行くはずで…」

「そっか、じゃ、とりあえずそれに行こうか。チケットせっかくあるんだしさ」

「はい。あ、これ…ラブコメみたいなんですけど。こういうの平気ですか?」

「んー、オッケーオッケー。大丈夫だよ」

「よかった」

「それ今話題になってるやつ?」

「あ、あの…私、これ友達からもらっただけだから、内容よく知らなくて…。その…流行にも少し疎いので…」

「そうなんだ? ま、俺も映画なんて久々に見るし、気にしなくていいよ」

「す…すみませ…。あ、あの私まだ名前聞いてない…」

「おおっと。はは、ごめんごめん。君の名前だけ聞いて、自分のも言った気になってたよ。俺は三宅。三宅拓真っていうんだ。この近くの在間高校の二年だよ」

「三宅さん…。三宅先輩ってのは変ですよねぇ…」

「フレンドリーにたくちゃんとか、拓真さんとか。もういっそ、たくとかでもオッケーだよ?」

「い、いえ。いくらなんでもそれは…」

「はは。砕けすぎかな? ま、由愛ちゃんの好きに呼んでくれていいよ?」

「はい…。じゃあ三宅さんで」

「んー、少し距離がある感じだけど、まあ、いいかぁ」

「すみません…」

「いいよ~」

 二人は笑いながら、そのまま映画館へと足を向けた。

 映画を見て、カフェで休んで、ウィンドウショッピングをして、ちょっとゲームセンターものぞいてみて…。

 思う存分遊んだ二人は、夕闇の中、再びあのベンチへと戻ってきていた。

 由愛の手にしている袋には、映画のパンフレットやグッズ、ゲームセンターでの戦利品であるぬいぐるみやお菓子がどっさり入っている。

「三宅さん、今日は…本当にありがとうございました」

「いやいや、俺のほうこそ。今日は由愛ちゃんに会えてラッキーだったよ」

 由愛はその言葉を聞くとふわりと笑って、ぎゅっと三宅の手を握りなおす。

 三宅はどきりとして、思わず由愛を凝視した。

「っえ…」

「三宅さんに会えなかったら、私きっと彼のことふっきれなかったと思う。私こそラッキーでした」

「そっか。少しでも元気になったなら良かった。やっぱり女の子は笑ってなくちゃね」

 由愛は、はい、と頷き、すっと手を離す。

 急に空気に触れた三宅の手が、物足りなさそうに一瞬ぴくりと動いた。が、それを隠すように彼はぎゅっと拳をつくり、ポケットに突っ込む。

「あ、そうだ。ねぇ由愛ちゃん、連絡先聞いてもいいかな」

 三宅はポケットに手を突っ込んだまま、少しだけ体をかがめ由愛の顔を覗き込む。笑顔を作ってはいたが、彼の心臓は早鐘を打ちすぎて煙が出そうだ。

 頼む、断らないでくれ。

 だが三宅の想いは届かなかった。

 由愛がふるふると首を横に振ったのだ。

「これ以上かまってもらってると、私勘違いしそうだから」

 今はそれに耐えられない、と彼女は哀しそうに笑う。

 君になら勘違いされてもいいよ、と言いかけて三宅は言葉をぐっと飲み込んだ。それは今言うべきことではないとその場の雰囲気が告げている気がして。

 少しだけ重苦しくなった空気を払うように、由愛が笑顔で口を開く。それはこの日で一番明るい声音で、三宅は何故かずきりと胸が痛んだ。

「今度会えた時、また私が泣いてたら誘ってください」

「オッケ…、分かった」

「あ…これ…本当にもらっていいんですか?」

 由愛は手に持っている袋を三宅に見せた。

 三宅は微笑んだまま、こくりと頷いた。

「もちろん」

「…三宅さん、何かほしいものないですか?」

「え…うーん、そうだな…」

 考えながら、再度袋の中を見た三宅は同じ携帯ストラップが二個あるのに気づいた。

 ゲームの景品にしては、少し豪華な、きらきら光るビーズでできているものだ。先の方に小さなクマがちょこんとついている。

「あ、これ。さっき、ウサギの取ろうとして、かぶっちゃったやつか」

「え…あ、そうですね」

「それじゃ二個あるし、これをもらおうかな。それとさっき一緒に撮ったプリクラ、一枚くれる?」

「はい。あ、でも…それだけでいいんですか?」

「うん、あとは由愛ちゃんが持ってなよ」

「じゃあ、そうさせてもらいます」

 ストラップとプリクラを手渡すと、由愛はにこりと笑った。

「じゃ、私行きますね」

「あ…、そこまで送るよ」

「大丈夫。三宅さん、本当にありがとう。楽しかったです」

「うん、俺も。…由愛ちゃん、またね」

「はーい」

 またね…か。

本当にまた逢えるのだろうか。

 三宅は一瞬寂しさを感じ、胸が痛くなった。おそらくその表情も少しだけ痛々しいものになっているに違いない。

 由愛はそれを知ってか知らずか、柔らかな笑顔だけを三宅に残して、その場を去って行った。

 辛いことをふっ切った女性の鮮やかな美しさをその背中に見たような気がして、三宅はその場を動くことができなかった。



 あれから少しの時間が過ぎた。

 三宅は相変わらず、女の子観察とナンパに余念がない。

変わったことと言えば、普段通りの生活をしているけれど、週に一回はあのベンチに座るようにしたことだ。

 待ち合わせも何もしていないあの子と、もしかしたらまた会えるかもしれないという期待だけを胸に。

「参ったなぁ…。これって一目ぼれってやつだよなぁ」

 やはりあの時無理にでも連絡先を聞いておくべきだったと三宅はため息をつく。

「せめて学校でも分かればなぁ」

 そうしたら、すぐにでも逢いに行くのに。

 決して狭くはないこの街で、約束もしていない子とまた巡り会うなんて至難の業だ。

 目を閉じれば、あの日のことが昨日のことのように思い出せるのに、今日も隣には彼女がいない…。

 無駄なこととは知りながら、三宅はあのベンチに座るのをやめなかった。この場所が唯一、彼女とつながっていられる場所だから。

 あの日のストラップをつけた携帯に目を落とし、ふっと息を吐く。その携帯には、少し色あせてしまったあの子のプリクラが貼ってあった。

「逢いたいのに逢えないなんて。なーんか七夕みたいだよなぁ」

 口に出してみて、三宅は自分に苦笑した。

 七夕? 七夕だって? 七夕とは全然違う。だって俺たちは織姫と彦星のように愛し合ってるわけでも逢う約束をしているわけでもない。ただ、偶然出会い、そのまま別れてしまった。そこいらの通りすがりの人と同じだ。

「由愛ちゃん、可愛かったよなぁ。また逢いたいや」

 風のように通り過ぎてしまった彼女を思い出していた三宅に、不意に後ろから声がかかった。

「あ、もしかして…三宅さん…?」

 聞き覚えのある声に、三宅が振り返ると、そこにはあの日の笑顔の彼女がいた。

「お、由愛ちゃん」

「あは、やっぱり三宅さんだ。お久しぶりです」

「はは、久しぶり。元気だった?」

「はい。…あ、急に声かけてごめんなさい。誰かと待ち合わせ…ですよね?」

「んー…いや? 待ち合わせじゃないよ」

 心臓が早鐘を打つのがわかる。

 やっと待ち人に逢えたのだ。

 平静を装って、君は、と問う三宅に、由愛は携帯をバッグにしまいながらぺろっと舌を出した。ちらりと見えたストラップは三宅のつけているものと同じ、あの日のクマがついているものだった。

「またドタキャンされたみたい」

「はは、またかぁ」

「今日は女の子の友達と待ち合わせてたんですけど、急に遊ぶのが無理って言い出して。何とかなるかもって昨日は言ってたんですけど、さっきやっぱ今日は無理って連絡あって、どうしようかなって思ってたんです」

 ドタキャンという言葉に表情が一瞬こわばったが、男との待ち合わせではなかったことに、三宅は心底ほっとした。

そして彼は、あのさ、とゆっくり切り出す。

「今日は由愛ちゃん泣いてないけど、誘ってもいいかな。俺、また由愛ちゃんと遊びたいんだ」

 由愛は少し考えるそぶりを見せて、そっと三宅の腕をとった。

「いいですよ、どこに行きますか」

「お、やった。ラッキー」

 今日こそは聞けるだろうか。彼女の連絡先を。

 いつともしれない頼りない逢瀬ではなく、逢いたい時にいつでも逢えるように。

 一度は逃がしたチャンスが、今再び手の中に転がり込んできたのだ。

 今度は離したくない。

 離しちゃいけない。

 彼女をエスコートしながら三宅はそんな思いを抱え、笑ってみせる。

「由愛ちゃんに会えるなんて、今日はラッキーデーだな。俺って、ほーんとツイてるよ」



 …はい、お帰りなさいませ。

 一の扉の向こうはいかがでしたか?

 先ほどよりはお顔の色も良くなったようですね?

 さぁ、申し訳ありませんが、現実に起こるかどうかと聞かれてもお答えしかねます。

 あくまでもこういう可能性があった、またはあるかもしれないという程度のものなのですよ。もし、それが過去のことであるならば、今そうなることはないですものね。

 ですが、可能性としてはゼロではないとだけ申し上げておきましょうか。

 もともと儚い夢物語です。

 その程度にとどめておくのがよろしいでしょうから。

 え?

 ええ、そうです。扉ごとにそれぞれ違う結末が待っていますよ。

 次の扉を開けたい?

 はい、どうぞ。構いません。

 それぞれの扉はあなた様だけに用意されたもの。ご自由にお開け下さって結構ですよ。

 お気に召さなければ、その後ろの扉から…。

 そうですか。承知しました。

 それでは二の扉の中へ、どうぞ。

 行ってらっしゃいませ。 よく晴れた日曜日。

三宅拓真が駅前を通りかかった時、一人の少女が視界に入ってきた。

 ぶらぶらと暇つぶしに歩いている彼の趣味はかわいい女の子を見ることと、ついでにナンパすること。

 もっとも彼のナンパが成功したことなんて、ほとんどない。

 鮮やかなオレンジ色の髪をしてそこそこ整った顔立ちの彼は、黙っていても周囲の目をひき、なぜだか目立ってしまうのにもかかわらず…だ。

 まあ、その整った容姿のせいもあってか、女の子にだらしないことを除けば、彼が通っている高校の女子の間での人気はかなり高い。残念なのは、彼自身がそれに気づいておらずナンパな態度を繰り返して、自らの首をきつくしめてしまっているということだった。

 そんな彼には、視界に入った女の子を観察するという癖がある。昔からなので条件反射なのだが、ついついじっと見てしまうのだ。

なので、ということもないが、すぐにその少女にも興味をひかれた。

「お、可愛い子はっけーん…て、あれ? 泣いてる?」

 女の子が大好きな三宅でなくても、道端で泣いてる少女は気にかかる。

 だが、気にはなっても、普通は知り合いでもない限り見て見ぬふりをするものだが、行動的な三宅は違った。そっと彼女に近づいてぽんぽんと肩をたたいてみたのだ。

 その少女はびくりと体を震わせ、涙にぬれた瞳で三宅を見つめる。その瞳は不意に現れた見知らぬ男子にびっくりしているようだ。

 三宅は一瞬、その瞳に吸い込まれるような感覚を覚える。

 早くなる鼓動を押さえながら、平静を装い、ゆっくりと口を開いた。

「君、大丈夫? どうかしたの?」

「え…あの…」

「いや、こんなとこで泣いてるからさ。何かあったのかなぁって」

 三宅の言葉に後押しされたように、少女の瞳には再び涙が溜まりこぼれていく。

 ぽろぽろと落ちるその涙は、予想はしていたものの少しの驚きを三宅に与えた。

 女の子ってこんな簡単に、知らない男の前で泣けるものなんだっけ…?

 ハンカチでそっと目元を抑えながら肩を震わせる少女をどうやって慰めようかと、三宅は考え、遠慮がちに手を伸ばして髪をなでてみた。

 それは明るく行動的な、といえば聞こえはいいが、悪くいえば能天気な三宅でも、あまりしない行動だ。

 いや、女友達が泣いていたらすることもあるが、初対面の女の子の体に触れることなどめったにない。

 女の子はこういうの嫌がるかなぁ。友達とか彼氏だったらいいんだろうけど、初対面だしな…。

 そう思う三宅の心配をよそに彼女は、意外にも思いもよらぬ行動に出た。

三宅にしがみついて泣き始めてしまったのだ。おそらくは、その三宅の行動で我慢していたものがせきを切ったようにあふれてきてしまったのだろう。もしかしたら相手が三宅でなくても、今の彼女ならばそうしたに違いないのかもしれなかった。

「おっと…」

 抱きつかれて、思わず彼女を抱きしめてしまった三宅は、軽く声をあげた。

彼女に声をかけた手前、こうなることはなんとなくわかっていたものの、周りの目が痛すぎる。

 ともかくこんなところで晒しものになる趣味は残念ながら彼にはなかった。

「君、大丈夫? どっか座ろうか?」

場所を移そうと三宅は少女の肩を抱き、近くのベンチに座らせて自分も隣に座る。そして彼女の肩を抱いたまま思う存分泣かせた。それが女の子の気持ちを落ち着かせる早道だと知っているのだ。

「…そっかぁ、彼氏にドタキャンされちゃったのか」

 なんとか涙の理由を聞き出した三宅は、ぽりぽりと自分の頬をかき、改めて少女の姿を見る。

 ふわりとした夏らしい白いワンピースと、それに合わせたのだろう、おろしたての真新しいミュールとバッグ。

もう終わりだと分かっているにしても、好きだった相手に変な格好は見せられないという彼女の心がそこにあった。

可愛いよな、こういう子って。断られるのを覚悟で言ってみようか…。

三宅は探るように彼女の顔を見た。

「んー…、君、由愛ちゃんだっけ?」

 さっきそれとなく聞きだした彼女の名前は、水月由愛。ここからは少し離れた高校に通う、自分よりも1つ年下の一年生らしい。学校などの詳しい名前や場所は教えてはくれなかったが、まあ初対面の相手なのだ。それも仕方ないだろう。

 由愛は相変わらずハンカチで目元をぬぐいながら、三宅の顔を見た。

「はい…?」

「デートの予定だったんでしょ? ならこのあと時間大丈夫だよね?」

「え…あ、はい。…あの、一応は…」

「じゃさ、俺とデートしない?」

 由愛の目が丸くなる。

「だめ?」

「え…と…」

 真意をつかみかねているのか由愛はじっと三宅の顔を見つめた。

「ね? 行こうよ」

 にこにこと誘う三宅に、由愛はつられて思わず、はいと頷きかけ、そんな自分におそらく由愛自身が一番驚いていた。

 そしてわずかな不安や、迷いが頭の片隅をよぎる。

普段なら由愛が初対面の男子についていくなんて絶対にしない行動だ。

けれど、待ち人は来ないし、目の前にいる彼の鮮やかなオレンジ色の髪が太陽みたいに見えて、まぶしく、でも暖かく感じたから今日は特別だと、自分に言い訳をしてみる。

だってお日様ってなんとなく安心するし、この人は嫌な感じはしないし、と心のうちで呟いてみた。

その瞬間、じわりと胸に熱いものがこみ上げてくる。

悲しみとも喜びとも違う、淡いあたたかさ。

その正体のきっかけが彼の笑顔であったことには間違いはない。

由愛は心を決め、ハンカチで目元をぬぐうと、三宅の顔をそっと覗きこんでみた。

「…はい、行きます」

「よし、えっと…どこに行くかなぁ…。どっか行きたいとこある?」

 照れたように視線を外しながら、それでも由愛の手をさりげなく握りしめ立ち上がる三宅に、彼女は遠慮がちに映画のチケットを二枚、バッグから取り出して見せた。

「あ、あの。これ…今日行くはずで…」

「そっか、じゃ、とりあえずそれに行こうか。チケットせっかくあるんだしさ」

「はい。あ、これ…ラブコメみたいなんですけど。こういうの平気ですか?」

「んー、オッケーオッケー。大丈夫だよ」

「よかった」

「それ今話題になってるやつ?」

「あ、あの…私、これ友達からもらっただけだから、内容よく知らなくて…。その…流行にも少し疎いので…」

「そうなんだ? ま、俺も映画なんて久々に見るし、気にしなくていいよ」

「す…すみませ…。あ、あの私まだ名前聞いてない…」

「おおっと。はは、ごめんごめん。君の名前だけ聞いて、自分のも言った気になってたよ。俺は三宅。三宅拓真っていうんだ。この近くの在間高校の二年だよ」

「三宅さん…。三宅先輩ってのは変ですよねぇ…」

「フレンドリーにたくちゃんとか、拓真さんとか。もういっそ、たくとかでもオッケーだよ?」

「い、いえ。いくらなんでもそれは…」

「はは。砕けすぎかな? ま、由愛ちゃんの好きに呼んでくれていいよ?」

「はい…。じゃあ三宅さんで」

「んー、少し距離がある感じだけど、まあ、いいかぁ」

「すみません…」

「いいよ~」

 二人は笑いながら、そのまま映画館へと足を向けた。

 映画を見て、カフェで休んで、ウィンドウショッピングをして、ちょっとゲームセンターものぞいてみて…。

 思う存分遊んだ二人は、夕闇の中、再びあのベンチへと戻ってきていた。

 由愛の手にしている袋には、映画のパンフレットやグッズ、ゲームセンターでの戦利品であるぬいぐるみやお菓子がどっさり入っている。

「三宅さん、今日は…本当にありがとうございました」

「いやいや、俺のほうこそ。今日は由愛ちゃんに会えてラッキーだったよ」

 由愛はその言葉を聞くとふわりと笑って、ぎゅっと三宅の手を握りなおす。

 三宅はどきりとして、思わず由愛を凝視した。

「っえ…」

「三宅さんに会えなかったら、私きっと彼のことふっきれなかったと思う。私こそラッキーでした」

「そっか。少しでも元気になったなら良かった。やっぱり女の子は笑ってなくちゃね」

 由愛は、はい、と頷き、すっと手を離す。

 急に空気に触れた三宅の手が、物足りなさそうに一瞬ぴくりと動いた。が、それを隠すように彼はぎゅっと拳をつくり、ポケットに突っ込む。

「あ、そうだ。ねぇ由愛ちゃん、連絡先聞いてもいいかな」

 三宅はポケットに手を突っ込んだまま、少しだけ体をかがめ由愛の顔を覗き込む。笑顔を作ってはいたが、彼の心臓は早鐘を打ちすぎて煙が出そうだ。

 頼む、断らないでくれ。

 だが三宅の想いは届かなかった。

 由愛がふるふると首を横に振ったのだ。

「これ以上かまってもらってると、私勘違いしそうだから」

 今はそれに耐えられない、と彼女は哀しそうに笑う。

 君になら勘違いされてもいいよ、と言いかけて三宅は言葉をぐっと飲み込んだ。それは今言うべきことではないとその場の雰囲気が告げている気がして。

 少しだけ重苦しくなった空気を払うように、由愛が笑顔で口を開く。それはこの日で一番明るい声音で、三宅は何故かずきりと胸が痛んだ。

「今度会えた時、また私が泣いてたら誘ってください」

「オッケ…、分かった」

「あ…これ…本当にもらっていいんですか?」

 由愛は手に持っている袋を三宅に見せた。

 三宅は微笑んだまま、こくりと頷いた。

「もちろん」

「…三宅さん、何かほしいものないですか?」

「え…うーん、そうだな…」

 考えながら、再度袋の中を見た三宅は同じ携帯ストラップが二個あるのに気づいた。

 ゲームの景品にしては、少し豪華な、きらきら光るビーズでできているものだ。先の方に小さなクマがちょこんとついている。

「あ、これ。さっき、ウサギの取ろうとして、かぶっちゃったやつか」

「え…あ、そうですね」

「それじゃ二個あるし、これをもらおうかな。それとさっき一緒に撮ったプリクラ、一枚くれる?」

「はい。あ、でも…それだけでいいんですか?」

「うん、あとは由愛ちゃんが持ってなよ」

「じゃあ、そうさせてもらいます」

 ストラップとプリクラを手渡すと、由愛はにこりと笑った。

「じゃ、私行きますね」

「あ…、そこまで送るよ」

「大丈夫。三宅さん、本当にありがとう。楽しかったです」

「うん、俺も。…由愛ちゃん、またね」

「はーい」

 またね…か。

本当にまた逢えるのだろうか。

 三宅は一瞬寂しさを感じ、胸が痛くなった。おそらくその表情も少しだけ痛々しいものになっているに違いない。

 由愛はそれを知ってか知らずか、柔らかな笑顔だけを三宅に残して、その場を去って行った。

 辛いことをふっ切った女性の鮮やかな美しさをその背中に見たような気がして、三宅はその場を動くことができなかった。



 あれから少しの時間が過ぎた。

 三宅は相変わらず、女の子観察とナンパに余念がない。

変わったことと言えば、普段通りの生活をしているけれど、週に一回はあのベンチに座るようにしたことだ。

 待ち合わせも何もしていないあの子と、もしかしたらまた会えるかもしれないという期待だけを胸に。

「参ったなぁ…。これって一目ぼれってやつだよなぁ」

 やはりあの時無理にでも連絡先を聞いておくべきだったと三宅はため息をつく。

「せめて学校でも分かればなぁ」

 そうしたら、すぐにでも逢いに行くのに。

 決して狭くはないこの街で、約束もしていない子とまた巡り会うなんて至難の業だ。

 目を閉じれば、あの日のことが昨日のことのように思い出せるのに、今日も隣には彼女がいない…。

 無駄なこととは知りながら、三宅はあのベンチに座るのをやめなかった。この場所が唯一、彼女とつながっていられる場所だから。

 あの日のストラップをつけた携帯に目を落とし、ふっと息を吐く。その携帯には、少し色あせてしまったあの子のプリクラが貼ってあった。

「逢いたいのに逢えないなんて。なーんか七夕みたいだよなぁ」

 口に出してみて、三宅は自分に苦笑した。

 七夕? 七夕だって? 七夕とは全然違う。だって俺たちは織姫と彦星のように愛し合ってるわけでも逢う約束をしているわけでもない。ただ、偶然出会い、そのまま別れてしまった。そこいらの通りすがりの人と同じだ。

「由愛ちゃん、可愛かったよなぁ。また逢いたいや」

 風のように通り過ぎてしまった彼女を思い出していた三宅に、不意に後ろから声がかかった。

「あ、もしかして…三宅さん…?」

 聞き覚えのある声に、三宅が振り返ると、そこにはあの日の笑顔の彼女がいた。

「お、由愛ちゃん」

「あは、やっぱり三宅さんだ。お久しぶりです」

「はは、久しぶり。元気だった?」

「はい。…あ、急に声かけてごめんなさい。誰かと待ち合わせ…ですよね?」

「んー…いや? 待ち合わせじゃないよ」

 心臓が早鐘を打つのがわかる。

 やっと待ち人に逢えたのだ。

 平静を装って、君は、と問う三宅に、由愛は携帯をバッグにしまいながらぺろっと舌を出した。ちらりと見えたストラップは三宅のつけているものと同じ、あの日のクマがついているものだった。

「またドタキャンされたみたい」

「はは、またかぁ」

「今日は女の子の友達と待ち合わせてたんですけど、急に遊ぶのが無理って言い出して。何とかなるかもって昨日は言ってたんですけど、さっきやっぱ今日は無理って連絡あって、どうしようかなって思ってたんです」

 ドタキャンという言葉に表情が一瞬こわばったが、男との待ち合わせではなかったことに、三宅は心底ほっとした。

そして彼は、あのさ、とゆっくり切り出す。

「今日は由愛ちゃん泣いてないけど、誘ってもいいかな。俺、また由愛ちゃんと遊びたいんだ」

 由愛は少し考えるそぶりを見せて、そっと三宅の腕をとった。

「いいですよ、どこに行きますか」

「お、やった。ラッキー」

 今日こそは聞けるだろうか。彼女の連絡先を。

 いつともしれない頼りない逢瀬ではなく、逢いたい時にいつでも逢えるように。

 一度は逃がしたチャンスが、今再び手の中に転がり込んできたのだ。

 今度は離したくない。

 離しちゃいけない。

 彼女をエスコートしながら三宅はそんな思いを抱え、笑ってみせる。

「由愛ちゃんに会えるなんて、今日はラッキーデーだな。俺って、ほーんとツイてるよ」



 …はい、お帰りなさいませ。

 一の扉の向こうはいかがでしたか?

 先ほどよりはお顔の色も良くなったようですね?

 さぁ、申し訳ありませんが、現実に起こるかどうかと聞かれてもお答えしかねます。

 あくまでもこういう可能性があった、またはあるかもしれないという程度のものなのですよ。もし、それが過去のことであるならば、今そうなることはないですものね。

 ですが、可能性としてはゼロではないとだけ申し上げておきましょうか。

 もともと儚い夢物語です。

 その程度にとどめておくのがよろしいでしょうから。

 え?

 ええ、そうです。扉ごとにそれぞれ違う結末が待っていますよ。

 次の扉を開けたい?

 はい、どうぞ。構いません。

 それぞれの扉はあなた様だけに用意されたもの。ご自由にお開け下さって結構ですよ。

 お気に召さなければ、その後ろの扉から…。

 そうですか。承知しました。

 それでは二の扉の中へ、どうぞ。

 行ってらっしゃいませ。

 良い活劇でありますように……。





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