書架の精から、新しき君へ

八百十三

書架の精から、新しき君へ

 東京都杉並区に位置する都立豊玉高校は、歴史の古い学校だ。

 校舎や設備は建て替えられて新しくなっており、校風も自由で明るい学校だが、図書館の蔵書や保存標本には古いものが多い。

 中には百年以上前に発行された木版本なんかまで置いてある、という話だ。

 そんな学校だから図書室や標本についての不思議な話や噂は多い。

 曰く、「標本には異世界の魔法がかけられていて、深夜になると消える」だとか「図書室には妖精が住み着いていて、歴史のある古い本を守っている」だとか、だ。

 聞くところによると異世界から留学生をバンバン受け入れている学校で、校内を普通に人間じゃない者が歩いているそうなので、常日頃から異世界やら魔法やらと繋がっていてもおかしくはないのだが、やはりどこか「ただの根も葉もない噂だろう」と懐疑的に見る目はある。

 そんな学校に、今春から私、富田とみた 詩央しおは入学する。

 そして今日はその入学当日。入学式の日だ。




「えー、新入生の皆さん、改めまして入学おめでとうございます。これから三年間、学校で様々なことを学び、色々な人と触れ合って仲良くなってください。

 ガイダンスが終わったので、後は自由行動です。部活動を見るもよし、学内を見るもよし。好きに過ごしてください……あぁでも、高校生になったからって羽目を外してはダメですよ?」


 私の配属された1年D組で、入学ガイダンスを終えて。

 担任の古坂こさか先生は教室内をぐるりと見渡した。そのまま出席番号1番の朝生あそうさんを手で促す。


「起立」

「礼」

「「ありがとうございました」」


 一斉に立ち上がり、朝生さんの号令で先生へと礼。そして一斉に教室内が騒がしくなった。


「サッカー部の練習見に行こうぜ!」

「2年にいる猫の先輩かっこよかったよね、見に行こうよ!」

「あー腹減った、学食行ってメシ食おうぜ」


 男子も女子も、数人のグループを作ってはどこに行こう、何をしよう、と沸き立ちながら教室を出ていく。そして、人付き合いが苦手で距離を取られやすい私は、大概そういうグループからあぶれて、一人で行動することになるタイプだ。

 教室内の喧騒に耳を貸さないようにして、一人ゆっくりと席を立つと。


「富田さん」

「朝生さん、何?」


 先程先生の指示で号令をかけた朝生さんが、立ち上がった私に声をかけてきた。なんだろう。

 見れば、どうやら彼女もグループでまとまっておらず一人の様子だ……もしかして、同類か。見た感じ大人しそうで真面目そうな印象だし、そうなのかもしれない。

 朝生さんは顔の割に小さな目をさらに細めて、私に微笑みかけつつ言う。


「これから図書室を見に行こうと思うの。よかったら富田さんもどうかな」

「へぇ、奇遇ね。私も図書室でゆっくりしようと思ってたの、教室煩いし」


 予想外に目的地も一緒だった。これはいよいよ同類か。

 かくして私と朝生さんは二人して、校舎の1階にあるという図書室へと向かっていった。




「富田さんも、ラノベとか読むんだ」

「まぁね、TRPGのリプレイなんかにも手を付けてるし。色々読むわよ」

「あんまり周りで読んでいるって人いなかったから、ちょっと嬉しいな」


 廊下を歩きながら話していると、朝生さんと私は意外と本の趣味も似通っていた。

 異世界転生などにも手を出している身としては、こういう形で同好の士と出逢えたのはなかなかにラッキーだ。入学して早々、幸先のいい出来事である。

 話しながらも私の視線はちらちらと、廊下ですれ違う別の生徒へと向けられる。

 さっきは小さな妖精がすれ違うように飛んで行った。少し前は犬の頭をした男子学生が他の生徒と談笑しているのを見た。窓の外を見ると背中から翼を生やした生徒が豪快なダンクシュートを決めている。

 話に聞いてはいたが、異世界人、予想以上に多い。


「こんなに人間以外の種族の生徒がいると、本当にファンタジー世界に迷い込んだみたいね」

「複数の異世界との交換留学制度があるそうね。昨年には異世界から亡命者を受け入れたし、そのせいもあるんじゃないかしら」


 歩きながら、朝生さんは私ににこりと微笑みかけた。私の目元も僅かに緩む。

 この学校なら、高校生活を彩る不思議な体験が出来るかもしれない、そう思いながら足を止めたのは、目的の図書室の扉の前だ。


「ここね」

「ええ」


 二人顔を見合わせ、一緒に図書室の扉を開けて一歩踏み込む。

 と。


「その見慣れぬオーラ……なるほど新入生か。今日は入学式だったな」

「えっ?」

「んっ?」


 どこからともなく、張りのいい明瞭なアルトボイスが耳に聞こえてきた。

 隣で声を上げた朝生さんの反応を見るに、彼女の耳にも届いているのだろう。

 きょろきょろと辺りを見回すが、声の主らしき人影はない。気配もない。

 司書の先生がカウンターの向こうでうつらうつらと舟を漕いでいるが、お祖母ちゃん先生だ。あんないい声は出せないだろう。

 私と朝生さんが二人して、図書室の入り口で固まっていると。


「そんな入り口で硬直しているな、他の生徒が入ってくるのに邪魔になるだろうが」

「あっ……」

「す……すみません」


 先程の声が、また聞こえてきた。やはり聞き間違いではない。

 確かに、入り口で留まっていては他の生徒の邪魔になる。いるかどうかは置いておくとして。

 思わず謝りながらそそくさと中に入った私と朝生さん。それを見てか見ずにか、謎の声は満足そうに喉を鳴らして笑った。


「くくくっ、よきよき。素直に人の忠告を聞き入れるのはよいことだ。

 ともあれ、入学おめでとう、新しき君達よ。豊玉の書架を護るものとして、俺は心から歓迎しよう」

「い、一体どこから……?」

「……あの、富田さん?」


 きょろきょろと辺りを見回す私だが、隣に立つ朝生さんに声をかけられそちらを向くと、彼女はただ一点を見つめていた、というか、見上げていた。

 見ている先は、私たちが入ってきた扉の上、高いところだ。


「朝生さん?どうし……」

「……あれ」


 朝生さんが恐る恐る、震えながらそれ・・を指さす。

 そこには。


「『あれ』とはなんだ、言うに事欠いて。俺のこのビューティフルな肢体を前にして、もっと他に言うことがあるだろう」


 指をさされてぷりぷりと怒りながら宙に浮かぶ、小さな男性・・が一人いるのだった。

 男性は宙を滑るように私たちの前まで降りてくると、びしりと私の顔にその小さな指を突きつけてくる。


「というか新入生の君達、入学式のその日から図書室なんて来るもんじゃないだろうが。今日は一日休み・・なんだぞ、俺達も」

「休み……?」

「というかそもそも、貴方はいったい……」


 目を白黒させながら私と朝生さんが男性に問いかけると、彼は私に向けた右手を胸に置き、分かりやすいほどにふんぞり返った。


「よくぞ聞いてくれた。俺は御巳白おみしろ、この豊玉高等学校の図書室において、居室の管理と保護を行っている妖精・・だ」

「「妖精……」」


 思わず声を上げた私の言葉と、朝生さんの言葉が重なった。

 図書室の妖精、本当にいたのか。

 というかそんな存在が「入学式の日くらい図書室に来るな」なんて言ってしまっていいのだろうか。仮にも図書室を守護する存在なのに。

 そんな私の心境なんて気にすることもなく、御巳白は自慢げに両腕を広げて話している。


「この図書室には江戸や明治の頃に刊行された歴史ある書物も多く所蔵されている。

 それらの書物は普通に管理しているのではすぐに朽ちて駄目になってしまうからな、それらを妖精の術の力で保護し、破損していたら修復を行うのが、俺達図書室付き妖精の仕事だ。

 ついでに新しい本にも術をかけて、落書きやら破損やらがされないように守っているってわけだ」

「本当だったんですね、「図書室には妖精がいて、古い本を守っている」って噂……」


 御巳白の話に、はぁーっと息を吐きながら朝生さんが言葉を漏らした。

 逆に私は同じく口を開きながらも二の句が継げないでいる。こんな風に普通に妖精がいて、何か分からないけど術を使って仕事をしているなんて、まるっきりファンタジーのそれではないか。いつから地球はファンタジー世界になった。

 呆気に取られた表情の私たち二人に、むくれっつらを向けてくる御巳白。だがその目元に不満を残したまま、ぐっと口角を持ち上げた。


「ま、来たんならいいさ。図書室の案内くらいはしてやるよ。

 改めて、豊玉高等学校への入学、並びによそでは決して経験できない不思議な三年間・・・・・・・の獲得おめでとう、新入生。

 学園生活を満喫するといい、きっと忘れられない三年間になるぞ」


 くるりと身を返して飛んでいく御巳白の背中を追おうとするが、何となしに隣にいる朝生さんに視線を向ける。

 すると朝生さんも同じタイミングで私を見たらしく、二人の視線がぶつかる。

 突然見つめ合う形になった私たちは、一緒に目を見開いて、一緒にくすりと笑った。


「……いこうか、朝生さん」

「そうね、富田さん」


 そうして私達は御巳白の待ち構える図書室の、書棚の立ち並ぶ方へと足を踏み出した。

 豊玉高校での三年間は、彼の言った通り――確かに忘れられない時間になりそうだ。

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