俺が猫を飼ったわけ
漆目人鳥
第1話 俺が猫を飼ったわけ
8年前のちょうど今頃。
SNSに流れてきたツイートがキッカケだった。
その時俺は、神田明神の参道沿いにある蕎麦屋のカウンターの隅っこで、
まだ昼前だというのに、板わさと乾き物を肴に冷酒をビールグラスであおっていた。
その日、俺の目的地は大手町にある将門公の首塚だった。
首塚の噂は色々聞いていたが、何処にあるのか?なんてことはそれまで全く気にしたことが無かったが。
その頃、意外と近場で交通の便も良い場所にあるのだと言う事を知って、早速ふらりと行ってみる事にしたのだった。
ホントにこんな所にあるのかよ、と思われるほどの超高層ビルの林立するオフィス街のまさにど真ん中。
皇居にも近い一画。
一瞬、首塚かと思われる大きな碑にすっぽりと隠れ、たくさんの献花と立ちこめる線香の煙に囲まれるようにしてそれは鎮座していた。
今や、有名すぎるくらいに有名、な数々のオカルトじみた情報の刷り込みのせいかも知れないが、その一画だけ、回りの風景に不釣り合いな木々が茂る首塚の境内は、街中の騒音を閉め出すように荘厳で、凛とした空気に満たされていた。
厳粛な気分でお参りを済ませる。
なにげに参詣人が多いのにも驚いた。
時間的なものもあったのだろうが、次から次へという調子で、明らかに、俺のような観光客とは違う雰囲気の参詣人がお参りをしていく。
まあ、つまり、それだけ何かあると言う事なのだろう。
さて、当初の目的は果たせた。
しかし、近くを散策しようにも、回りは嫌気がさすほどのこってりとしたオフィス街だ。
あと、有るのは皇居。
さすがに首塚饅頭や、首塚煎餅を売る店はないにしても、何か心情に触れる物があるだろうと思っていたのだが、積み木を並べたような町並み以外は何も無かった。
あと、皇居。
(たぶん大切なことなので2度言った)
皇居は、中に入れるわけでも無さそうだし、周回していると思われる歩道には、ランニングする集団が我が物顔でごった返している。
回りをぐるりとぶらぶらするには少々キケンだし、疎ましい。
で、ひとつの考えが浮かんだ。
将門公の首塚を参詣したならば、次は当然、将門公自身を奉っている神田明神にお参りするべきではないだろうか?と。
スマホにて検索してみると、今いる場所から徒歩で20分程で着くことが解った。
散歩の行路としては丁度いいと思う。
早速、スマホの情報を頼りに神保町を脱け、JR御茶ノ水駅水道橋口へと進んだ。
古書店街として認識していた神保町に美味しそうなカレー店が固まっていたり、駿河台下の交差点からJR御茶ノ水駅までの大通り沿いが何故か楽器店街になっていたりと、今度は神保町からこの辺りまでの町歩きもイイかもしれないなぁ。
何てことを考えながら、おのぼりさんしていたら、案外あっという間に神田明神に着いてしまった。
りっぱな権現造の本殿にお参りした後、境内を回って歩いていたら、銭形平次の碑なんていうのまであった。
ああ、そういえば平次は神田明神下台所町の長屋に住んでいたって設定だったなあ。
洒落っ気があっていいけど、今の人達でどれほどの人が銭形平次を知っているのだろう。
架空の人物だから学校じゃ習わ無いだろうしなぁ、銭形平次。
切ない溝を感じるなぁ。
少し離れた所に『男坂』なんていう、物凄く長くて急な階段があった。
まあ、こういうのはどこにでもよくあるシチュエーションなのだろうけど。
その階段を駆け上がって、動画撮ったり、写真撮ったりしている若い男性がちらほらといるのを見かけた。
何か、斬新な願掛けでも行っているのだろうか?
だとしたら、これは相当な荒行だ。
気になって、荒行を終えたばかりの痩せぎすな若者さんに尋ねてみる。
最初は、声をかけられて驚いている様子だった若者は、しかしすぐに微笑みながら答えてくれた。
なにやら人気アニメのヒロインの実家が神田明神をモデルにしており、この男坂もアニメの中に登場するらしい。
ここを駆け上がったりという行為もその設定上にあるらしく、つまり、この若者たちはその作品をオマージュしていたのだった。
「ここは聖地なんですよ!」
眼鏡の奥からにこやかにそう答える若者さんに、私は苦笑いしながら(いや、神社だろ)と心の中で突っ込んでいた。
しかしまあ、なるほど大したものだよくできている。
若者さんにお礼を言って別れ、ふと、考えた。
数十年も前に碑を作ってもらうほど庶民から愛された、架空のヒーローが人を引き寄せていた時代が終わった後に、今度は、アニメという新しい媒体の架空のヒロインが次代の人々を引き寄せている。
時代の移り変わりと共に、人の想いも移り変わりはすれど、それでも人としての本質は変わらず繋がって行くものなのだなぁ。
溝なんか無かった。
安っぽいかもしれなかったが、そんな事を考えてちょっとばかりうれしくなった。
俺はやっぱり単純なのだろう。
ああ、よく解っている。
気が付くと俺は、随神門を出てすぐの場所に突っ立っていた。
随神門の前で振り返り、神田明神の本殿に向かって深々と頭を下げる。
なかなか楽しい町歩きだ。
これもきっと、首塚と神田明神の……将門公の思し召しという奴だろう。
そんな事を戯れに思ってみた。
そう、確かに俺はその時、神様に対して戯れた。
随神門から参道を望む。
寺社巡礼が済んだのだから、勿論、次は精進落としというのが相場だろう。
俺は参道沿いの蕎麦屋に飛び込んだ。
机とカウンター席に小上がりまである割と広い店内。
まだ昼には少し早いせいか、ガラガラで、好きな席に座っていいと言われたのでカウンターの隅に陣取る。
まあ、すっかり昼呑みの態勢完了といったところだ。
酒飲みなら一度は憧れる、蕎麦呑みが出来るとは、いよいよ今日はいい旅回になりそうだ。
そんな予感がした。
メニューを見てみると、蕎麦前も中々充実している。
早速、ホールに居た和服の似合うお姉さんに声をかけ、ニシンの煮付けと、だし巻き卵を注文した。
すると、お姉さんから当て外れな答えが返ってくる。
「お昼は基本おそば単品か、お食事のセットのみなんですよ、ニシンとかは夜の部のお料理なんです」
つまり、此処に書いてある、さつま揚げ、門前納豆の海苔包み、 ざる豆腐、栃尾揚げ、そばがきコロッケ等々は、日が沈まなくては注文出来ない絵に描いた餅という訳なんだな?
ここまでイイ感じで廻ってきたのに、何ともがっかりな回答じゃないか。
お酒と、板わさや乾き物なら出せるというので、神社の参道で呑むにしては寂しい結果となって仕舞ったが、これも巡り合わせとあきらめて、お酒を一本と板わさ、えいひれを頼んでヨシとした。
やって来た板わさとエイヒレをつまみに、徳利の日本酒を手酌し、呑みを開始する。
始めてすぐに、上品なお猪口では酒のあおり甲斐が無いという理由から、器をビールグラスに替えてもらった。
うん。首塚から神社へとお参り回り、今回ちょっと手違いはがあったが、これはコレで癖になりそうだ。
昼呑みなんて罰当たりで怠惰なことをやっていたとしても、神様回りでなら、なんとなく勘弁して貰えそうな気がするじゃ無かろうか?
少なくても、そう悪くなることは無かろうよ。
ひよっとして、ひょっとすれば、何か御利益にあやかれるかもしれないじゃないか。
そんなに都合のに良いことなどすぐに起こったりはしないだろうが。
そんなことを考え、本日ちょこちょこと、スマホで撮影した画像をつまみの足しに眺める。
やはり、随神門は素晴らしい。
私のヘボな腕前でも絵はがきのような撮れ様だ。
早速、SNSに投稿してみる。
見る間に2つのいいねが付いた。
ちょっと良い気分。
それから暫く、酒を呑みながらSNSを眺めた。
良い天気と言う事もあり、あちこちの観光地からの知らせが流れていた。
ああ、今度は行ってみたいなと言う記事もいつくも見受けられる。
そんなことを思いながら、2枚目の板わさをほうばり、手酌で銚子から注いだコップ酒に口をつけたとき、
俺とアイツとの運命のツイートが流れてきたのだ。
『猫拾っちゃった!』里親募集【拡散希望】
昨日からアパートの回りで、雨の中猫が鳴いていたのですが、その猫と思われる子猫が、今日アパートの6階まで上がって来て通路で鳴いていた所を発見し保護しました!
ツイートには、やせ細ったシロサバ模様の子猫の写真が添付されていた。
それで、保護したはいいが保護主のアパート(捨てられていたアパート)はペット禁止であり、
しかも保護主はアトピーのため猫の世話が長くは出来ない。
とのことだった。
なので、
【至急、なるべく速やかに、里親募集】
それが、ツイートの概要だった。
あっという間に『いいね』と『RT』の数が増えていく。
見る間に目の前のカウンターが動くのだ。
こんな様子をライブで見たのは初めてだった。
50を超え100を超えた。
自分がいつも流しているツイートには、たいして反応が付か無いので気が付かなかったが、
俺が軽い気持ちで垂れ流していた散歩噺や画像の向こう側には、こんなたくさんの人達がいたのだと知った。
この数字のひとつひとつは、当然個人の人格を持った人間であり、たとえ反応が無くとも、
何らかの感情、悪意や善意を俺の記事に抱いていたのかもしれない。
「意外に怖いシステムだなぁ。これ」
あらためて、SNSの基盤はネットなのだと身に染みて、思わず口に出していた。
それにしても。
『いいね』と『RT』の数はまだまだ止まる様子がない。
つまり、これは100人以上の人がこの記事を見て、感じていて、
これからもっとたくさんの人がこの記事を共有していくだろうという事。
『いいね』の数はもう120を超えた。
これならすぐに飼い主が見つかることだろう。
いや、或いはもうとっくに決まっていて、今頃はリプライで「おめでとう」のお祭り騒ぎが起こっているかも知れない。
ほほえましい気持ちで、50ばかり付いたリプを覗いてみる。
ところが、リプの一部を読んでみて、俺は固まっていた。
『いいね』が120を超え、リプが50を超えてもなお、里親は決まらないのである。
返信の内容は当然『私が飼います』『ぜひ飼わせてください』『すぐに迎えに行きます』
という言葉が飛び交っていると思っていた。
だが、違うのだ。
『かわいいですね』『私も5年前に子猫保護しました』『しっかり!』『ネコ美人さん!』『頑張って‼』『いい里親さんがみつかりますように』『捨てた人ひどい』『私は犬を拾ったことありまーす』『うちにいる猫に似てる』『かわいいネコの写真を貼るりぷはここですか?(写真付き)』
無責任でどうでもいい言葉。だらけ。
いや、間違ってはいない、いないのだが、そんな事を返信してどうする。
何より、100人以上が『いいね』してるのに、誰一人として飼いますと名乗り出る人がいないなんて状況は、少し異常じゃないか?
火事場に100人以上の見物人が集まっているのに、誰も119番しない、有名な例の事案状態になっていないか?
俺の目の前には異様な光景が展開している。
刻まれ続けるカウンターの数字。
集まるのは、拾い主への労いと、自分語りのメッセージ。
額に変な汗が流れ始めた。
何かが違う、だが何も間違っては居ない。
猫なんて、そうそう飼える物じゃない。
無責任だろうが、興味本位だろうが、拡散させれば里親が見つかる確率が増える。
拡散させなくては何も始まらないのはよく理解できる。
だが、なんだ、何かが腑に落ちない。
だってもう、目の前のカウンターは『いいね』も『RT』も200を超えようとしているんだぞ?
大体、リプしてる奴らは何をリプしてるんだ?
応援?労い?だって、自分語りが多いぞ?
ただ『がんばって』と言ってみたいだけなんじゃないのか?
或いは、ツイートした主を応援するオレかっこいいの世界か?
いや、いやいやいやいや。
俺の頭の中では、クトゥルフ神話の神を讃える言葉みたいなのが舞って、次第に怒りがこみ上げてきた。
いあ、いあいあいあいあ。
何に対して?
解らない。
何も間違っていない気がした。
だが、
何か間違っているような気がした。
解らない。
と、その時。
俺は或る事に気づいた。
或いは、気づきたく無くて、気づくのが怖くて、怒りで自分を騙そうとしていたのかも知れなかったのではないか?
増え続ける『いいね』と『RT』、意味のないリプ。
傍観者で有るという意味では、俺もまさにその一部ではないか。
気が付いた時、俺はリプライを打っていた。
「俺、もらうわ」
数秒後。
なんか、一仕事終えたなって感じでスマホをカウンターの上に置き、
冷や酒の入ったコップをあおる。
きっとそんな日だったのだと納得する。
俺にとっては、降って湧いたねこ日和り。
お迎えするにはちょうどいい。
すぐに拾い主から『ありがとうございます』と感謝のリプが貼られた。
お互いフォローし合ってMDで連絡を取り合う。
そして、落ち着きを取り戻そうとしていた俺の心臓は、相手の住所を聞いて再びざわめき、青ざめた。
長崎。
俺、千葉に住んでるんだけど。
これは、神様に戯れた俺への罰か?
それとも、信心深くも首塚と神社を巡礼した俺へのご褒美か?
何にしてみてもすべては神の思し召しなのだろう。
それしか有るまい。
ならば、行くしか有るまいな。
ああ、行ってやろうじゃないか!
たかだか往復2,000キロだろうよ!
長崎で待ってろ、迷い猫!
この後、片道1,000㎞のドタバタ道中を経て、まるで、
そのまま『つむじ』と命名され、俺との日々を不満げに過ごすことになるのだが……。
それはまた、いつかどこかで。
俺が猫を飼ったわけ 漆目人鳥 @naname
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