三周年目のレストラン

弐刀堕楽

三周年目のレストラン

「ねえ見て、あなた。『ありがとう、三周年』ですって」

「へえ。なんだか運命的なものを感じるね」


 妻とは結婚してもう三年になる。今日は三回目の結婚記念日だった。つつましい家庭だったが、こういう日くらいはなにか外で美味いものでも食べようかと、私たちは夕方の繁華街をぶらぶらと散歩していた。

 そこで、とある店を見つけた。せまい路地の奥まった所に一軒のレストランがあった。

 店の名前は『アブラハム』。入り口のわきには、小さなチョークボードの看板がちょこんと置かれている。そこにはカラフルな文字で『ありがとう、三周年』と書かれていた。


「見た感じ、なかなか素敵じゃない。でもこんな所にレストランなんてあったかしら?」

「場所が場所だからね。きっと今まで気がつかなかっただけだろう。もしかすると、知る人ぞ知る地元の名店なのかもしれないよ。入ってみるかい?」

「そうねえ。でもこのお店、メニューがないわね。得体の知れない料理が出てきたら嫌だわ」


 妻の言うとおり、店の外にはメニューボードらしきものはいっさい見当たらなかった。チョークボードにも、とくになにも書いていない。店の売りとなる定番メニューはおろか、出てくる料理の種類も不明だった。

 果たして、ここは本当にレストランなのだろうか?――そう考えると、私は逆に興味をそそられた。


「なあ、ちょっと入ってみようよ。なにか面白い物が食べられるかもしれないぞ」

「あたしは普通の料理がいいんだけど……」

「大丈夫だって。店の看板をよく見てごらんよ」

「それがどうしたっていうの?」

「店の名前はアブラハムだ。だから、たぶんここはハム料理の専門店だろうね。きっとあぶらの乗ったハムが出てくるに違いない」

「やだそれ。親父ギャグじゃない。あなたも、もうすっかりおじさんね。でもいいわ。入ってみましょう。その代わり、変な料理が出てきたら全部あなたが食べてよね」

「もちろんだとも。さあ行こう」


 店の扉を開けるとドアベルの涼しい音がした。店内は思っていたよりも広く、多くの客人でにぎわっていた。店員に案内されてテーブル席につくと、妻が声をひそめて言った。


「ねえ、あなた。気がついた?」

「なにがだい?」

「このお店、変わった格好をしたお客さんが結構いるみたいよ」


 店内をぐるりと見回すと、たしかに変な服装をした客が目についた。かれらはフード付きのマントを羽織はおっているグループと、ごてごての飾りのついたレザージャケットを着ているグループに分かれているようだった。


「なんだかおかしくない?」

「べつに」私は興味がないというふうに答えた。「たぶん近所でコスプレのイベントでもやってたんだろうね」

「それはどうかしら。魔法使いとパンク・ファッションの人間が一緒に集まるイベントなんて想像できる?」

「さあね。まあ、どうでもいいさ。それよりメニューを見てみようよ。なにか面白い名物料理が見つかるかもしれないよ。どれどれ……」

「あたしはあの人たちが気になってそれどころじゃないわ。コスプレって皆が皆、あそこまで同じ服を着るものなのかしら? もっと個性を大切にする文化だと思ってたけど……」

「こらこら。あんまりジロジロ見たら失礼だよ。それに今日は大切な結婚記念日じゃないか。人は人、僕たちは僕たち。それでいいだろう?」

「……ええ、そうよね。ごめんなさい。あたしどうかしてたわ」


 気を取り直してメニューを見る。なるほど、洋食の店か。飛び抜けて面白いメニューはないものの、値段はお手頃だった。妻いわく一般的な相場よりもだいぶ安い店らしい。そこに一抹いちまつの不安を覚えるも、とりあえず二人でコース料理を選択した。

 杞憂きゆうだった。スープもワインも魚も肉料理もすべてが完璧に思えるほどに美味しかった。私はその味に舌鼓したづつみを打ちつつ、夢中で頬張ほおばっていたのだが、ふと妻の顔を見ると、彼女はなんだかソワソワとしている。


「どうした? お手洗いにでも行きたいのかい?」

「違うのよ。なんていうか……怒らないで聞いてね。あたしついつい気になって、周りの人のテーブルをちょっとのぞいちゃったの。そしたら――」

「また人のことを気にしていたのか」

「いいから黙って聞いて。とにかく周りの人のテーブルを見ちゃったの。そしたら、あたしたちよりも前に来ていたお客さんの席に、まだ料理が来てなかったのよ」

「へえ。きっとその人は、かなり時間のかかる料理を頼んだのだろうね」

「だけど、一人だけじゃないのよ。あの席の人も、それからあっちの席の人も……。あたしたちより前に来ていたはずなのに、まだなにも食べてないみたいなの。しかも全員コスプレをしたお客さんで――いえ、あそこの人はワインを飲んでるわね。でも、これってちょっとおかしくない?」

「べつにおかしくないね。他に料理を食べてる人も大勢いる。だからきっと、かれらは調理に時間のかかるものを……いや、待てよ」


 そこで、私はある重大なことに気がついた。


「ああ、しまった!」

「どうしたの?」

「表のボードに『ありがとう、三周年』って書いてあったじゃないか。きっとこのお店の開店三周年記念に、なにか特別な料理が用意してあったんだよ。かれらはそれを待っているんだ」

「そうなの? でもメニューにはそんなこと一言も書いてなかったけど」

「ってことは、裏メニューだな。常連客だけが注文できる料理があるのかもしれない。一見いちげんさんには内緒ってわけか。コスプレもきっと常連のサインだな。なんだかそう思うと急に腹が立ってきたぞ。飯もマズく感じる」

「さっきまで、美味い美味いってあんなに言ってたのに」そういって妻は笑った。「でも謎が解けてよかったわ。ありがとう。あたしは裏メニューにはぜんぜん興味ないから、これでようやく食事に集中できるわね」

「うーむ、ここにきて立場が逆転か」


 こんなふうにバカ話をしながら、私たちは食事を楽しんだ。メイン料理を食べ終えて、最後にデザートが出てくるのを待っていたとき、急に辺りがざわざわと騒がしくなった。何事だろう?

 見ると、店の奥から店主らしき人物がマイクを持って出てきた。浅黒い肌に鷲鼻わしばなの男性だった。彫りの深い顔をしている。どうやらかれは外国人のようだった。


「一曲歌でも披露してくれるんじゃないかしら」

「ああ。だけど下手な歌声のせいで、さっき食べたものを戻さないといいけどね」

「ふふっ。やめてよ。笑わせないで」

「案外それが目的だったりしてな。食ったものを全部吐かせて、もう一度注文させるんだ。そうなったら僕たちは、本日二度目のコース料理に突入だな」

「うふふっ。やめてったら」


 ハウリング音。マイクにスイッチが入った。いよいよだ。


「えー、お集まりの皆さま。本日はご来店いただきまして誠にありがとうございます。わたくしがこの店の主人のアブラハムです」


 どうやら店の名前は、店主の本名から取ったものらしい。脂の乗ったハムじゃなくて残念ね、と妻が私をひじで小突いた。


「今日は当店にとって特別な日です。ここ、レストラン『アブラハム』は本日で創業三周年を迎えます。

 わたくし個人が思うに、三年という歳月は非常に不思議な数字です。長くもあり、また短くもあります。絶妙な長さです。

 中学生が高校生になり、高校生が大学生になる。社会人は入社して三年経つと新人を卒業し、寿司職人の弟子は飯炊きをやめてようやく寿司をにぎり始める。また結婚生活も三年目が危ない、なんて話を聞いたことがあります。お店の経営ももしかしたらそうかもしれません。石の上にも三年、という有名なことわざもありますね。桃栗三年柿八年、なんて言葉もあります。

 このように三年という数字は、我々の人生にとって何かひとつの大きな壁を乗り越えるのに必要な期間を表した数字なのかもしれません。当店が無事にその壁を乗り越えられたのは、ひとえに皆さまのおかげです。本当に感謝しております」


 万雷ばんらいの拍手。

 私は店主のスピーチを聞きながら、思わず妻の手をぎゅっとにぎりしめていた。彼女の顔を見ると、自分と同じことを考えているのがわかった。普段は気恥ずかしくてあまり口には出さないが、お互いに感謝していた。私たち夫婦は三年という壁を協力して乗り越えたのだ。

 今日はこの店に来て本当によかったわ、と妻が私にささやいた。そのとおりだ。私もそっとうなずいた。その間にも店主のスピーチは続いていた。


「わたくしがこの店を始めようとしたとき、多くの人から反対されました。不可能だと言われました。しかし最初の調印式がこの場所で行われて以来の三年間、我々はお互いの協定を破ることなく存続し、無事平穏のまま今日にいたっています。これは歴史的に見ても快挙といっても良い成果です。まさに我々の忍耐と寛容さがそれを成し得たのです」


 調印式? 協定? なんのことだろう?――私は妻と顔を見合わせた。彼女も怪訝けげんそうな表情をしている。


「お互いの主義主張は違えども、我々は元同胞です。我ら二大派閥の間にふたたび不毛な争いが起こらないよう、そしてこの良好な関係がこれからも続きますよう、心から祈りましょう。我が眷属けんぞくに永遠の栄えあれ!

 それでは長らくお待たせいたしました。ブラドー派の皆さま、そしてカミーラ派の皆さま、どうぞご起立ください。お食事の時間です。でもどうか喧嘩だけはなさらずに。最後までゆっくりとご堪能たんのうください」


 店の出入り口にガチャリと鍵がかかる。店内にいたコスプレ集団が一斉いっせいに立ち上がった。かれらは口元に笑みを浮かべている。その口のなかで、二本のするどいきばがキラリと光っていた。


「ああ、なんてことだ」


 ここでようやく私たちは気がついた。


 つまり私たちは食事に来たのではなく……。


 私たち自身が、かれらの……。

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