幻となった、3周年パーティ

小峰綾子

幻となった3周年パーティ

オーナーは結局、戻ってこなかった。


今日はこのシェアハウスの3周年記念パーティが開かれるはずだった。そのためにずっと、以前のシェアメイトたちに声をかけたりごちそうを作る手筈を整えたりと準備してきたのに。


3周年記念パーティをやろう、という話が現シェアメイトたちから持ち上がった時はあんなに嬉しそうだったのに。オーナーの佐野さんも喜んでいたはずなのに。


昨日、準備でバタバタしている最中に佐野さんは

「ちょっと銀行に行ってくるね」

と言って出かけて行った。私は、何でこのタイミングで?と思うことはあれど特に不審には思わなかった。

「はーい」

と、適当に答えただけだ。しかしその後佐野さんはここに戻ってきてないし連絡もつかない。


リビングにはシェアメイトたちが集まって、パーティを始めることもできず所在無げにしていた。

「もしかして、佐野さん、飲んだくれて寝ちゃってるんですかね」

大学生の男の子が言う。不穏な空気を少しでも明るくしようと振舞ってくれているのだ。

「佐野さんの家って近いのでしたか?まなかさん」

留学生の女の子が私に話しかける。私何とか正気を保ちつつ答えた。

「そう、たしか歩いて5分くらいのアパートだって、でも詳しい場所までは…」

「俺、分かりますよ。家の場所」

そう言いだしたのは去年まで隣の男子棟に住んでいた子だ。

「俺一時的に、佐野さんちに泊まらせてもらってたんで」

そういえば、この子は地方からでてきたものの、前の人の退居が間に合わず宿なしになりそうだった1週間の間、佐野さんの家に泊まっていたんだ。

「じゃあちょっと、見に行ってきます」

「あ、俺も行く」

別の男の子も名乗りを上げてくれた。

「よろしくね」

二人を見送るが、私も含め皆、何かよからぬことが起きているのを予感していた。佐野さんは銀行に行くと言って出て行ったのだ。そのまま帰宅して音沙汰無し、というのは考えにくい。そうなると何か事故か事件に巻き込まれたのだろうか。

10分ほどで、家を見に行った子から電話があった。ベルを鳴らしてみたけど出てこないし物音がする様子もない。裏から回ってみたけどカーテンも閉められていて中の様子は分からないようだった。

「どうしたんだろうね。」

「まさか、夜逃げじゃないよね」

残ったシェアメイトたちが囁いた時、何かひらめくものがあった。


そんな…まさか…でも…でも…。


私は思い出した。2週間ほど前突然オーナーから、金庫の開け方を教わったのだ。

「基本的には俺がやってるから必要ないと思うけど。何かの時のために一応覚えといて」

私がここでアルバイトを始めて1年。信頼してくれているなら嬉しい、とその時は思っていた。


震える手でシリンダーを回す、ダイヤルを合わせ、鍵を挿しこむ。カチャ、という音がして鍵が回る。扉を開ける。


金庫には、預金通帳のみが残されていた。


直後、私は銀行に走った。記帳するためだ。もしかしたら金庫にあったお金を預金に入金しにいっただけという可能性もある。必要な物品の買い物やその他諸経費のためにハウスにいくらかの現金は必要なわけで、それを保管するための金庫なのではあるが、何か事情があるのかもしれない。そうであってほしい、そう願いながら。


私は前の会社でパワハラを受け、精神がやられてしまった。悔しかったがそのまま退職し、半年ほど引きこもった生活をしていた。そろそろ何でもいいから収入を得ないとまずい、と思い始めた時このシェアハウスのスタッフ募集を見つけたのだ。


バイトの面接に来たはずなのに、なぜか色んなことを佐野さんに話していた。前の職場で受けたひどい仕打ち、経済的な不安、もう一度ちゃんと働けるのか自信がないことなど。佐野さんは40歳ぐらいなので一回りぐらい上だが、あまり歳の差を感じさせないフランクさがあった。


「もしよかったら、ここに住みながらスタッフとして働く?ちょうど女子棟が空いたところだし」

丁度その時住んでいたアパートの更新も迫っていたので私は二つ返事で

「お願いします。」

と言っていた。


仕事内容はシェアハウスの共用部分の清掃、簡単な事務作業、初めて一人暮らしをする子たちや留学生のサポートなど、慣れないことだらけだったが、働けるのが嬉しかった。みんなと仲良くなってリビングでお茶をしたり一緒に映画を見たり。20歳前後の子たちが多かったので27歳の私は浮いちゃうかな、と思っていたが意外と平気で、お姉さんとしてみんな慕ってくれた。


このシェアハウスの雰囲気は、佐野さんの人柄が反映されているんだな、と思っていた。


佐野さんは、近いうちもう一つシェアハウスを作る計画を立てている、と言っていた。不動産屋に通ったり銀行に相談したりしていたようだ。


「俺、親が貧乏だったから大変だったんだ。」


本人からそう聞いたことがある。親御さんからたくさんの仕送りは貰えないので、自分もアルバイトをかけ持ちながら学生をしていたらしい。家賃や生活費を何とかしなきゃいけないうえに、体調を崩しても助けてくれる人もおらず、孤独を感じたことも多々あった。


佐野さんがシェアハウスを作りたいと思った動機はそのころの経験に依るところが大きいらしい。地方から出てきた大学生や、日本での生活が不安な留学生のために、家賃も安く、困った時に相談できる人がいること、一人でいたくないときに一緒に過ごせる人がいること。シェアハウスは、そういう人たちの依り所になるのだろう。


通帳に記帳すると、3桁の数字が印字されていた。預金に入っているはずのお金は、1000円を切っていた。


どうして、こんなことに。


もう、家で寝てるだけかもしれないという期待は打ち消された。お金が無くなっている、キャッシュカードも。心配して待ってくれているシェアメイトたちの顔が浮かんで泣きそうになるが、何もせずに帰れない。警察に連絡しなければならない。


あれから3年、右も左も分からないままがむしゃらにやってきた。


オーナーがお金を持ち逃げし、私の給料さえも支払われないという状況だったが、男子棟女子棟合わせて10人いるシェアメイトたちに、もうここはやっていけないから新しい部屋を探して、なんて言えなかった。それが正直なところだ。


でも、私がオーナーを引き継ぐと申し出たら、みんな喜んでくれた。留学生の子が泣きながら「まなかさん、ほんとにありがとう」と言ってくれた。お金のことも仕事のことも、みんなが助けてくれて何とかやって来れた。3年、佐野さんが成し遂げられなかった3周年、そこまでは何があっても頑張ろう。そう思うことで乗り越えられた。


あのあと2か月後に、佐野さんは警察に出頭した。


離婚した奥さんとの間で慰謝料でもめていること、パチンコに通い出費がかさんだこと、などが明らかになったが、結局なぜあの日だったのか、なぜあんなことをしたのか、明確な動機は分からなかった。もしかしたら本人もよく分かっていないのかもしれない。


シェアメイトたちともいろんな話をしたが、商店街で以前佐野さんが歩いてるのを見かけた時、いつもの朗らかな感じは全くなくイライラした様子だったから声をかけられなかった、という話を聞いた。私も思い返してみたら、事務室で一人仕事をしている時、ピリピリしてるなあ、と思うことがあった。こちらに当たることは無かったので特に気にしていなかっただけだ。もしかしたら佐野さんには私たちが知らない裏の部分があったのかもしれない。


一度だけ裁判の傍聴に言ったが、以前の佐野さんとは別人のようだった。頬はやせこけ、髪もぼさぼさ、目には生気がなかった。

「みんなに謝ってください」

そう言ってやるつもりだったのに、あんな顔をみたらその気も失せてしまった。


200万、彼が持ち逃げしたお金の額。


みんなが払ってくれた家賃、新しいシェアハウスを作るはずの糧となるはずだったお金。


多分、1か月逃げ暮らす間の生活費やパチンコなどに消えて、ほどんど残ってないだろう。結局私のアルバイト時代の最後のお給料も支払われなかった。


みんなのお金だと思ったら高いけど、人生を棒に振るには安すぎるお金だと思った。


さて、私の方はお金の管理は新しく雇った事務担当のパートさんと二人で厳しくチェックしている。あと、いつまでも職場と住まいを一緒にしておくのは良くないと思い、隣町にアパートを借りた。


私は怖いのだ、佐野さんと同じことを自分がしないとは言い切れないから。


シェアメイト間のトラブルに巻き込まれたりすると、なぜ私がこんな目に、と思う。実家はお金持ちなのに道楽でここに住んでいる学生などを見ると、こっちは自分が生活していくので精いっぱいなのに、と言いたくなる。同じ立場の人間がいないというのは孤独で怖いことなのだ。佐野さんの気持ちが分かった、とは言えないが、他の人には見えない苦しいことがたくさんあるのは理解できた。


もしかしたら、あの時佐野さんが私に金庫の開け方を教えたのは何かのSOSだったのかもしれない。だとしたらそのサインを読み取れなくて申し訳なかった、と思う。でも、あの時の私にそこまで分かれと言うのは無理だろう。


疲れたなあ、と呟きながら駅のホームで顔を上げると、向かいのホームに立つ人に見覚えがあった。そう思った瞬間私は走っていた。


佐野さん?いや、他人の空似かもしれない。でも、あの時裁判で見かけた佐野さんにそっくりだった。階段を駆け下り、コンコースを駆け抜け、反対側ホームへ向かう階段もダッシュする。


ようやくホームにたどり着くが、電車が出発した直後でそれらしい人はもうそこにいなかった。


息を切らしながら考えた。私は佐野さんに会いたいのだろうか?会ったとして、何を話せばよいのだろう。分からない。佐野さんを許せるのか許せないのかも。


ただ、私はたった一人だけにでも言ってもらいたかったのかもしれない。3年間、よく頑張ったね、と。

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