セックスと結婚


「沙月ちゃん、今日はうちでゆっくりお酒を飲まないかな」

週末、沙月ちゃんとはいつものお店で待ち合わせをした。最初の一杯目でそう申し出ると、彼女はすんなりと応じてくれた。

それからは口数少なくお酒を飲んで、彼女がその一杯を飲むのを待っていると

「定郎さん、今日はわたしがおごります」

と彼女から申し出があった。どういう心境なのだろう。無碍に断るのも悪いので、ご馳走になっておくことにした。この心境もいつか聞けるといいなと思いながら、彼女のお会計を見ていた。

初めて彼女が僕の家に来た。ロングコートを預かってコート掛けにかけると、ほっそりとした体のラインの見える灰色のカシミアセーターに黒いフレアスカートという出で立ちだ。玄関には僕の靴と、いつもは見慣れないヒールブーツが並んだ。

「どうぞ」と奥に案内して、ソファに座って待ってもらった。スコッチでハイボールを二つ作った。ミックスナッツとチーズを皿に開けて、グラスと一緒にソファのところに持っていった。

「ステキなお家ですね」

「ありがとう、一人暮らしが板についてるでしょ」

ふふふと笑って、彼女はハイボールに口をつけた。


グラスに口をつけながら落ちついて、あの夜のお店の中での彼女との会話を思い出してみる。

「お店では第一から第三まで、なんて偉そうにいったけど、聞いてて意味わからなかったよね。僕は自分で自分が何を言ってるのか分からなかったよ」

彼女は目を合わせて

「そうなんですか、わたしも混乱していました。ただ気遣っていただいたのを覚えています」

「うん、僕は君のことが好きだから、君ががっかりしたり傷つかないように一生懸命だったことしか覚えていない。」

一瞬しんとした雰囲気になり、僕のグラスの中の氷がカランと動く音が聞こえた。

「定郎さん、不意打ちです」

「そうだったかな」

「…… 好きと言ってくれたこと、嬉しいです」

「沙月ちゃん、僕は沙月ちゃんのことを初めて見た時から好きだったよ。初めてお店に入ってきた時から。こうして今日、うちにきて一緒にお酒を飲んでくれて、とても嬉しい。これからもこうして一緒に過ごしてほしい。僕と付き合ってくれないかな」

そういうと、沙月ちゃんはニコッと見たことがないような笑顔で笑った。

「わたしも定郎さんのことを初めて見た時から気になっていました」

「え、本当?初めてって、あのバーでのこと?」

「はい。あの日、お店のお客さんは定郎さん一人だけで、かっこいい人がいるなって。お話ができて嬉しいって思っていました」

自分の顔がにやけていくのが分かった。これは嬉しい。

「それから定郎さんが作ってくれる間合いが心地よくて」

「間合いって?」

「誘ってくれる時とか、距離感とか、わたしに気遣いながら話してくれるのが伝わってきました。わたしも定郎さんのこと好きです。付き合ってほしいって思ってました。」

幸せだなと思えた。ふふふと笑いながら、お互い「じゃあよろしくお願いします」なんて言って握手をした。




「こうやってこのやり取りを、大切にできてよかった。あの時お店で言ってもよかったんだけど、なんとなくもったいない気がして」

「そうですね。ただわたしあの後、切なかったです」

沙月は自分の下着を思い出して、定郎に触れられた興奮について考えて、そんなことは言えないなと思った。

「そりゃあ、僕だってモヤモヤしながらベットについたよ。まだモヤモヤが残ってるから見にいってみようか」

「そんな、モヤモヤが目に見え……」と言って気がつき、言いよどんでしまった。

定郎はいたずらっぽくニヤニヤしている。

「そんなに上手に誘わないで欲しいです」

沙月は自分のおなかが定郎の指で押さえられている感触を思い出した。胸が高鳴り、自分の口調で定郎にその高鳴りが伝わっていると思った。

「じゃあ見に言ってみよう」とジョークを続ける定郎に手を引かれて、ベッドルームの入り口まで案内される。「ちょっとまって」と定郎が先に入り、枕元の照明を点けに先に暗がりに入っていった。

明かりがつくとフローリングの部屋、大きいまどに厚手のグレーのカーテンが下がっているのが浮かび上がった。セミダブルのベッドもぼんやりとした光に浮かんで見える。彼の家には柄の入ったものはあまりないようだ。

「定郎さんのモヤモヤは見当たりません、いい趣味ですね」

と沙月は、彼の冗談に付き合った。いっそ沙月もブラックジョークで、ゴミ箱にティッシュでも入っていたら何か言おうと思ったが、あいにくゴミ箱は空だった。定郎はいい趣味と言われたことに対して「そうかな。お言葉ありがとうございます」と軽い調子だ。ではあの日の続きを始める前に、と彼は前置きを入れて沙月の腰を軽く抱き寄せた。

「あの日はそういう空気じゃなかったけど、今日はキスしてもいいかな。今度は恋人として」

そう言って唇を重ねた。沙月はあごを出して、キスを受け止めた。柔らかく唇を挟み込むようにしてキスをする。

風俗嬢としてお客さんとキスをしてきた。それらのキスと、このキスは彼にとって差があるものだろうか。わたしにとってはお金より重い価値のある彼とのキス。彼にとっては安い口付けだと思われたら、…… 沙月は自分のしたことを後悔しないと決めていたけれど、やはり自分の後悔は止められない。

そういう機微に、定郎は敏感だった。沙月の考えていることが全部分かるわけじゃない。ただあのお店で働いていたことで、定郎に引け目があることは感じた。

定郎は思う。風俗で働いていたことが、そんなに重大なことだろうか。

今、こうして彼女と心が急激に近づく流れに乗れないくらいなら、そんなことは水に流して、軽やかにこの急流に身を任せた方がいいという気がする。

沙月とキスができて嬉しい、という気持ちを込めてキスするしかない。丁寧にその形の良い唇に愛情を込めるつもりでキスをした。

ベッドルームにくぐもった音が響いた。沙月の腰に添えられていた彼の手は、次第にお腹に回って、またあの日と同じところを指で撫でて、優しく押した。かせね合わせた唇から、彼女の熱い吐息と、声が漏れた。

「そこ…… 」

「気持ちいい?」

「…… 興奮します。こんな風に直接的に触られたの、その… 」

沙月は自分の経験人数に関する発言をあまりしたくなかった。

「初めて?」

こくりと沙月は頷く。定郎は自分の男性的な欲望が一つ満たされる喜びを感じながら、恋人として沙月に向けて自分の性欲をきちん主張しようと決意した。

「沙月ちゃん、僕も興奮してるよ。このままスカートをたくし上げてくれるかな」

風俗の仕事をしていたら、ストレートにパンツを見せて欲しいと言われたこともあった。お客さんはたくし上げられるスカートに興奮して、沙月の下着が見えると有頂天になる。男性というのはそういうものだと思っていた。

定郎の声のトーンには、そう言った興奮がない。どうすれば彼が喜ぶのか分からなかった。ただ沙月がどういう反応をするのか、見ている。

お客さんが興奮していた様子と、目の前の定郎さんとの差はなんだろう。

彼女はおずおずと両手でスカートの裾をたくし上げ始めた。黒いストッキングごしにほっそりとした膝がみえ、太ももがあらわになった。

彼女は定郎の視線の先を捉えるように、彼の目を見たが、目があうだけだった。太ももに夢中になっている風でもない。彼の部屋でただ彼の言いなりになって、スカートをたくし上げて、太ももをまで見せているという事が、いかにも間が抜けているようでだんだんと恥ずかしくなってきた。

夢中で凝視するこれまで出会ってきたお客さんと、彼の態度の差に混乱しながら、彼は嬉しくないのか、興奮したりしないのか気がかりになった。

定郎の指は、沙月のへその下あたりを優しく押さえている。

「このまま上まで?」

「うん、見たいよ?」

沙月の薄紫の品の良い下着が次第にあらわになっていった。彼女は定郎の方をうかがうように見た。

「これでいいですか」

自分がつけている下着、大丈夫だろうかと一瞬気がかりになった。大丈夫に決まっている。

「その下着、つける時僕のこと思い出した?」

もちろんそうだ。今日、彼の家に来ることを想定して、彼の目に触れるかもしれないと思ってつけた下着だ。それは彼女の期待のあらわれであり、正直に言って彼と会うときは、いつもそう想定をした。

「〜そうです…… 」

ーー恥ずかしい。

沙月の下腹部がぎゅっと締まり、定郎の指にその力が伝わり、お腹に刺激が返ってきた。ア、と再び自分でも知らない声が自分から出た。

「いつもきれいな沙月ちゃん、今日は可愛い顔…… 」

沙月が返事する間もなく、再び予測だにしないあえぎを漏らしていた。

この人は、私の感情の高まりに興奮するんだ、と沙月は思った。可愛いと言われて嬉しかった。

「今度は立ったまま、少し足を開いてくれるかな」

沙月は両手でスカートを持っているため、何もできなかった。抵抗できない、彼の言いなりだった。

言われるままに足を開くと、定郎のもう一方の手が伸びて、指で沙月の一番敏感な部分をストッキングの上から優しくなぞった。

女性器の入り口部分が締め付ける動きと、子宮の動きが連動をして沙月の声は少し大きくなった。彼の指に挟まれて、こんな風に感じるのは初めてだと思った。

「上を脱ごう」

と誘導されるように言われ、ピアスとネックレスを外して、彼のベッドの枕元のサイドテーブルにおいた。腕時計も外しながら、すでに自分のはいている下着が冷たくなるくらい濡れているのを感じた。セーターを脱いで、一括りにしていた髪留めをとると、沙月の豊かな黒髪がさらりと下に落ちた。

「すごくきれいだよ。今、生まれてきたことに思わず感謝しちゃった」

と、定郎は少しおどけて言った。

「もう」

茶化さないで、と沙月が言おうとしたが、彼の目は半分冗談めかしながら本当だよ、と言っているようだった。

実際、髪をおろした彼女は美人中の美人で、定郎彼女の美貌に酔っ払ったような錯覚さえした。

自分が風俗で働いていた、という事については、定郎にとって本当に不問、気にしていないらしい、と初めて沙月は実感した。

彼に任せてもいい、と彼女は甘えた気持ちになってきていた。こういった気持ちは、沙月にとって初めてだった。

正面を向いて二人でベットに座った。目が合い、言葉はいらない。

彼女のシャツのボタンを一つずつ外しながら、定郎は再び彼女に口付けをした。優しく、むやみに舌を入れてきたりしない上品なキスに、沙月はうっとりとする。

定郎はできるだけ彼女が安心して身を任せられるようにと、注意しながら進めた。

ボタンを外したシャツの隙間から手を入れて、彼女の着ている白いのキャミソールの裾をスカートからぬいた。できた隙間から背中側に向かって侵入した彼の手は、初めて彼女の肌に触れた。

定郎は陶器のようにすべらかな彼女の肌の、きめ細かさに感動したがまずは仕事をこなそうという思いにいたる。すなわち薄紫の小さい花がついたブラジャーのホックを何の淀みもなく外した。

優しい口づけをかわしながら、彼の手は沙月の腰を直接なぞった。沙月の吐息とアエギ声が、重ねた唇から静かに漏れた。いつもの鼻にかかった可愛い声だった。

ホックを外されてゆるんだブラジャーから彼女の乳房があらわれた。定郎は思わずため息を漏らしてしまった。沙月はそんな定郎の反応をみて、女性の喜びを感じた。

見られていたことに気がついた定郎は「見とれちゃった、本当にきれいだ」といってはにかんだ。沙月はつい照れてしまったが、すぐにもう照れなくてもいいと思い直して嬉しくなり「キスして」といった。言いながら、初めてこんな気持ちで言ったかもしれないと思った。

「スカートとシワにならない?」

と定郎がふと気付いたように言った。一言一言が親密な気持ちになって、自然と笑えてくる。へへへと言いながら

「なるかも、脱ぐからあっち向いててください」

と、スカートと黒いストッキングを脱いだ。「定郎さんも」と沙月が言って、上着とシャツ、ズボンを脱ぐ手伝いをした。お互い下着だけになって正面から向かい合った。再び口づけをした。両手で乳房を撫で、指で下から上になぞった。指の軌道が乳頭にくるたびに指の先でくるくるといじると、沙月は声を漏らさずにいられなかった。

定郎は、沙月を胸を手のひらで押して、後頭部を抱いて寝かしつける格好になった。

沙月も自分は今一番幸せだと感じたが、定郎のようにあえて口にだして茶化したりはしなかった。沙月の股を割るように、定郎の温かな太ももがあてがわれた。定郎の舌が、彼女の乳房を優しく包んだ。

「アぅ…」沙月ははっきりとした自分の喘ぎ声を意識した。一定間隔で沙月のの乳房に、彼の温かい舌をあてがわれて、ねっとりと刺激された。ベットルームに沙月のくぐもった声だけ聞こえた。

沙月は、自分が彼の太ももに自ら進んで押し当てていることについて、定郎にどう見られているんだろうと意識した。

「気持ち良いの?」

沙月はコクリと頷いて、なお彼の太ももに自分自身を押し当ててしまうことが、少し恥ずかしかった。


定郎の手は次第に下腹部へと伸びた。腹を通り過ぎて、さきほどストッキング越しに触っていた沙月の股を、ついに下着一枚越しに触った。しとどに濡れていて、定郎は内心で驚きながら「脱ごうか」と言った。彼女の興奮が伝わってきた。

沙月は上気した表情で、定郎の顔を覗き込む。定郎には彼女の端正な顔立ちが、興奮してあやしく輝いているように見えた。

定郎がサイドテーブルの電気を消した。暗くなった部屋で彼の気配と向かい合わせになる。沙月の両の腰に彼の手がするりと伸びて、沙月の下着をするりと抜き去った。

沙月は自分の下着が自分のもので湿って冷たいと分かっていて、気恥ずかしかった。そのため、あわてて定郎の手から、彼女の興奮の象徴を抜き去ると手の中で丸めて暗がりになっているわきに置いた。換えの下着を持ってきている事についても、定郎は何か言うだろうか。

つけていた下着を器用に取り上げられたことについて、定郎は何も言わなかった。代わりにふふと笑って彼女に向けて優しく口づけをした。口づけはそのまま下に下にずれていく。ほっそりとした首筋、華奢な肩、小ぶりな胸、腹…… また固くした舌で、彼女の下腹部をやや強くぬるりと押さえた。

「あ…… それ」と彼女がたまらず声を出すと、定郎は小さくうめくように「気持ちいい?」聞いてきた。コクリとうなずくと同時に、彼は「んっ」と小さくて短い返事をした。再び温かかくて固い舌が、彼女の腹をぬるりと押した。沙月の口から、やや大きい嬌声が漏れ出た。

定郎の舌はさらにぬるりと下に向かいはじめた。沙月の胸は高鳴り、思わず苦しくなった。吐息が漏れ出た。

彼の頭の気配が、完全に沙月の股の間にきた。彼女は自分の尻が彼の両手押さえられ、足をぐいっと開かれるのを感じ、興奮は頂点に達した。恥ずかしい…… そして期待している。

期待通り、彼の舌の感触が彼女の核の根元をとらえて、彼に舌と唇での愛撫が始まった。時々、彼はズッズッと音を立てるように空気を吸った。沙月は滑らかな舌の感触の海に身を委ねた。たまに差し込まれる、空気の振動と優しい刺激で、彼女はとろけるような気分を味わった。

ベッドルームには、沙月のくぐもったアエギ声と時折ズッズッと湿った音がしばらく響いていた。

沙月の脳裏には、「圧倒的に優しい、こんな風にされたことがなかった」という感情がよぎっていた。

彼女は、自分の中に次第に達する時の波が蓄積され、込み上げてきているのを感じた。

彼はポツリと「気持ち良さそうだね」と言って、再び沙月の敏感な場所に舌を当ててねるりとその根元への愛撫を再開した。

沙月には「イイの…… 」と言うのが精一杯だった。あとは自分の「うあ……うあ…… 」とうわごとにようなアエギ声にかき消された。

定郎は口での愛撫を続けたまま、彼女の両の乳房に自分の両手を這わせていった。彼女の綺麗な柔らかい乳首は、親指と中指で軽くしごくと、あっという間に硬く隆起した。彼女のアエギ声が変わった。硬く隆起した彼女の両の乳首を親指と中指ではさんで固定して、人差し指で乳頭を撫でた。

彼女は自身の女性器に対する愛撫だけで達そうとしていたところだった。乳首をいじられた途端、興奮と新しい快感がおそってきた。「ダメ」と思わず口をついて出た。

定郎はスッと愛撫をやめて

「ダメ?」

と、彼女の股ぐらの間で小さく問い返した。沙月は「違うの、もっとしてぇ」と、心のそこから言って、演技じゃない自分の甘え声を生まれて初めて聞いたことに感動した。

彼からの愛撫が再開されるやいなや、沙月の口からすぐに、自身が達する旨が告げられる。

「や……あ……や、イク、イク…… いっちゃう……」

ア、と喘いだあと、沙月は一瞬静かになって、定郎の頭をつかんで足をのけぞらせた。

定郎は彼女が存分に絶頂を味わうために、彼女のクリトリスの根元に舌を押し付け、彼女の絶頂に合わせて軽く押した。彼女の絶頂を告げる嬌声が、ベッドルームにこだました。


その晩は ベットの中、一糸まとわぬ姿で沙月は定郎にしがみついて、彼の躍動を受け止めた。




沙月ちゃんとの結婚は早かった。彼女は大学を卒業してすぐ都内の印刷会社に就職した。僕は彼女に結婚を申し出た。結婚の決め手は、セックスをしても、彼女ともっと仲良くありたいと思える気持ちが湧いてきたからだ。

「沙月ちゃんは、フルーツの部分だけ変えたタルトをなんどでもあげたくなる」と言ったことがある。

特に意味を説明していないので、なんのことだかわからないかもしれない。

ただ、彼女は嬉しそうに「タルト、好きですよ」と言った。

プロポーズの言葉は普通に「僕と結婚して、ずっと一緒にいてほしい」だ。

その後、お互いの両親と挨拶をして、入籍をした。



結婚後の性生活でも、今だに定郎が沙月の「お客さん」になることはない。

沙月はずっと甘えていた。

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タルト 森本レオナ @hanabatake

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