モノクロの世界にインクが落ちた

橘花やよい

モノクロの世界にインクが落ちた

「使者さま、今日はお祭りですわ。どうぞ国民の前にお姿をおみせください」

「――私、行かなきゃだめ?」

「もちろん。この国が独立できたのも、使者さまの加護があってこそですから。この独立三周年祝いの祭りに使者さまがお姿を見せてくださらないのでは、民が悲しみますわ」


 城の一角。自身にあてがわれた豪華な部屋で、部屋の主である少女は遠い空を眺めた。空が白い。

 日頃から少女の世話をしている使用人が「さあさあ」とせかし、少女を立ち上がらせた。部屋を移動して、少女の服を着替えさせる。着せられたのは、ふわふわとした白いドレスだった。数人の使用人が集まって少女の髪を結い、顔には化粧を施した。


「民がみな待っていますわ」

「私は、あなたたちに崇められるようなことをした覚えはないし、お祭りに出るような身分でもないよ」

「ご謙遜を。使者さまは神のお使い。あなた様のおかげで私どもは自由になれたのでございます」

「そうじゃなくて」

「――もしや、色を失いつつあることをお嘆きで? やはり神のお力が消えつつあるのでしょうか。しかし、民はそのようなこと気にしませんわ」


 使用人は少女に微笑んだ。なんの疑いももたない目で少女を見つめる。少女はすっと目線を逸らした。

 髪の仕上げといわんばかりに黒い冠をつけられる。

 少女はせかされて歩き出した。


 バルコニーに出ると、大勢の国民が拍手で少女を出迎える。民は口々に少女を称えた。

 使者さまだわ。ありがとう使者さま。国を救ってくれてありがとう。今日も素敵なお髪ですわ。真っ赤なお髪がお似合いですこと。

 少女は結い上げられた自身の髪に触れた。


「みな、よく集まりました。この国の独立記念三周年というよき日を、国民と、使者さまと、ともに過ごせることをとても嬉しく思います」


 長くて黒いマントを羽織った王様が、少女と民に微笑んだ。


「よろしければ使者さまからも何か一言を」

「え、私ですか」


 王様の申し出に、少女は難色を示した。けれど、王様がぜひにと笑みを浮かべて迫ってきたため、渋々バルコニーの先まで歩いていった。


 少女はバルコニーから周りを見渡した。いつもより華やかに城も街も装飾されている。城壁には黒い垂れ幕、庭には白い花が咲き誇る。この国の民がみな笑みを浮かべて少女を見守っていた。国の中が喜びで満ちている。


――でも、色がない。


 少女がぽつりともらした言葉は、誰の耳にも届かないまま風にのって霧散した。


「独立三周年、おめでとうございます」


 民が大きな拍手をした。

 少女はすぐにバルコニーの奥に引っ込む。名残惜しそうにその姿を民の目が追いかけた。


「私、疲れたので部屋に戻ります」

「もうですか? 街には色々な屋台も出ております。街におりてみてはいかがでしょう」

「すみません、体調が優れなくて。一人で戻りますから大丈夫です」


 少女は未だ拍手が鳴りやまぬ空間から逃れるように、城内に身を滑り込ませた。歩き出す少女の耳に、使用人たちの小声の会話が届く。


「やっぱり色がなくなっていくことを気にしていらっしゃるのね」

「ええ、あんなに綺麗な赤髪だったのに、もう随分と黒髪が混ざっていらっしゃって」

「でも、それはきっと私たちを守るためにお力を使われたからだわ。私たちを救ってくださった証よ」


 少女は早足に自室に戻った。

 ひらひらとした服を脱ぎ棄て、結われていた髪をほどいて。ベッドの上に倒れ込んだ。毛先だけが赤く染まった自分の髪が視界に入る。この世界で、赤髪はとても目立つ。


「違うのに」


 少女は虚しく呟いた。




 その日は国の独立三周年の記念日だった。この国はずっと隣国に支配されていた。その支配を退けたのが三年前だ。そして、独立が可能となったのは少女のもたらした加護のおかげだ。

 少女は神の使者だった。

 この世界はモノクロだった。白と黒しか、この世界には存在しない。色を持つことが許されるのは、神とその使者だけだった。

 少女はある日、突然城に現れた。少女は真っ赤な髪をもち、ペールオレンジの肌をもち、唇は赤かった。モノクロの世界に唯一色をもった存在だった。


 国の者は少女を神の使者だとして疑わなかった。そして自分たちには神の加護があるのだと喜んだ。そして、加護のもと、見事独立を勝ち取った。


「そんなの加護でもなんでもないわ」


 少女は天井をぼんやり見つめた。

 もともと少女のいた世界には色があふれていた。赤も、青も、緑も、黄色も、なんだってあった。この世界がおかしいだけだ。


 ――漫画みたい。


 少女がこの世界にきたとき、はじめに思ったことだ。

 モノクロの世界は漫画をみているようだった。そして、そこに自分だけがカラーをもって存在している。


「神だの、使者だの、ほんと馬鹿じゃないの。赤髪なんて中学卒業した浮かれ気分で染めただけだし。髪が黒くなってるのは地毛が伸びてきただけだし。肌の色も、普通じゃん。私、ただの人間だもん」


 少女は枕に顔をうずめた。

 少女は高校入学を目前とした、ただの学生だった。

 何がきっかけだったのかは分からないが、少女は自分の世界から放り出されて、この世界に落とされた。

 この国の住民は、彼女を神の使者だと言って聞かなかった。たとえ少女が否定しても、誰も聞く耳をもたなかった。


 ――色をもつ者は神とその使者だけ。あなたは私たちに加護を与えるために、この地におりてきてくださったのだ。もうこの国は安泰だ。


 自分たちに加護があると信じ切った国の住民は強かった。もともと独立のための行動は始まっていたが、少女が現れてから燃料を注がれた火のように、その勢いは強まった。思い込みが与える力の強さを、少女は間近に目撃した。

 少女は何もしていない。ただ、そこにいただけだ。


「もう三年か」


 少女が自分の世界にいたなら、今頃高校を卒業していたのだろう。少女は結局、高校には一日も行けなかった。高校に通うはずだった三年間、少女はこの城で崇められていた。

 最初は人々に崇められ、使用人にかしずかれることに優越感を覚えた。しかし、三年経った今ではもう何も感じない。そんなことよりも。


 ――帰りたい。


 少女はもとの世界に帰りたかった。

 この国では、みな少女のことを使者さまと呼ぶ。神の使いの名前を呼ぶような越権行為はできないと、国民は身を震わせた。少女には自分の名前があるというのに、誰もその名を呼んでくれない。


「高校行きたかった」


 少女にあるべきだった高校生としての青春はもうこない。帰る術を少女は知らない。どうやってこの世界に来たのかも覚えていない。


「帰りたいよ」


 少女の声を聞く者は、やはり存在しなかった。

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モノクロの世界にインクが落ちた 橘花やよい @yayoi326

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