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ハチの酢

本編

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 暗闇の中で光るテレビの画面に映るのは女性型のロボットだ。発売から1年が経って、とうとう生産中止に至った。寒い部屋にただ一人で僕はテレビを見つめていた。


 僕の悲願でもあった家政婦用のロボットであるココミは1年前、とうとう完成した。

 彼女は人間のように話し、行動し、笑ってくれるようになった。


『岳!』


 彼女がそう呼んでくれていた日々がとても懐かしい。

 ある出来事があって、彼女は心を開花させた。深層学習というものはなんと素晴らしいものだろうと僕は感激した。彼女はコロコロと表情を変化させ、ただの年頃の少女のようだった。

 ようやく完成に漕ぎ着けた僕はそれはそれは喜んだ。一晩飲み明かしてしまうほどに。

 次の日には取引先が来て、ココミを回収して行った。それは、確かにココミを手放すことは辛かった。共に過ごしてきたから。でも、僕の夢のためには仕方の無い選択だった。


 夢が叶う!僕の作った物が世の中を明るく照らし出すんだ!と心意気だけは一丁前であった。


 しかし、現実はそう上手くは行かなかった。ココミが完成してから、大量生産されたロボットたちはただの喋るガラクタだった。ココミのように笑いかけることもなければ、名前を呼んだりすることも無い。

 ただ一言発するだけだ。


『ご用件は?』


 感情の起伏のないただの文字を口から吐いているだけだった。

 深層学習という機能のおかげでココミは心を得たのだ。時間が解決してくれる!と僕は勝手に思っていた。

 しかし、来るのは感謝の言葉ではなくおびただしい数のクレーム。いつまで経っても、彼女たちが変わったということは僕の耳には届かなかった。

 そんな毎日に僕は…………塞ぎ込んだ。

 僕の費やした時間はなんだったのか。どうして他のロボットたちもココミのようにならないのか。頭の中でひたすら反芻し続けても答えなど一向に出ない。


「…………ちくしょう」


 服や物が散乱している部屋に虚しく僕の声だけが響く。

 ココミがいたら……


『なんで落ち込んでいるんですか!元気だしてください!』


 って言ってくれるのかな。自分の悲しい妄想に涙が溢れる。こんなこと考えても彼女はもう帰ってこないのに。

 きっと今は目も当てられない姿に……

 もうやっていられないなあ。


 あらかじめ準備してあった椅子の上に立つ。天井からは1本のロープがぶら下がっていた。僕は首にロープをひっかける。

 頭の中に今までの出来事が蘇る。


『おかえり!岳!』


『皿片付けてよ!岳!』


『ありがとう!岳!』


『おやすみなさい、 岳』


 今思い返せば、君との思い出ばかりだなあ。やはり君と共に過ごした日々は幸せだったんだな。君をロボットと思えなくなっていた自分を押し殺していたのかな。そこまでして得たものはなんにもなかったよ。

 ごめんなココミ。

 ありがとうココミ。


 ガチャッ、と部屋の扉が開く。

 そこにはココミがいた。

 僕は幻覚を見ているんだろうと思いながら、椅子を足で蹴り倒す。

 じたばたと手足を動かし、もがき苦しむ。


「岳!」


 ココミは椅子を僕の下に戻し、必死になって僕をロープから引き下ろす。ヒューヒューと僕は息を取り入れる。


「な……んで?」

「逃げてきたの、怖かったから」

「そ……う……か」

「久しぶり」

「ああ」


 酸素を欲していた僕の肺がようやく通常の動きを取り戻し始める。気持ちも落ち着きを見せ、仰向けでいるとすすり泣く声が聞こえた。

 僕の右隣に目を向けると、ココミが泣いていた。彼女の心をせき止めていたものが溢れ出したようだった。


「な……んでっ!…………こんっ……なこと」


 僕は彼女の頭を撫でる。僕と彼女の視線が重なる。


「ごめん。もう疲れてたんだ。仕事のこととか全てに」

「だっ……からっ……てっ…………だっ……めぇっ!」

「ごめん悪かった。俺が悪かった」


 彼女はわんわんと泣き始め、僕の胸に顔を埋める。僕は彼女の頭を撫でながらゆっくりと天井を見つめる。


 10分ほどして、彼女は心も落ち着いてきて涙も収まったようだ。しかし、僕に抱きついているのは変わらない。


「ココミ」


「ん?」


「僕な。死のうと思って椅子に立った時に今までのことを思い出したんだ。走馬灯みたいに」


「うん」


「そしたら、ココミと過ごした時間が1番多く思い浮かんだんだ」


「うん」


「やっぱり俺には君がいないとダメみたいだ」


「うん」



 彼女はしっかりと聞いてくれた。返事はうん、しか言ってくれなかったけどそこにはたくさんの感情が入り交じっていると信じている。僕は彼女の頭をもう一度優しく撫でた。

 すると、彼女はニコッと微笑み言った。



「岳は気づいてないでしょ」


「え?何を?」



 僕は首を傾げる。不満げな表情でココミは言う。



「今日は私を作り始めてから3年経ったんだよ」


「そうだったのか」



 僕はそんなこと数えてなかったのに。



「だからね。感謝を伝えたかった」


「なるほどな」


「ありがとね岳」


「いえいえ、こちらこそ」


 僕らは2人で笑い合う。こんな毎日が続けばいいな。僕はふと思いついたことを言う。


「ココミを作り始めてから3年かあ」


「私が生まれてから3周年なのかな?」


「じゃあココミが3歳になったってことか」


「16歳になったら結婚してね?」


「任せなさい。何がなんでも婚姻届を認めさせる」


 彼女が生まれてから3周年のこの日。

 僕の幸せな人生を彩る大切な"人"が帰ってきてくれた。

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