三年目の呪花

@ardisia

第1話 遠く離れて

 新居を構えて三年が経過した。親元を離れての大学生活には、退屈なことや大変なこともあった。しかし毎日が楽しく、高校時代までにはなかった自由の中に新鮮な喜びを見つけていた。大人になるほど時間の経過が短くなると、昔誰かの語った小話に今なら実感をもって頷ける。何か一つのことに熱中している間に、日が沈んでしまっている。そうした体験は、ここ最近では珍しいことではなくなっている。

 その熱中している趣味の一つに、この三年で土いじりが加わった。


 この部屋に越してきたばかりのことだ。何もない真っ新な部屋の片隅に、土が詰め込まれただけの小さな鉢が置かれていた。鉢は茶色く、いかにも味気ない安物だ。

中には植物などが育っている気配はなく、ただ土が平らに敷き詰められているだけ。

観賞用に育てようとしたのか、まだ苗を入れていないのか、どちらにしても中途半端な状態で放置されていた。

 前の住人の忘れた物のようにも見えたが、それはこの部屋を見渡した時の大きな違和感だった。一目しただけでその鉢の存在に気付くうえ、手を入れたばかりのものを忘れるとも考えずらい。


 大家さんに聞いたところ、特に気にした様子はなかった。前の人が忘れたのだろう、いらないなら捨ててしまっていい。そう短く返事をした後、人に面倒くさがるような視線だけを向けてきた。大学生のような子供を相手にしては、ずいぶんと大人げない態度だったことを今でも覚えている。おそらく夜に騒ぐ学生に迷惑でもしていたのだろう。大学の側からも、そうした注意が出回ることが何度かあった。

 大家さんの言う通り、小鉢は誰かの置忘れにすぎないのかもしれない。しかし空き家となっていたところに、別人が住んでいたとしたら気が気ではなかった。この鉢を育てるために、浮浪者が尋ねにでもきたら事件に発展してしまうかもしれない。捨ててしまうのが一番いいのかもしれない。しかし持ち主に怒られでもしたら、この部屋を追い出される事態に発展しないとも限らない。


 ちょうどその時、神経質になっていたせいもあるのだろう。とりあえず土をめくり、中に何もないかどうかを確認した。中から麻薬なんかの類が見つからないとも限らない。慎重に確認だけをして、すぐに元に戻すことだけに意識が集中していた。

果たして土の中から見つかったのは、小さな種だった。何の変哲ものない、ただの種子。取り立てて事件性のないものが見つかり、ひとまず胸を撫でおろしはしたものの懸念はまだ過ぎ去っていない。これを取り返しにきた人間が、激怒せずにここを立ち去ってくれるためには鉢を捨てるわけにはいかない。


 というわけで、なし崩し的に三年間の土いじりが始まったのだ。

 始めの一か月で芽を出し、その後すくすくと育っていった。とはいえ大きさとしては、文庫本を超えないくらいの小さなものだ。そこから成長がぴたりと止み、今でもその頃と同じ大きさのままだ。根本こそ太いものの、天へと伸びた先端はいかにも弱弱しく頼りなさげだ。四方に伸びる枝も下に垂れ下がっていて、枝というよりは蔓といった方が正確だ。どこかの国からの輸入物ののようにも見え、その詳細は謎に包まれている。植物には詳しくなく、その外形的特徴をネットで調べたところで特定できるものではなかった。


 一年が経過した頃、そのだらしない枝の先に大きな実をつけていた。ピンポン玉程の大きさを備えたそれは、見た目の通りに重みがあり中身が詰まっていそうだった。

緑色をしていて、光沢は鈍い。絵画から転げ落ちてきたような、鮮やかな果実にも似ている。不思議と地面には着いていなかったものの、今にも枝を引きちぎろうとしていた。

 二年が経過すると、二つ目の実をつけた。前とは別の枝先にぶらさがり、毒々しい程の鮮烈な赤を放っている。怖くもあるが、魅惑的でもある。前の年とは別の実をつけたのはなぜなのか。緑が未熟なもので、赤いものが完熟した姿だとでもいうのか。しかし緑色は一年目のもので、赤いものは二年目のもの。

 もし仮に完熟の概念があるならば、赤い色が緑色へと変化をするべきだろう。そうした期待をもって毎日水をやり、適当に肥料を撒いたりもしてきたのだ。


 そして三年が月日が流れるに至り、その植物は未だに枯れることがない。それも一度つけた実は当時そのままの姿で存在していて、色が変化するということもない。

 今日はちょうど記念すべき三周年目の朝であり、少しばかりその植物の変化に期待が沸いていた。


 寝床からそう遠くない机の上へと目をやると、植物の様子がおかしい。というよりも、鉢から伸びていたはずの奇妙な草の姿が見当たらず、一夜にして忽然と消失してしまっている。

 近づいて確認してみると、鉢の上には三つの果実が転がっていた。それは緑、赤、そして黒の三色の実だ。三年の月日を経て成長したはずの実だけが鉢にあり、その実をつくったはずの植物がどこにも存在しない。枯れてしまっただとか、動物やなんかに食べられてしまったというわけではないらしい。それはただ泡が弾け、その姿が世界に希釈されでもしたようにただ消えてしまった。


――ピンポーン


 玄関のチャイムが聞こえたため、一度外の確認に行く。扉の前にいるのは恰幅のいい宅配員で、両手には段ボール箱を抱えている。確認の印鑑を押して荷物を受け取ると、爽やかな笑顔を残して彼は去っていく。倒錯的な儀式などをしていた気分になっていたが、こうしている間にも世界は平常と変わらず回っている。

 胸の鼓動が落ち着いていくのを感じながら、段ボール箱に取り掛かる。カッターの刃を出し、箱の開封口に沿って切れ込みを入れていく。中から出てきたのは、一冊の分厚い本だ。中はくり抜きになっていて、使い古された携帯が入っている。自殺した姉の遺品だ。手元に置いておくと気が気でなくなるため、わざわざ実家に置いてあったものを両親に取り寄せてもらったのだ。


 今から三年前のことだ。大学に通っていた姉から電話があり、ある相談を受けていた。そのある相談とは、どこかの見知らぬ男との失恋話だった。

 姉を虐めを受けていたらしい。その虐めに何か義憤のようなものを覚えたらしい彼氏は、虐め相手を強姦した。強姦しただけに留まらず、そのまま殺害。死体をどこかに埋め、今も警察の手からは逃れているというのだ。

 ことのあらましをひとしきり喋り終え、「どう思う?」とだけ投げかけてきた。何も答えられずにいると、姉はこの話を警察に届けるかどうかをこちらに投げたまま通話が切られた。


 その後に姉が自殺をしたことを知り、男に対して怒りを覚えたのだ。そう、一体何を考えてそんなことをしたのかを知るために、自分はこの部屋へとやってきたのだ。

隣の部屋には例の男が一人暮らしをしている。そこから男の生活を調べつくし、その後にどうするかを考え続けてきたはずなのだ。


 なぜ自分はそんな大事なことを、この三周年までに思い出せずにいたのだろうか。


 小鉢の中には、未だに3つの実が転がっている。この植物を育てている間だけ、どこか落ち着いた気持ちでいることができた。その感覚を求め、植物を育て続けてきたのかもしれない。自分の中にある醜い感情が漂白されていき、常に人生に前向きな態度でいられた。そんな気がしてならない。

 だとすればこの実の正体とは、その醜い感情そのものなのではないだろうか。


 姉に対する義憤を覚える一方で、事の真相を深く理解する心を持つことも大事なのかもしれない。だとすれば、この3つの実は自分には必要のないものだろう。人を傷つけるばかりが世界の全てではないはずだ。

 気づけば姉の携帯に、言いようのない苛立ちや恐怖を覚えることはもうなくなっている。今の自分であれば、ただ悪戯に人に危害を加えてやろうなどとはならない。そしておそらく、それが正しいことなのだ。


 3つの実を箱の中に仕舞い、事件の真相に向かうべく、玄関の扉を開くのだった。

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