卒業までに

道透

第1話

 三年間ある高校生活に終わりが来ることをまだ意識していなかった。この間まで夏休みの課題や進路に襲われていたというのに気が付けば文化祭の季節である。まだ、夏の暑さはとれそうにない。カッターシャツが張り付く背中は気持ち悪い。それに夏の制服は身体のラインもハッキリと分かるのが嫌である。

 文化祭前日の校内は忙しい。生徒も教師もバタバタとしている。買い出しへ行く人、教室の飾りをする人、練習に取り組む人。私の学校の三年生は毎年、屋台を出している。私のクラスはクレープを出すことに決まっている。とはいえ、クレープを焼ける人は限られてくる。三十人の中でたったの八人しか作れない。私もその八人に入っている。

「真樹、こっち手伝ってよ」

 私は、教室の飾り付けをしている友人の沙也加に呼ばれて作業台から顔をあげた。高校に入ってから初めて出来た友人なのだ。

「これだけ焼いてしまうから待ってて」

「分かったー」

 私は鉄板の上からさっと剥がしとったクレープ生地にホイップクリームを絞り入れ、巻き上げた上からチョコレートをかけた。

「お待たせ。これ食べてみて」

「いいの?」

 私は作ったクレープを沙也加に渡した。沙也加は一度作業する手を止めてクレープを取った。

 公立の学校規模であるからどうしてもサイズは小さめになってしまう。当日までフルーツも無駄に使えないのでシンプルなものが出来てしまった。

「美味しいよ! 上手いこと作るよね。私が作ったら生地が厚く硬くなっちゃうんだよねー。羨ましい」

 高校生活最後の文化祭は順調に進む。元は足並みの揃わないようなちぐはぐしたクラスだった。しかし、三年間もクラス替えがなけれな嫌でも相手のことを理解出来てしまうこともある。

「あ、真樹」

 沙也加は教室の扉の外を指さした。指された方を見た私は廊下を通る人にくぎ付けになった。

平野徹ひらのとおるいるよ、行ったら?」

 私は沙也加のニヤッとした顔に自分が恥ずかしくなってしまう。

「別にいいよ」

 平野先生は私たちの教科担当の先生だ。教科は国語。年齢は二十代後半で優しくて一生懸命な先生だ。おまけにスタイルもよくて、笑顔が素敵。しかし、かなりの人から嫌われている。私にはとても理解できない。

「本当に真樹はどうしてあんな人好きになったのさー。絶対他にいい人はいるのに」

「平野先生は素敵だよ……」

「真樹はいつの間にそんなに趣味が悪くなったのか」

 沙也加はため息をついた。

 私は沙也加の手伝いをしながら、平野先生のことを目で追う。

「どんだけ好きなんよ」

 沙也加には分からないだろう。

 私が平野先生を好きになったのは半年前のことだった。一年前から気になってはいたものの接点も少なく意識が届かなかった。初めてちゃんと話したのは三年生の梅雨先のことだ。

 私の将来の夢は小説家になること。三年生になると本格的に進路の話が始まり、中学生のころから始めていた執筆にもより一層力を入れた。そんな私はしばらく放課後の図書室で物語作成をすることにした。意地でも卒業前日までかじるついてやるという思いから始めた。

 でも初めて見れば楽しいし、家で作業するよりもはかどった。そんな時間が自分の中で定着するか否かのある日、平野先生は私に初めて話しかけてきた。

「何してるん?」

 毎日、辞書を片手に何か書いていたら気になるものだろうか。平野先生に手元のルーズリーフを覗かれて隠すタイミングを完全に失った。集中していた全く気配に気づかなかったのだ。

 もともと誰かに物語を書いていることはあえて話さなかった。知っているのも担任や沙也加くらいだろう。

 平野先生は国語教師である前に本好きである。だから、伝えたら食いついてくれるだろう。それは先生の性格を考えても容易く想像出来た。だからこそ怖かった。理解者になってくれる気がして。

「物語、書いてるんです」

 期待と不安ないつまでも消えないまま私ははっきりと答えた。

「え、すごいな」

 平野先生は興味津々というような顔をしていた。私は照れたふりをすることが精一杯である。

 でも、それ以上は食いついてくることはなかった。むしろ、これが最後な気がした。

 矛盾した私の心の声は欲張りだったようだ。見てみたいなと呟いた一言を聞き逃さなかった。

「読んでくれるんですか?」

 なんて期待を込めた一言だろうか。

 先生は、俺で良ければと言って笑ってくれた。私の中で何か小さな感情が生まれたのを苦しみと感じた。

 それからは生徒と先生、作家と編集者の関係が今まで続いている。

 読んでは添削と感想をもらって、些細なことを話す。それが日常になっていくことは喜ばしい。しかし、とても苦しいことだった。

 クレープ生地の焼き係である私はクラスの子に、焼き方を教えてほしいと頼まれてそっちの手伝いに行くことになった。

「ちょっと行ってくるね」

「了解」

 沙也加は折り紙からいろんな形を切り取って言う。

 結局平野先生は私よりも自分のクラスのことで忙しい。私に構っている暇なんてないんだ。言い聞かせることで納得したふりをする。

 数時間、休まずした作業は夕方に終わった。何とか頑張って準備は終わった。

「お疲れ、帰るよね?」

 準備の終わった教室の床に座り込む私の隣に沙也加がやってくる。

「あ、でも真樹は平野徹にアタックしに行くのか?」

「行かない」

「まだ物語書けてないのか」

 それも確かに理由の一つなので頷く。本当はもっと小説以外の話題からも話を弾ませられたらって思ってはいる。でも、今の私には難易度が高い。

「リレー小説は平野先生としてみたいんだけど、今は忙しそうだし」

 沙也加が理解出来ていなかったので補足を入れた。

「リレー小説は何人かで交互に物語を作成していく書き方なんだよ」

「え、面白くないなー。会いたいんでしょ。卒業なんてあっという間だよ」

 卒業。その日が来たらみんなとばらばらになっちゃう。もちろん平野先生とも。平野先生の恋人でもないのにこんなこと思うのはおかしいかもしれない。

「そっか、じゃあ途中まで一緒に帰る?」

「ううん、空いてる教室で作品制作頑張るよ」

「そっか、じゃあそこまで一緒に行こう」

 沙也加は空気の読める子だ。立場を瞬時に把握していろんな役に立ちまわる。そう、例えば目の前から平野先生が現れた今のような時にも――。

「平野先生、これからまだ文化祭の準備ありますか?」

「ん? いや、準備はさっき終わったけど」

 沙也加は私の方を見てニコリと笑った。信用はしているが、突拍子もないことでも言い出しそうだ。

「準備が終わったならちょうどいいです。真樹が小説の勉強をしたいらしいです。付き合ってあげてください」

 平野先生はもちろん私にも理解しきれず、小説の勉強って? と聞き返した。

「ほらあれだよ。リレー小説!」

「俺は書けないよ」

 沙也加に言ってるのになぜか私が傷ついてしまう。

「いいんですか。生徒が勉強のお手伝いを頼んでるんですよ。宿題を手伝ってとかの内容でもあるまいし」

 沙也加はかなり強いな。私だったらさっきので諦めていた。平野先生は押しに弱いのか諦めて承諾してくれた。

「上野、どうする?」

 私に話がふられた。何度か目を合わせているはずなのに、つい目をそらしてしまう。会えない時は目を合わしたいのに、合わせると目をそらすことしか出来ない。

「私、ここの上の教室で書くつもりだったので」

「じゃあ、教室の片付けが終わったらすぐ行くから待ってて」

「分かりました。よろしくお願いします」

 平野先生はそう言って自分の教室まで走って行った。なんだか腰の力が抜けそうだ。

「緊張しすぎだし、真樹はもっと笑ったほうが可愛いよ」

「ありがとう、沙也加」

「いやいや、私だって楽しみたいんだもの。期待してるからね。明日報告よろしくー」

 沙也加はそう言ってダッシュして帰った。私は適当に空いてると予想した下の階の教室へ行った。しかし、思わぬことにその教室はダンスパフォーマンスを行う二年生の準備室になっていた。

「しまった……」

 平野先生には、下の教室で待ってると伝えてしまったし、待とうか。それから別の教室にでも移ればいいか。

 平野先生が来たら二人の時間がまた増える。もっと一緒にいたい。

「あれ、教室空いてなかった?」

 予想よりもかなり早く来てくれた平野先生は私にかなり距離が近かった。だめだ。平野先生が何か言っているようだがちゃんと耳に入ってこない。

「上野、他の教室に――」

「これ!」

 私は手に持っていたファイルから一枚の紙を渡した。それはまだ書き出ししか書いていない私の物語だった。

「すでに書いているのがあるので……いつでも大丈夫です」

「もう書き始めてたんだ。分かった、じゃあ、書けたら渡すね」

 平野先生は私に背を向けて、階段の一段目に足をかけた。その瞬間私の中で時間が止まった。

『行かないで!』

 そう言った私は数歩の距離を全力で走って、振り返った平野先生の胸の内に飛び込んだ。時間がこのまま止まってしまえばいいのに。

 なんてね。私は、階段を普通に歩く平野先生の背中を見つめる。自分の臆病さに肩を落とす。せっかく沙也加がチャンスをくれたのに私は台無しにしてしまった。明日は報告できることがなさそうだ。


「卒業なんてあっという間だよ」


 沙也加にそう言われたことが名案となく頭で響いた。私たちの高校生活はもう半分しかないのだ。そんなこと言われたら私の錆びている体のネジを壊してでも行動しないと意味がない。私は歩幅の大きさが違う平野先生のあとを追った。

「どこ行ったんだろう」

 私は廊下の壁から顔を出して先生を探した。まだ職員室には帰っていないと思う。校内を走り回った私は平野先生を見つけた途端全力を出した。

「平野先生!」

「あ、上野。どうした?」

「明日、私が一番にクレープを作るんです。一番最初に食べてください!」

 取りに来ることが駄目だったら私が渡しに行く。そう思ったが平野先生は優しく笑った。

「分かったよ、じゃあ美味しいの作ってね」

 

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