第8話「一つ屋根の下で」

「さて。次は次郎君の住む場所だね」


次郎は名無し状態からの生還を果たし、すっかり問題が解決したような気になっていたが、肝心の記憶は戻っていない事に気づかされた。


心の片隅ではもしかしたら名前が付いたら記憶も戻るのではと思っていたのだが、どうやらそれは甘い考えだったらしい。


「あの……本当に名前を盗られたからオレの記憶が無くなったってわけじゃないんですよね?」


「さっきも言ったと思うけど、そういった症例は聞いた事はないよ。そりゃあ、多少の混乱はあっても、君のように全てを忘れてしまう事はなかった」


そう言って柳匱は横に来ていた太郎の方を見た。

視線に応える太郎は面倒そうな態度で口を開く。


「別にオレの時は普通だったぞ。オレの場合はただ単に金がなくてこうなっただけで」


「君の場合、名前を剥がされた時に何かショックな事や衝撃を受けて、記憶が飛んでしまったのかもしれないね」


次郎は大きく息を吐きだした。


「だったらお前は以前の名前って憶えてんのか?」


渋々といった様子で太郎は頷いた。

その件に関して何か思うところがあるのかもしれない。


「ああ。オレは覚えてるぜ。オレはある取引をして名前を失ったんだ」


一体どんな取引だったのだろう。

それを聞くにはまだ打ち解けていない為、気になってはいるが、そこに触れるのは我慢する事にした。



「その名前って戻ってこないのか?またその名前を新たに付けるとか」


「次郎君。名前は一人にたった一つのものなんだよ。あだ名とは違う。たとえ同姓同名でもその肉体にはひとつの真名しか宿らない。だかに太郎君の本名はまた付け替える事は出来ないんだよ。奪った相手が自分の意志で返すと言わない限りはね」


同姓同名でも厳密には「同じ」ではなく別物だという事だと柳匱は言った。

正直中々思考が追い付かない。

こんな荒唐無稽な事を聞かされて、頭は余計に混乱してきた。


そんな次郎を見て皐月が前へ出てきた。


「次郎さん。名前はですね~、相手の運命も奪う事が出来るのですよ」


「運命?それはどういう事だよ」


「それはですね、例えば次郎さんの以前のお名前が凄いお金持ちでラッキーな力をお持ちになっていたら、その幸運ごと自分のものに出来てしまうのです」


「げっ……マジかそれ。じゃあ逆にアンラッキーな奴だったら、その不運を引き継ぐって事なのか?」


「そだね~。まぁ、そんな事するのは余程の物好きじゃないとしないと思うよ。そうなるのは大抵奪われて名前を交換してしまった人になるからね」


「交換ってのもあるんですか」


「うん。あるよ。

これは結構特殊な事情の場合も含まれるけど大体はこのパターンかな。手に負えないのが君のようなケース。一方的に奪って、相手を名無しにして消滅させる事が目的って事もある。君は記憶を失っているのだから、そうだと断定は出来ないけどね」


「……………」


柳匱の言葉は次郎の心臓の中心を凍り付かせた。

もしかしたら自分は相手に消滅を望まれていたのかもしれないという可能性に気づいたからだ。

それはとても怖く、身体中の血液が凍り付いたように冷たくなった。


「ま、記憶の事は追々考えましょう。現時点ですぐに思い出すようには思えないからね。今は君の住む家だ。僕の持っているマンションには明後日くらいから入居出来るけど、今日と明日が問題だ」


「済みません。でもオレ、ここで寝させてもらえれば大丈夫ですよ」


ここまで世話になるのも悪いと思って言いだしたのだが、柳匱は納得していないようだ。


「社長さん?」


「うん。でも君、名前を付けたばかりだし、記憶もない。かなり精神的に不安定だと思う」


「……まぁ、これまでが衝撃的過ぎて不安とかに気づく余裕もなかったんですけど」


次郎は少しだけ表情を緩めた。


「うん。だからしばらくは自分以外の誰かの生活の気配が感じられるところで生活した方がいいと思うよ」


「え?」


柳匱は続ける。


「精神的に不安定な時に一人きりの部屋で過ごしていると、どうしても不安感が膨れ上がるものだよ。だからしばらくは誰かと過ごした方がいいと思うんだ」


「…………」


失礼だが、見た目のわりにまともな事を言う社長だと内心思った。

それを見抜いたのか、竜匱はコホンと咳払いをした。


「でもねぇ、どこに住まわせたらいいかなぁ」


すると太郎がまっ先に首を振る。


「オレのところはダメですよ。同居人がいるんで、オレの一存では決められないです」


それを聞いた次郎はニヤリと笑う。


「なんだよ、お前もしかして女と同棲してんの?」


「妙な勘繰りするな。オレのところはシェアハウスみたいなもので一つの家に他人が同居してんだよ。だからあまり迷惑をかけたくないだけだ」



「へぇ、そんなものもあるのか……」


「でも困ったねぇ。僕のところはペットがるからねぇ。僕の知人でいなかったかな…」


すると皐月が再び手を挙げる。


「でしたら次郎さん。私のお家はいかがでしょうか?」


「えっ?いや…それって」





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