第3話「謎のアキバ女との遭遇」
突然目の前にやたらと布がたっぷりなヒラヒラしたゴスロリ服姿の女の子が現れた。
顔立ちも愛らしく人形のように整っている。
荒い息で上下する肩に人参をくわえたウサギのぬいぐるみ風のポシェットが掛けられていた。
年のころは彼とそう変わらないように見えるのだが、その幼児めいた格好が彼女をアンバランスに見せていた。
彼女は力強い足取りで彼の前まで来ると、むんずと彼の腕を取ってそのまま歩き出そうとした。
「わっ、突然何だよお前はっ」
「名無しさんを保護するのです」
「名無しって何だよ」
そこに突然の闖入者の存在をただ茫然と見ていた警官…大丈夫なのだろうか。…が、我に返ったように止めに入る。
「ちょっと待ちなさい。君、何を勝手に……」
警官は彼のもう片方の腕を取って引き寄せようとするが、ゴスロリ少女も負けじと腕に更なる力を込める。
「これは緊急事態なのです。早く保護するのですっ!」
「わわっ、痛いって、おいっ」
何やらどこかで見たような演目が始まりそうだったが、少女の力の方が勝っていた。
少女は強引に彼を引き寄せて走り出す。
「早くしないと名無しさんが消えてしまいますよ~っ」
「消える?」
少女は必死な表情で交番から彼を連れ出した。
後ろの方で警官たちの声が聞こえてきたが、少女と彼は巧みに街の雑踏の中へと溶け込んでいき、すぐにその姿は見えなくなった。
◆◆◆◆◆◆◆◆
「はぁ、はぁ、はぁ……。ここまで来れば安心ですね。名無しさん」
「ぜぇぜぇぜぇ……。何が安心だよ。このアキバ女がっ!オレをこんなところまで引っ張ってきて…余計不安だろうがっ」
「はぁ、アキバ女?」
少女は長い睫毛に縁どられた大きな瞳見開いて彼を見ている。
彼が連れてこられたのは、埃臭い廃ビルの前だった。
路地と路地の間にあるこの建物はコンクリートが剥きだしで、今にもポロポロと壁面が落ちてきそうなほど老朽化が進んでいる。
「あっ、もしかしてわたしの事でしょうか~?嬉しいですっ。お会いして早々素敵なあだ名なんていただいて。あの、遅れましたが、わたしは間宮皐月と申します。どうぞよろしくお願いします!名無しさん」
突然少女…皐月は勢いよく振り返り、こちらへ向けて華奢な手を向けてきた。
握手を求めているらしい。
彼はぎょっとした顔をして皐月の顔を見た。
最初に見た通り、彼女はとても愛らしい容姿をしている。大きな黒目がちな瞳や透けるように白い肌、艶やかな桜色の唇。薄紅色の頬、ふんわりとしたカールした柔らかそうな栗色の髪。
こんな少女に声をかけられたら嬉しいにきまっている。だが、出会いが出会いなので警戒の方が先に立ってしまう。
「だからさっきから名無し名無しって何なんだよ。それよりもオレは今それどころじゃないんだよ」
彼は皐月の手を取ろうともせずに、その手を睨みつける。
「はいっ!それは存じております~。ですからこうしてお声をかけさせて頂いたのです。名無しさんはどういう経緯でなのかは存じませんが、お名前を剥がされて存在が消えかかっているのですよね?」
「は?剥がされたって何の事だよ。それにさっきから名無しって何だよ」
「あの、名無しさんは現在お名前を剥がされているので、便宜上そう呼ばせて頂いているのですよ。きっとすぐに柳匱さんに新しいお名前を頂けると思いますので、それまでは名無しさんと呼ばせて頂きますね」
「頂き頂きって、いちいち硬い言葉使いやがって……。それよりそのリューギ?って誰だよ」
「はい。それは社長の事です」
「社長?じゃ、そいつがオレの名前を知っているって事か?」
すると皐月はゆっくりと首を振る。
「いいえ、違いますよ~。名無しさんの本当のお名前は戻らないと思うので、代わりのお名前を付けてもらうのです」
「おいっ、戻らないってどういう事だよ。お前、さっきから何言ってんだ?」
彼はすっかり頭に血が上った状態で皐月の胸倉掴んだ。
「くくくく…苦しいですぅ。名無しさ…ん」
「だから名無し、名無しっていうなよっ。バカにしやがって!」
………ドンっ!
その時、突然背中に強い衝撃を受けて彼の身体が真横に飛ばされた。
「うわぁぁぁっ!」
「やいっ、てめぇ。何大事な皐月に汚ぇ手をかけてんだよ。失せろっ。このドブネズミがっ!」
「きゃっ、太郎さん。名無しさんに乱暴しないでください」
突然風のように現れたのは身長が2m近くもあるドレッドヘアをした肌の浅黒い青年だった。
南米辺りの血筋なのか、日本人にはない彫りの深い顔立ちをしている。
どうやら彼を張り飛ばしたのはこの男のようだ。
「そんな事言っても、大事な皐月の身体に傷の一つでもついたらと思うと心配なんだよ」
「わたしなら平気ですよぅ。これは名無しさんなりの不器用なスキンシップなのですよ」
そう言って皐月は倒れたままの彼に駆け寄る。
「名無しさん、大丈夫ですかぁ?すみません。太郎さんが」
「って~。何なんだよ。いきなり……」
「お前っ、まだ生意気な口をたたくつもりかっ!」
太郎と呼ばれた大男は再び拳を振り上げた。
「いや……、もういい」
……つーか、こいつ一体何者だよ。
このアキバ女同様、いきなり現れやがって……。
それに何が「太郎」だよ。
こいつ絶対に日本人じゃねぇだろうが。
どこの世界にこんな彫りの深い濃ゆい「太郎」がいんだよ。
「ほーぅ。貴様、まだ何か言いたいようだな?皐月に付きまとうクソ溝鼠野郎」
「無いって言ってんだろうがっ!デカブツっ」
「何だとっ」
「きゃーっ、もう止めてください。お二人とも。早く名無しさんを柳匱さんにお見せしないと、このままでは名無しさんが消えてしまいますよ」
皐月が慌てて止めに入ったところで彼の肩がピクリと反応する。
「おい、消えるってどういう事だよ」
「こんな奴生かしておいても社会のゴミが増えるだけだぜ。皐月」
太郎が吐き捨てるように言う。
「そんなぁ、名無しさんにも五分の魂という諺もあるのですよ」
「おいおいそれ、何か間違ってるんだろうけど、何となくすげぇ失礼だぞ」
しかし皐月は強引に再び彼の腕を掴んできた。
「とにかく名無しさんはこちらへ来てください」
「来いって言われたって……」
そう言われてもここは廃ビルの林立したビル街の中だ。
一体この先に何があるというのだろう。
一足踏み込めば砕けたコンクリートがパキバキと乾いた音を響かせる。
皐月はずんずんと奥へ向かう。
その先に古びたエレベータが見えてきた。
太郎はもうそれ以上は何も言わず、黙って二人の後へついてきていた。
「これ、まだ動くのか?つか電気通ってんのかよ」
「はい。大丈夫なのですよ。中はわりとハイテクなのです」
「……ハイテクって」
廃墟のようなビルの中にはベコベコにへこんだ扉のエレベータがあった。
起動スイッチのランプは接触が悪いのか、不安定にチカチカ点滅している。
それに皐月が触れると、意外にも扉はスムーズに開いた。
「はい。どうぞ入ってくださいまし~」
「……おぅ…って、ちょっと待て。何で中はこんなに新しいんだよ」
中は外観と激しく違っていて、そのギャップに戸惑いを受ける。
ボロボロだと思われたエレベータの内部は真紅の磨き上げられたタイルが壁面一杯に貼られており、どこかの宮殿にありそうなゴシック調の鏡が設置されていた。床は防音を兼ねた毛足の長い絨毯が敷かれていた。
思わず靴を脱いで上がってしまいそうな豪華な内装に彼は固まってしまった。
「おい、早く入れ。のろま。後がつかえてんだよっ」
……ガスっ!
「おわっ、何すんだよっ!」
放心状態の彼の腰の辺りに突然衝撃が走り、つんのめるようにして中へ入った。
太郎が後ろから蹴ったのだろう。
随分乱暴な奴だ。
「もう。喧嘩はよくないですよ。お二人とも」
「今のは喧嘩じゃなくて、こいつの一方的な暴力だっ」
「お前ののろまで短足が悪い」
「くぅぅぅっ。クソっ」
やがてエレベータは静かな動作音で下へ下へと下降していった。
「な、ここって地下何階なんだよ。かなり降りてきたようだけどよ……」
「もうすぐですよ~」
皐月はやはりアイドルのように微笑んでいる。
可愛いのだが不気味だ。
………ポ~ン。
軽い電子音と共にエレベータが止まる。
「着いたぞ。降りろ」
エレベータが止まった階は、これまた想像を絶する光景が広がっていた。
「何だよ、今夜は仮面舞踏会か?」
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