第2話「お金もない、名前もない、ついでに記憶もない」
……………ブォーン…。
彼が目覚めると、そこは車が激しく往来する大きな道路のど真ん中だった。
ちょうど中央分離帯を横切る形で仰向けに寝そべる形になっている。
その奇異な姿を道行く人々が訝し気な目で見つめている。
或いは死体なのかと疑うような目で。
「いっっっっつぅぅっ」
彼はゆっくりと起き上がると、軽く頭に触れた。
僅かに鈍い痛みを感じるが、他に痛むところはない。
どうやらざっと見たところ外傷はないようだ。
続いて自分の手足を確認する。
両手を前へ突き出し、グーとパーを繰り返してみる。
これも動作に影響はない。
改めて身なりを確認すると、赤いレザーのジャケット、オフホワイトのコットンシャツ、下は細身のパンツ。色はダークブラウンだ。それに同系色のエンジニアブーツを履いていた。首がやや絞まる感じがして手を首元にやると、レザー質感のチョーカーをしているのがわかる。
ついでにジャケットやパンツのポケットを探ってみるが、身分を証明出来そうなものも、財布や携帯電話といった貴重品も一切身に着けていなかった。
「あれ……、オレ何でこんなところにいるんだろう」
自らの周囲を確認してから気付いたのだが、一体自分はどういう経緯でここに寝そべっていたのかが分からなかった。
見渡してもここがどこなのかも分からない。
人通りが多い事からかなりの都市だとは思うのだが、どこにも見覚えはなかった。
それでも必死に思い出そうとするのだが、何も頭に思い浮かばない。
思い切って立ち上がってみると、それまで彼を遠巻きに見ていた人々がザワザワと騒ぎ出した。
「……何だよ。こいつ等。見世物じゃねーぞ」
彼がその人だかりの方へ歩き出すと、まるでモーゼの海の道のように人垣が真っ二つに割れる。
何となく意味不明な優越感を覚え、その中央を彼は堂々と渡って行った。
しかし行先は特にない。
どこに行っていいのかもわからないからだ。
「しっかし、何がどうなってるんだ?」
冷静になって考えてみても、自分がどうしてここにいるのかがわからない。
一体どうしたというのだろう。
もしかして自分はあの場所で事故か何かに遭ったのだろうか。
「う~ん。ダメだ。全然覚えがないぞ」
さすがにここまで何もかもわからないと不安感が増してくる。
すると先ほどの大きな道路を渡った先に目立つ白い建物が見えた。
よく見ると派出所という文字が読み取れる。
「あんまり世話になりたかないけど、ここは一つ頼ってみるかな」
警察に言ったところでこの状況が解決するかはわからないが、今のところ自分一人では何一つ解決しそうにない。
ここは意を決して交番を訪ねる事にした。
………カララ。
ゆっくりと交番の引き戸を開く。
建付けが悪いのか、取っ手の錆びついた引き戸は滑りが悪く、キィキィと耳障りな音が鳴った。
中には暇そうにお茶を飲んでいる警官が二人、ぼかんと突然入って来た彼を見ていた。
「あ……どうも」
一体何が「どうも」なのだろうか。
内心そんな突っ込みを心の中で自分に入れながら、彼は二人に頭を軽く下げた。
そしてまだ放心している二人に彼はとりあえず自らの状況を手短に説明する。
……………。
「ほぅ。それで君は自分が何者なのか、そこで何をしていたのかわからなくなった…と?」
細面で髭の剃り跡が青々としている方の警官が彼の前に座って相手をしてくれる事になった。
手には調書を取る為に持った安っぽいボールペンがクルクルと回転している。
その回転を見つめながら彼は頷く。
「はい。どうしてなのかさっぱりで。気付いた時にはそこの道路の中央分離帯のとこで寝ていたっていうか……」
警官二人は揃って互いの顔を見合わせている。
「うーん。酔っぱらって記憶が飛んだんじゃないのかい?」
「いやいやいや、この子どう見ても未成年じやないですか。精々十七~八ですよ」
「………」
そこで改めて彼は自分の年齢について考えてみる。
しかし何も浮かんでこない。
本当にどうしたというのだろう。自分に関する記憶がすっぽり消えたように思い出せない。
「あ~、じゃあ、昨日一日君は何をしていたのかな?」
そう尋ねられ、彼は記憶を手繰り寄せるように眉根を寄せる。
そして昨日を振り返ろうとする。
「……………あ…れ?」
「どうかしましたか?」
「いや……その…………何も思い出せないです」
「はぁ?じゃあ一昨日はどうしてましたか」
更に遡るように言われるが、昨日すらわからないのだ。
当然一昨日もわかるはずがない。
「いいえ、わかりません」
警官二人はますます困惑の色を深める。
「こりゃあ困ったな。こんな例は初めてだからなぁ。じゃあ、君の名前は?住所は?何か自分の事でわかる事はないの?」
「あ、そうか……名前………?あれ。住所……」
矢継ぎ早に質問され、必死に思い出そうとするが、それでも何も思い浮かぶものはない。
先ほど目覚めた瞬間から前に何をしていたのかも、名前も何者なのかもわからなかった。
「変だよ。おまわりさん。オレ、自分の名前も住んでる場所もわからないよ。どうしよう……」
ここにきて更に不安が増してきて思わず頭を抱える。
それを見た警官たちはようやく深刻な状況だと気づいたようで、とにかくどうしたものかと彼にかける言葉を探している。
その時だった。
「待ってください。その人は存在の拠り所……お名前を失っている方なのですっ!」
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