33.現状 げんじょう


 烏を飛ばして数分後――。


「……」


 私はその間もずっと物陰で隠れ、息を潜めていると……。


「……!」


「おいっ、そっちを探せ!」

「他も回って!」

「そっちそっち!」


 車数台とそこから下りてきた人たちの声が聞こえてきた。


 ……物々しい雰囲気だ。


 耳を澄ましていると、どうやら女性もいるようだ。


「はぁ……」


 烏が無事、警察を連れて来てくれた……という事は、何となく分かり、その瞬間、私は深く息を吐いた。


「さて……と」


 私は、すっかり安心し、物陰から見えた警察車両の方に向かって歩き出すと――。


「そこの人っ! 危ないっ!」

「え?」


 突然そう言われ、振り返ると……そこには無防備な私に対し『刃物を持っている男性』の姿が見えていた。


 そう確かに、見えてはいた……のだ。


「……っ!」


 しかし、私は反応することが出来ず、その場で固まってしまった――。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


「……」


 どうして人は、こういう絶体絶命なピンチの時、その光景はスローモーションに見えてしまうのだろうか。


 それくらいこの時の私は謎の『落ち着き』を持っていた。


 しかも、確か私の周りにはたくさんの人たちがいたはず……。それなのに、その人たちの声は一切聞こえない。


 その上、その人たちの気配すら感じられずにいる。


「……っ!!」


 私は、男性との距離がかなり縮まり「逃げられない!」とようやく気がついた時には……いつの間にか地面に倒れ込んでいた。


「?? えっ? え?」


 すぐに私は起き上がったが、全然状況が把握出来ていなかった。


「痛い……」


 そう『痛い』という感覚は感じてはいたモノの、それは決して『刺された』という感じの痛みではない。


 いや、そもそも『刺された』のであれば、こんなすぐには起き上がる事も出来ないはずだ。


「……」


 そこでようやく顔を上げると……。


「つっ、月夜さん!」


 私の目の前には、自分の腕を押さえ、顔を引きつらせながらその刃物を持っている男性を睨み付けている月夜さんの姿があった。


 ただ、月夜さんの姿はさっきまでの『狐の姿』ではなく『人間』だ。


「っ!」


 しかし、月夜さんが致そうに押さえている腕は……赤黒い液体がポタポタと落ちている。


 月夜さんは私を庇うように前にいるが、かなりの激痛に顔をしかめた。


「うらぁ!」

「っ」


 ただ、その男性はかなり興奮しているらしく、もう一度私たちに向かって刃物を振り下ろそうとした瞬間。


「ふっ……阿呆が」


 なぜか月夜さんは不敵に小さく笑い、怪我している方の手を開き、思いっきり地面に叩きつけた。


「え?」

「なっ!」


 すると、突然その男性の周りに何やら『陣』の様なモノが浮かび上がり……そして、男性は一瞬にして……炎に包まれた――。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


「……っ!」


 私はしばらく経っても、目の前で起きた事が理解出来ず、ただただ呆然としていたが、一瞬走った痛みにより、現実に引き戻された。


「……」


 痛みがした手の平を見ると……その『痛み』の正体は、どうやらコレは倒された事によって引き起こされた様だ。


 しかし、今はそんな私の小さな『痛み』なんてどうでもいい。それに、手当はとっくに終わっている。


「あの……つっ、月夜さん……」


 ――ここは『病院』だ。


「…………」


 私も一応怪我をしていたし、月夜さんも……怪我をしていた。しかも、私にの前に割って入った時、なぜか『人間の姿』になっていた。


 だから、月夜さんも手当を受けた。月夜さんにしては珍しく大人しく人間に手当を受けていたけど……それは多分、色々思うところがあったからだろう。


「あっ!」


 そんな無言の中、湊さんは小走りで私たちの元へと駆け寄った。


「あっ、湊さん」

「……」


「本当に、申し訳ありませんでした」

「え」


 駆け寄るとすぐに湊さんは私に向かって頭を下げた。


「……貴様が謝罪する必要はない」

「そっ、そうですよ。そもそも私があの場に出なければよかっただけなのですから」


 そう、あの時。私がそもそもあの場には出ずに、あのまま待って警察の方に保護されていれば、私自身も月夜さんもこんな怪我を負わずに済んだのだ。


「でっ、ですが……」

「その話はもう良い。あまり謝罪をしてもこやつが気を病むだけであろう」

「…………」


 ――まさか、月夜さんがここまで私を気にかけてくれていたとは思ってもいなかった。


「本当に、私の事は大丈夫です。それよりも、月夜さんは大丈夫なのですか?」

「……よもや貴様に心配される事があろうとはな」


 月夜さんは私の言葉にキョトンとした表情を見せた。


「ひょっとしなくてもけんか売っています?」

「そう聞こえたか?」


 ちょっと気にかけてくれたから「いつもとは違うかも」なんて思った私がどうやら間違っていたようだ。


「まぁよい。この程度の怪我はなんて事ないわ、それよりもあの阿呆どもは……」

「あっ、はい。全員、軽傷で手当て及び検査中です」


 すぐに、湊さんは月夜さんの目配せに反応してそう言った。


「そっ、そうなんですか」


 どうやら、月夜さんが『直接手を下した』のは私の前に出た時のみだったらしく、それ以外の人たちには……。


「まるで『舞』でも舞っているのかと思ってしまうほど華麗に犯人たちの間をすり抜けていました」


 どうやら『人間の姿』に戻った状態で、犯人たちの間をすり抜け、犯人たち同士で殴り合いをさせていたようだ。


「あの、それでさっきの人は?」


 私が見た時、犯人は火に包まれていた。普通にその状況だけ見ると、その犯人はとても「助からない」様に見えたのだが……。


「命に別状はないそうです……と言いますか、月夜さん。調整しましたね?」


 湊さんは『確認』というよりも、むしろ『探り』という表情で月夜さんを見ている。


「フン。私は『灸を据える』とは言ったが『手をかける』とは言ってはおらん。ああいうヤツには『あれくらい』してやらんと事の重大さなど分からんだろうと思ってな」


 どうやら月夜さんは『怪我をしない程度』の強さと距離で、あの炎をおこした様だ。しかも、その『犯人』はあの『誘拐事件の主犯』だったようだ。


「……あれは、さすがに肝が冷えました」


 月夜さんの表情と湊さんの表情やさっきの言葉を聞いた限り。多分、湊さんは分かっていたのだろう。


「……」


 ただ、あの火を目の当たりにした『犯人』は……完全に『トラウマ』になったと思うけど――。

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