第18話 晴海謙治、対決をすること

 まったく、どうして晴海がこのファミリーレストランに来ており、小町恋歌を尋問しようとしていたことに気づいてしまったのだろうか。それとも晴海が来ていたから、ではなく、恋歌に会いに来たのだろうか。


(いや、彼女が連絡したに違いない)

 小町恋歌に会ったのは昼間の一度きりで、そのときはあまりこちらの顔を見てはいなかったように見えたし、今も仕事中らしく忙しそうだったので、気付かれていないと思っていたのだが、仲楯常賢がやってきたのだから、入店した時点で晴海の存在は感知していて、連絡したのだろう。たまたま知った顔が見えたから、などという偶然はありえないし、ほかに目的があるなら真っ直ぐにわき目も降らず向かってきたりはしないのだ。それでも彼女は突如として入店してきた常賢に対して驚いていた様子だったので、呼び出したというほどでもなく、晴海の存在を電話ででも常賢に相談したのかもしれない。結果として、彼は自発的にやって来たわけだ。


(いや、それにしても、呼び出したようなものだ)

 言葉にはしてはいないと、ただ報告しただけなのだと、そんなふうに言ってみたところで、常賢が来ることを予想できなかったかといえば違うだろう。対して晴海の目の前に座った常賢は女にいいように使われているわけで、愉快ではある。己を傷つけた女を助けようとするとは。

「こんばんは」

 と晴海のほうから先に声をかけてやった。

「なんでここにいるんですか?」

「飯食ってたところなんだけど……なんでおれの目の前に座ったの?」

「用があるんじゃないかと思って」

「飯を食ってただけで――」言い訳を続けようとして、こんなことをしても無駄だと気付き、晴海は話を変えた「あの子が何か言ったわけ? 不審者がいるから、助けてくれって」

 晴海は禁煙席のほうで働く恋歌に視線を向けた。彼女はこちらに視線を向けていたようだったが、逆に見られていることに気付いたのか、仕事に戻った。


 親子というほどには歳の離れていないスーツ姿の社会人とラフな格好の男子高校という組み合わせは、その関係性が掴みにくいものに見えるだろうが、特に大声を出したりしているわけではないので、恋歌以外の店員から不審に思われることはなさそうだ。

「そういうわけではありませんが、不審な相手が近付いてきたら警戒するのは当然です」

「おれは文科省の者だって、名乗っただろう? 昼間、名刺も渡したし。疑ってる? 名刺の連絡先に確認してもらえると思うけど」

「どうして恋歌に付き纏うんですか?」

「罪を認めて欲しいと思った」

 晴海は覚悟を決め、仕掛けることにした。

 己の推測が単なる妄想に過ぎないかもしれないと思いはしたが、常賢と会話をするたびに己の疑心は確信に変わっていたため、二の足を踏むことへの恐れはなかった。


「あなたが何を言っているのか、よくわかりません」

「間違っていたら悪いけど、おれは小町恋歌さんがきみを突き飛ばして、そのせいで轢かれたんじゃないかと思ってる」

「わかりません。覚えてません」

 決まりごとになっている常賢の返答だ。否定もしない、肯定もしない。そうしてやり過ごそうとしている。

「ああ、確かに昼間もそう言っていたね」晴海は煙草を灰皿で潰しながら、少し考えてから言葉を紡いだ。「ま、思い出せないのは仕方がない。じゃあさ、考えてみてほしい。きみは車道に出たところで轢かれたけれど、なんで車道に出たんだろう? いや、覚えていないっていうのはわかるよ。でも、じゃあどうしたら車道に出るんだろう、ってこと。あそこは低いけれど、いちおう柵はあるだろう? 普通に歩いていたら、柵を乗り越えたりはしないんじゃないかな?」

「さぁ。何か……見たり、聞いたりしたのかも」

「きみが小町さんと喧嘩したりしている風景を見ている人もいる」

「そういうことはありますけど、関係無いと思います」

「きみは事故に会った日の朝、小町さんに会ったんだっけ?」

「覚えていません」

「きみのほうが背が高いから、たぶん歩くのも速いだろうね。家も同じ方角だから、事故が起きたときに小町さんがすぐ近くにいたなら、きみが追い越していったか、でなければ一緒に歩いていたらと考えるのが自然じゃないかな?」

「わかりません」


「なぁ……聞いてくれ。きみを轢いた人たちのことだ」晴海は挑発的な口調から一転させ、静かな調子で語りかけるように言葉を紡いだ。「彼らは危機に立たされている。石和明さんは真面目に働いていた人だし、奥さんの――菜々子さんには子どもがいる。ひとりは三歳の男の子で、優ちゃんという。もうひとりはお腹の中にいてまだ産まれてすらいない。でも、彼らは一生懸命生きている。起きたのは不幸な事故だ。その事故が起きた本当の原因が……もし未だわかっていないところにあるのだとすれば、それを解決させてやることはできやしないだろうか? なぁ、どうにかしてやれないかな?」

「でも、おれは轢かれました」

「そうだ。彼は罪を犯した。だが罪を償うチャンスがあっても良いはずだし、謂れ無い罪までも被る必要はないはずだ、ということだよ。本当の原因なり事故を起こした人間なりが発覚すれば、罪は幾らか薄れるだろう。子どもを育てるだけの余裕もできるし、何より俯かなくて済む。子どもに対して、後ろめたい気持ちを持ったまま接しなくて済むんだ」

 常賢は黙った。


 彼には菜々子を会わせている。妊娠中で、子どもを連れた菜々子を、だ。本人には何の罪もなく、ただ突如として夫が直面した事故に悲しみながらも、事故を引き起こした男の妻として謝罪をしなければならない、悲哀に暮れる菜々子を、だ。

「きみが正直に全てを打ち明けてくれれば、幾分かはマシにはなるんだ。なぁ、わかってくれないか?」

 常賢の返答はなかったが、晴海は待った。言うべきことは言った。最後には、彼の良心に期待するしかないのだ。真実を語ることこそが、人として善い道なのだ、と理解してもらうしかないのだ。

「もし、もしそうだとしたら……」意を決したように、常賢が言葉を紡いだ。「恋歌には未来がない」

「彼女だから、大事なのはわかる。でも……」

「彼女ではないです」

 そうだろう。ふたりは幼馴染みだそうだが、少なくとも他の学生の話を聞く限りでは、仲の良さそうな情景は見当たらない。実際、日常生活でも、同じクラスではあるようだが、接触はほとんど無いようだし、常賢のほうは朝は朝練、放課後は部活と過ごしているのに対し、恋歌は朝は始業時間ぎりぎりの登校で、放課後は病院に弟の見舞いに行くか、このファミリーレストランにアルバイトに来ているかどちらかだ。

 あるいは、昔は友人だったのかもしれない。仲の良いもの悪いもなく、手を繋いで駆け回っていたのかもしれない。だが少なくとも、今は違う。違うだろう。


 では、どうして?

 なぜ、小町恋歌の肩を持つのか?

 なぜ、許すのか?


「許せるはずがない」

 晴海の心を読んだかのような常賢の唐突な言葉に、顔を上げた。

「もし――もしも恋歌がおれを突き飛ばしたのならば、それは、許せることではない」

 常賢の言葉は己に言い聞かせるように静かだった。晴海は黙って先を促した。

「もし自分なら、と考えれば、あなただってそう思うはずだ。ねぇ、そうでしょう? 突き飛ばされて、それで車に轢かれて――たとえ軽傷だったとしても、許せるはずがない」

 そうだ。その通りだ。常賢が恋歌を庇っているのだとすれば、それが納得できない。ではどうして――と考えていたところで、同じ問いかけを、目の前の仲楯常賢が返してきた。


「あなたは、どうして………あの人たちを助けようとするんですか? 運転手の方と知り合いなんですか? それとも、奥さんと?」

「仕事」

「そうは見えなかったので」

 晴海はもう一度、煙草を咥えて火を点けた。常賢は鋭い。菜々子の名前は出さなかったが、石和明本人だけではなく、彼女のことにも言及したのは得策ではなかっただろうか。

 事故調査のために白瀬市にやってきて、久し振りに晴海は菜々子に会った。十年ぶりになるだろうか。学生の頃の話だ。付き合い自体は長かった。

 今になって思えば、かつて自分は菜々子のことは好いていたように思える。どういう関係だったのか、いまいちよくわからないが、外から見れば、恋人同士にも見えたかもしれない。

 だが今はどうかといえば……いや、今も嫌いではないだろう。だがお互いに、環境が違う。

 久し振りに彼女に会ったとき、このまま石和明が罪に問われれば彼と菜々子が離縁するかもしれないと思った。すぐにでなくとも、経済的に打撃があれば精神面で疎遠にならざるを得ないだろうとも思った。

 だが晴海はふたりの、菜々子の手助けをせずにはいられなかった。好きだとか、嫌いだとかの感情は、晴海にとっての菜々子を語るときにはもはや超越していた。

 今、もはや晴海にとっての菜々子は友ではなかった。もちろん恋人でもなかったし、それ以上の親しい関係でもありえなかった。

 だが……だが、かつて友ではあった。幼いときから友だった。

 だから……だから、護らずにはいられない。彼女を。彼女の子を。彼女の夫を。たとえ護ったとしても、晴海は幸せにはなれない。だが、もし護れなかったのならば、きっと後悔するから。だから護らずにはいられない。


「そういうことか」

 なるほどな、と晴海は納得した。今の関係がどうであろうとも、かつて友だった。仲が良かった。同じ時間を共有した。恋は既に終わっていたし、愛が芽生えるような関係でもなかった。既に好意を抱ける関係ではなかったし、彼女の無神経な振る舞いに嫌気がささないでもなかった。

 だが――情があった。

 何も言わずに勝手に納得する様子を見せる晴海に、常賢は不審の色を示しているのがわかる。だが晴海は愉快な気持ちでいっぱいで、噴き出したいほどだった。なるほど、なるほどな。見捨てられない。これは、見捨てられるはずない。友だったのだ。護らずにはいられないのだ。

 そして常賢と晴海は同じだ。もし常賢が恋歌を見捨てたら、晴海が菜々子を助けようとする気持ちも失われてしまうだろう。自分の心の変化を理解するのと同時に、晴海には常賢の心が読めた。

 彼は最後まで抗おうとするだろう。戦おうとするだろう。恋歌を護るために尽力するだろう――そして晴海は彼をねじ伏せるだろう。なぜならば、晴海の手には真実という、あらゆるものを圧倒する剣があるからだ。常賢の態度から、今回の事故の原因が恋歌にあるということは推測から確信となった。もはや晴海は追撃の手を緩めない。どんなにか常賢が抵抗しても、真実の前では最後には膝をつかざるを得ないだろう。


 それでも……それでも最後まで戦うのだろう。彼は。護るために戦うのだろう。彼は。

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